1日(木)は朝から快晴で、新年度のスタートを太陽が応援してくれるようにとても良い天気でした。
▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、例年より1週間ほど早く満開になった、卒倒坂の雲雀桜の風景を撮影しました。
雲雀桜の風景
午前10時からの定例課長会議は、人事異動後の新しい管理職を加え、私から年度始め4月の検討協議事項を示し、各部署からは、日程調整、人事異動による事務分掌、地区担当職員の配置、専決予算及び繰越事務、人事異動に伴うシステム関係対応、人事評価、区長会議、常会長会議の中止、参議院議員補欠選挙及び村議会議員一般選挙、いくさか大好き隊員の業務、村づくり計画及び村政懇談会の日程、知恵の輪委員会、会計関係、人口推移、やまなみ荘チラシ、戦没者追悼式の日程、新型コロナウイルスワクチン接種予定と送迎、村内の通行規制、県道275号上生坂信濃松川停車場線 清掃作業、緑化木の配布、道の駅いくさかの郷イベント、中止イベント(春の大城・京ヶ倉トレッキングツアー、春の農業体験ツアー)、生活応援商品券給付事業、地域ぐるみでむらじゅう花ざかり事業、春の交通安全運動出陣式、安協街頭指導、交通安全教室、保育園職務分担、村民運動会の開催の可否、農業公社事務分担などについて説明を受け協議をしました。
▽ 卒倒坂の雲雀桜は. おとぎ話と俳句で有名な巖谷小波が昭和2年に命名した桜であり、桜の根元には小波が書いた「雲雀桜」の碑が建てられています。
上生坂卒倒坂にある「雲雀桜」は、昭和2年に村出身の俳人「平林鳳二」が卒倒坂の桑園に寄付して公園を造ったり、鳳二文庫を寄附したお礼に青年団が「あの山が高いか雲雀高かろうか」の句碑建立に協力しました。この時「巌谷小波」が雲雀桜と命名したとのことです。
▽ 樹齢約300年といわれ、地表約2mで枝分かれしていますが、2.5mくらいまで空洞で枝数も少なく、樹勢は衰え気味ですが、シダレザクラで若枝が長く垂れ下がっています。
▽ 平成24年度には、長野県「地域発 元気づくり支援金」を活用して、「雲雀桜」を後世に残していくために、樹木医の診断を受け、診断書及び樹勢回復の設計書を基に環境整備を行っており、現在まで元気に綺麗な花を咲かせています。
その他生坂村では、年度始め式及び辞令交付、道の駅いくさかの郷辞令交付、やまなみ荘辞令交付・各種プラン開始、小中学校教職員新任あいさつなどが行われました。
▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、例年より1週間ほど早く満開になった、卒倒坂の雲雀桜の風景を撮影しました。
雲雀桜の風景
午前10時からの定例課長会議は、人事異動後の新しい管理職を加え、私から年度始め4月の検討協議事項を示し、各部署からは、日程調整、人事異動による事務分掌、地区担当職員の配置、専決予算及び繰越事務、人事異動に伴うシステム関係対応、人事評価、区長会議、常会長会議の中止、参議院議員補欠選挙及び村議会議員一般選挙、いくさか大好き隊員の業務、村づくり計画及び村政懇談会の日程、知恵の輪委員会、会計関係、人口推移、やまなみ荘チラシ、戦没者追悼式の日程、新型コロナウイルスワクチン接種予定と送迎、村内の通行規制、県道275号上生坂信濃松川停車場線 清掃作業、緑化木の配布、道の駅いくさかの郷イベント、中止イベント(春の大城・京ヶ倉トレッキングツアー、春の農業体験ツアー)、生活応援商品券給付事業、地域ぐるみでむらじゅう花ざかり事業、春の交通安全運動出陣式、安協街頭指導、交通安全教室、保育園職務分担、村民運動会の開催の可否、農業公社事務分担などについて説明を受け協議をしました。
▽ 卒倒坂の雲雀桜は. おとぎ話と俳句で有名な巖谷小波が昭和2年に命名した桜であり、桜の根元には小波が書いた「雲雀桜」の碑が建てられています。
上生坂卒倒坂にある「雲雀桜」は、昭和2年に村出身の俳人「平林鳳二」が卒倒坂の桑園に寄付して公園を造ったり、鳳二文庫を寄附したお礼に青年団が「あの山が高いか雲雀高かろうか」の句碑建立に協力しました。この時「巌谷小波」が雲雀桜と命名したとのことです。
▽ 樹齢約300年といわれ、地表約2mで枝分かれしていますが、2.5mくらいまで空洞で枝数も少なく、樹勢は衰え気味ですが、シダレザクラで若枝が長く垂れ下がっています。
▽ 平成24年度には、長野県「地域発 元気づくり支援金」を活用して、「雲雀桜」を後世に残していくために、樹木医の診断を受け、診断書及び樹勢回復の設計書を基に環境整備を行っており、現在まで元気に綺麗な花を咲かせています。
その他生坂村では、年度始め式及び辞令交付、道の駅いくさかの郷辞令交付、やまなみ荘辞令交付・各種プラン開始、小中学校教職員新任あいさつなどが行われました。