
4月15日(火)は変わりいやすい天気で雨が降ったりしましたが、昼間はこの時期らしい暖かさでした。

今年度の東筑摩郡村長会の指圧研修は、午前8時過ぎに生坂村を出発し、信州まつもと空港午前10時30分発のFDA233便で神戸空港に向かいました。

予定時刻で出発して、少し揺れる時もありましたが、55分間のフライトで運航ダイヤ通りに神戸空港に到着しました。


昼食を取るために神戸市「南京町」に行きました。南京町は横浜中華街、長崎新地中華街とともに日本三大チャイナタウンの一つに数えられるとのことです。

ここは、中華食材、雑貨、料理など多彩な店舗が軒を連ねる人気の観光エリアで、インバウンドの外国人がとても多くて驚きました。

1月または2月に春節祭、9月または10月に中秋節など一年を通して多彩なイベントも開催されているとのことです。。

通りに出そろう屋台グルメを味わったり、本場さながらの中華食材を買い求めたり、中華グルメを満喫出来そうな感じでした。

続いて、無料公開の異人館で、木々に囲まれ、直線美が美しい壁面の下見板、神戸市認定の伝統的建造物 旧ドレウェル邸「ラインの館」を視察しました。

木造二階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドなど、明治時代の神戸の洋風建築物様式をそのまま継承していました。


大正4年(1915年)に建築され、木造2階建下見板張りオイルペンキ塗りの建物は、開放されたベランダやベイ・ウィンドなど、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでいました。


続いて大阪城を視察しました。大阪城は戦国時代の大坂本願寺(石山本願寺)を前身とし、織田信長と戦った石山合戦、豊臣秀吉による築城で、大坂の陣による落城、徳川幕府による再築、明治維新の動乱による焼失、明治維新後の陸軍管轄、戦後の公園整備と、日本の歴史とつねに深いかかわりを持ちながら現在に至っています。


いま見ることができる石垣や堀、大手門・多聞櫓・千貫櫓などといった古建造物はすべて徳川時代以後のもので、一帯は国の特別史跡に、古建造物のほとんどは重要文化財に指定されています。

天守閣は、豊臣時代・徳川時代に続く3代目のもので、昭和6年(1931)市民の寄付金によって復興されました。現在まで90年以上の歴史を刻み、国の登録文化財にも指定されています。


そして復興以後「大阪城天守閣」という名の歴史博物館として、豊臣秀吉や戦国時代、大阪城の歴史にかかわる豊富な文化財を収蔵し、内部の展示室において随時入れ替えを行ないながら公開していました。

大阪城の天守閣に登る方は、殆どがインバウンドの外国人でして、昨年の訪日客数が3686万9900人で、過去最多を記録したことが分かる体験をしました。

本日の最後は近畿地方整備局に行き、今回の東筑摩郡村長会視察研修のメインであります「大阪・関西万博」視察研修に関して大変お世話になりました、元長野県建設部長の近畿地方整備局長谷川局長に表敬訪問させていただきました。


大阪・関西万博の前売入場チケットの販売状況が芳しくないということを、石破総理からもお聞きし、長野県建設部のOBの方からも進められて、今回の視察研修をすることにしました。

近畿地方整備局の長谷川局長まじめ職員の方にお世話になり、前売入場チケット、各パビリオンと昼食の予約など、我々ではなかなか予約しづらいことをしていただき、翌日の大阪・関西万博視察研修の行程を組んでもらった御礼や、当日視察できればお勧めのパビリオンなどのお話をさせていただきました。

その後は場所を移して、一献交わしながら長野県建設部長時代のことや東筑摩郡の道路関係の要望など、多岐にわたり歓談させていただき楽しい一時を過ごしました。

スポーツパーク周辺と上空からの風景
△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、桜が満開のやまなみ荘下のスポーツパークから、周辺と上空からの風景を撮影しました。


本日生坂村では、保育園で身体測定(未)・SST①、小学校で視力検査(1・2年)、中学校で3年修学旅行②、5時間日課、児童館でマラソンクラブ、立候補届出書類等事前審査、5班の皆さんの元気塾などが行われました。

