原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

縄文の風の中で

2009年04月21日 13時00分47秒 | 縄文

釧路市湿原展望台のすぐそばに、北斗遺跡がある。縄文時代の住居跡が連なるように続き、そこに数軒ではあるが竪穴住居が復元されている。石器時代からこの地には人が住み、日々の生活を営んでいた。その息吹はここに立つだけで感じることができる。眼下には釧路湿原が広がっていた。縄文時代からみると、きっとその風景は大きく変化しているに違いない。それでも数千年の時を超え縄文時代の風が吹きわたっていた。

(擦文時代の住居が再現されている。写真は入口)

釧路湿原がかつて海であったことは知られている。その海岸線は小高い丘となって残り、釧路湿原を囲むように形成されている。ここに人が渡ってきた年代はまだ正確には確認されていない。石器時代の痕跡は出土品からも確認されているから、数千年前であることは確かである。すでに湿原となっていた原野を取り囲む丘の上に、彼ら先人たちは住み着いた。湿原は人の住める場所ではないが、ここには豊富な食料があったことは間違いない。湿原にはタンチョウをはじめキタキツネ、エゾシカなどの野生動物が棲息している。狩猟の民には絶好の場所であった。
小高い丘は物見の場所としても最適である。集落同士の諍いのための砦の役目もあった。竪穴住居跡は釧路湿原を囲むように数多く残っている。なかでも北斗遺跡は最も整備されたもので、この他にも自然の中に取り残されたように、たくさんの史跡が眠っている。この地は多くの先人たちの歴史が刻まれた場所であった。

(再現された住居の内部)

北斗遺跡には232に及ぶ住居跡が確認されている。時代的なずれは当然あるが、ちょっとした都市を感じさせる。円形や楕円形のくぼ地は縄文から続縄文時代の住居。四角形は擦文時代のもの。擦文時代の住居が復元されていた。中に入ると中央に囲炉裏があり、それを囲むように居住空間がある。シンプルだが豊かな生活を感じさせる。この堅穴は1メートルほど地中を掘って造られている。これが冬に大きな効果を上げた。暖房効果が抜群であるという。厳しい道東の冬の寒さをこれで凌いだのであった。まさに先人たちの知恵であった。
我々現代人はつい彼らの生活を思い、厳しく貧しい生活を想像してしまうが、果たしてそうであったのであろうか。自然の食糧が豊富な北海道である。それほど貧しかったとは思えない。弥生時代のような耕作文化はなかったものの、アワや大麦の栽培は行われていた。冬をどう過ごすかをクリアできれば、かなり豊かな生活であったと想像できる。自然との厳しい戦いはあったが、会社勤めや学校に行くこともない、いじめや派遣切り、物価高に悩む現実は彼らにはなかった。現代に充満する神経的なストレスなどまったく存在していないだろう、たぶんではあるが。富の価値が全く違う世界だから同一に比較することは無理であることを承知で、彼らの生活は決して貧しいものではなかったと断言したい。そうでなければ二千年以上も前からこの地に人が住み続けるわけがない。
ひょっとすると、我々現代人は、縄文時代の先人たちより貧しい生活をしているのかもしれない。文明文化の進歩がそのまま人類の幸福につながらないということを物語っているのでは。国際スタンダードとか発展途上国とか、先進国という言葉さえ虚しく感じる。人類はもう少し縄文時代の文化、生活を見直してみる必要があるのかもしれない。そんな目線で政治とか社会を見ると、全く違う世界が見えるような気がする。縄文時代の世界観、宇宙観をもう少し勉強してもいいのでは。今まであまりにも無視されてきているような気がする。

(縄文や続縄文時代の住居跡。円形に窪みが残る)

蛇足になるが、北海道には弥生文化時代がない。石器時代から縄文、続縄文、擦文、そしてアイヌ文化時代へと変遷。本州と違う文化時代を歴史上経過している。本州と同じくなるのは正確には明治以降。こうした経緯は沖縄(琉球)もそうであった。つまりこの二地域は大陸から新文化をもたらした弥生人との混合がなかった地域となる。それでは縄文人はどんな民族か。南方からの渡来人、北方からの渡来人との混合であり、北海道人はその縄文人と北方からの渡来人(アリューシャン列島とアムール川から渡来したアイヌ説)の混合である。DNA検査では、縄文人も琉球人も、アイヌの人も同じことが証明されている。つまり幾種類もの人種が混合して日本人となっていた。アイヌの人もまた原日本人を構成する一人であるという学説が今は主流なのである。日本人が単一民族であるという神話がいかに虚しいものであるか、改めて思い知らされる。

(遺跡から発掘された土器が展示された遺跡展示館内)

史跡北斗遺跡
開館時間:10:00~16:00
休館日 :月曜日・12月1日~3月31日
入館料 :無料
TEL(FAX):0154‐56‐2677


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2 コメント

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知らなかった! (numapy)
2009-04-21 16:01:39
北斗によく水汲みに行っていたのに遺跡がこんな形で再現されていたとは・・・。展示館の前も通っていたのに。
それにしても日本人が単一民族というのは、いつから出てきた概念でしょうかね。
青森の三内丸山遺跡は、弥生時代より1000年も前に集落をつくり、栗を中心とした農耕生活を営んでいたと言いますね。
この事実は、日本が単一民族でないことを物語っています。
北斗遺跡、近々行ってみます。はるか先人達のチエを体感してきます。
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縄文時代を見直したい! (原野人)
2009-04-21 22:33:40
正直言うと、私も知らなかったのです。教えてくれたのは東京の友人でした。身近のことをもっと知らなければと思い知らされました。それにしても、縄文時代の思想を日本人はもっと知るべきですね。そういえば、あの岡本太郎も縄文文化に心ひかれた芸術家のひとりだったと記憶してます。
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