ⅸ 大東亜(太平洋)戦争直前の状況 1930~1941 -28-
※この10年ほどのできごとはすべて関連しているので、かなり長くなるがまとめて調べる。なお、その間の「日中・日朝関係」については調査・報告済なのでここでは省く。
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■基礎知識 ~開戦の理由・原因について~
3 瀬島龍三:「大東亜戦争の実相」(PHP文庫)より引用 2/n
前回、当時の軍中枢部にいた瀬島龍三氏の上記の本から、この本が出版された状況について引用した。今回から、この本の中の総まとめの「終章」で「回顧よりの教訓」としてあげられている「七つの教訓」の一部を引用する。
~終章より その1~
・「・・・米国にも戦争の責任はあるのではないか、・・・」
※「米国にも」どころではなく、どちらかと言えば「日本にも」としか言いようのない〝史実”が、どんどん明らかになってきています。その第1級資料が、米国で今まで封印されてきた(出版されずにきた)「フーバー大統領回顧録」。日本でも、翻訳して出版されました。
・「結果論として様々な事情があったにせよ私は日本の大陸政策はその限界、方法、節度のプロセスにおいて賢明でなかったと断ぜざるを得ません。」
私も、当時の国際情勢のなかでは、ソ連と米国の覇権(膨張)政策に対抗し、「自存自衛」するために、《満州国だけにとどまり、そこだけを死守すべきだった》と思います。歴史にifは禁物でしょうが、もしもそうしていたら、今頃は、世界は、米・欧と極東アジアの3極体制になっていたかもしれませんね。
~次回、3/n~
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《著者:松永正紀 教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》
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