湯けむりに煙る情緒たっぷりの温泉街。ひと風呂浴びたホッカホカの身体を鎮めながら、浴衣を着て下駄をはいての散策。温泉はまさに日本文化の象徴であろう。湯船に身体を浸す瞬間、しみじみ感じる幸福感。こんな気分を知るのは日本だけのものと思っていた。ところがこの「幸せ感」を日本人と同じように感じる外国人がいたのである。台湾の人たちである。台湾における温泉ブームの陰には紆余曲折の長い時間が流れていた。
台湾の温泉の歴史は明治時代までさかのぼる。日清戦争以後の1895年から1945年までの50年間。台湾は日本が統治する島であった。この時、多くの日本人が台湾に移住している。自然に日本の文化がこの島に定着していった。その一つが温泉であった。台湾は火山の島。いたるところに温泉がわいていた。温泉好きの日本人がこれを見逃すわけはない。台湾の各所に日本式の温泉が誕生した。もちろん日本人のためのものであり、すべて日本式。温泉旅館から公衆浴場まで誕生していた。
台湾の人はもちろん中国人は人前で裸になる習慣はない。公衆浴場という概念さえない。当初はみな敬遠していた。先住民と呼ばれる人たちだけは、昔から温泉が治療や身体に良いことは知っていたらしい。あまりにも気持ちよさそうに温泉に入る日本人を見習って、入り始めたのがきっかけであった。いつしか、台湾にも温泉の習慣が定着したのである。
(日本旅館の内風呂の雰囲気、烏來温泉にて)
ところが、日本の敗戦と同時に台湾から日本人が引き揚げ、かわりに蒋介石が率いる国民党が台湾に移住してくる。毛沢東に追われた一団である。彼らは日本に代わって台湾の実権を握る。蒋介石はとにかく日本的なものを排斥する。日本語はもちろん親日派を徹底的に弾圧する。二・二八事件はその代表であった。温泉施設も同様であった。台北近くの北投温泉は歓楽街として残されたが、それ以外はすべて廃墟となったのである。しかし、一度温泉の魅力を知った台湾の人たちは山奥の露天風呂などを密かに整備して、隠れた楽しみとして継続されていた。
蒋介石が死亡した1980年代以降、台湾に民主化の波が押し寄せる。内省人と呼ばれる台湾出身の李登輝が大統領に選ばれた頃から、日本文化の復活が台湾中に起こる。温泉もその一つであった。特に二〇〇〇年代となってから、レジャー志向が急上昇し、温泉が一気にブームとなった。それも、より日本的なものが高級とされ、新しい施設が次々に誕生したのである。日本時代に生まれた伝統的な温泉も復活している。面白いことに、温泉施設には日本の有名温泉の名前がつけられる例が圧倒的に多い。箱根、草津、有馬など、なじみの名前が次々に登場している。定山渓や川湯、登別など、北海道の温泉の名前もある。日本の名前は高級温泉の代名詞となっていた。
(温泉の名前に日本文字の「の」が入っている。これも多い。礁渓温泉にて)
台湾の温泉がすべて日本と同じかというと、それが少し違う。まず誰でも入ることができる露天風呂は水着着用が義務付けられている。個室温泉が大変多い。やはり大風呂は抵抗があるのかも。また温泉の湯船のそばに冷水の湯船が用意されている。サウナ的な効果を狙っているらしい。また湯船の中では体をこすらない、という暗黙のルールがある。じっと静かに温泉につかるのがマナーであった。知らずに湯船の中で体をこする動作をすると怒られることがあるので注意しなければならない。
最近は日本式の温泉が急増し、その内容にも少し変化がある。露天風呂も水着なしが人気となり、新しいホテルには日本間が必ず用意されていた。大浴場も増加している。やはり日本にならえ、ということらしい。
雪をあまり知らない台湾の人は冬の北海道に大変興味を持っている。札幌の雪まつりを楽しんだ後、北海道各地の温泉巡りをするのが、いわば彼らのゴールデンコース。この冬も北海道の温泉ではたくさんの台湾語が飛び交っていた。
(温泉マークも日本と同じ)
台北近くの北投、陽明山、烏來(ウーライ)、中部の四重渓、知本、紅葉などの歴史的な温泉が特に有名。現在の台湾には小さな露天風呂も含め150~170の温泉がある。これは日本時代の倍の数。確実に温泉文化は台湾に根付いていた。
台湾の温泉の歴史は明治時代までさかのぼる。日清戦争以後の1895年から1945年までの50年間。台湾は日本が統治する島であった。この時、多くの日本人が台湾に移住している。自然に日本の文化がこの島に定着していった。その一つが温泉であった。台湾は火山の島。いたるところに温泉がわいていた。温泉好きの日本人がこれを見逃すわけはない。台湾の各所に日本式の温泉が誕生した。もちろん日本人のためのものであり、すべて日本式。温泉旅館から公衆浴場まで誕生していた。
台湾の人はもちろん中国人は人前で裸になる習慣はない。公衆浴場という概念さえない。当初はみな敬遠していた。先住民と呼ばれる人たちだけは、昔から温泉が治療や身体に良いことは知っていたらしい。あまりにも気持ちよさそうに温泉に入る日本人を見習って、入り始めたのがきっかけであった。いつしか、台湾にも温泉の習慣が定着したのである。
(日本旅館の内風呂の雰囲気、烏來温泉にて)
ところが、日本の敗戦と同時に台湾から日本人が引き揚げ、かわりに蒋介石が率いる国民党が台湾に移住してくる。毛沢東に追われた一団である。彼らは日本に代わって台湾の実権を握る。蒋介石はとにかく日本的なものを排斥する。日本語はもちろん親日派を徹底的に弾圧する。二・二八事件はその代表であった。温泉施設も同様であった。台北近くの北投温泉は歓楽街として残されたが、それ以外はすべて廃墟となったのである。しかし、一度温泉の魅力を知った台湾の人たちは山奥の露天風呂などを密かに整備して、隠れた楽しみとして継続されていた。
蒋介石が死亡した1980年代以降、台湾に民主化の波が押し寄せる。内省人と呼ばれる台湾出身の李登輝が大統領に選ばれた頃から、日本文化の復活が台湾中に起こる。温泉もその一つであった。特に二〇〇〇年代となってから、レジャー志向が急上昇し、温泉が一気にブームとなった。それも、より日本的なものが高級とされ、新しい施設が次々に誕生したのである。日本時代に生まれた伝統的な温泉も復活している。面白いことに、温泉施設には日本の有名温泉の名前がつけられる例が圧倒的に多い。箱根、草津、有馬など、なじみの名前が次々に登場している。定山渓や川湯、登別など、北海道の温泉の名前もある。日本の名前は高級温泉の代名詞となっていた。
(温泉の名前に日本文字の「の」が入っている。これも多い。礁渓温泉にて)
台湾の温泉がすべて日本と同じかというと、それが少し違う。まず誰でも入ることができる露天風呂は水着着用が義務付けられている。個室温泉が大変多い。やはり大風呂は抵抗があるのかも。また温泉の湯船のそばに冷水の湯船が用意されている。サウナ的な効果を狙っているらしい。また湯船の中では体をこすらない、という暗黙のルールがある。じっと静かに温泉につかるのがマナーであった。知らずに湯船の中で体をこする動作をすると怒られることがあるので注意しなければならない。
最近は日本式の温泉が急増し、その内容にも少し変化がある。露天風呂も水着なしが人気となり、新しいホテルには日本間が必ず用意されていた。大浴場も増加している。やはり日本にならえ、ということらしい。
雪をあまり知らない台湾の人は冬の北海道に大変興味を持っている。札幌の雪まつりを楽しんだ後、北海道各地の温泉巡りをするのが、いわば彼らのゴールデンコース。この冬も北海道の温泉ではたくさんの台湾語が飛び交っていた。
(温泉マークも日本と同じ)
台北近くの北投、陽明山、烏來(ウーライ)、中部の四重渓、知本、紅葉などの歴史的な温泉が特に有名。現在の台湾には小さな露天風呂も含め150~170の温泉がある。これは日本時代の倍の数。確実に温泉文化は台湾に根付いていた。
それにしても、台湾にこんな温泉があるなんて、知りませんでした。
この温泉ブーム、道東の秘湯ブームに繋がるといいのだけど。