29 日米関係 -76-
ⅸ 大東亜(太平洋)戦争直前の状況 1930~1941 -16-
※この10年ほどのできごとはすべて関連しているので、かなり長くなるがまとめて調べる。なお、その間の「日中・日朝関係」については調査・報告済なのでここでは省く。
→ <23 日中関係Ⅱ(WWⅠ~1945)313~> <17 日朝関係(戦前) 152~181 >
■まとめと考察 4/nの1 日本の状況 ⑶ ~まとめ表再掲~
大東亜(太平洋)戦争前の10年ほどは、まちがいなく「国家の非常時」「危機存亡のとき」だった。あまりにも 際立ったできごとばかり起きるので、各社、ほぼ同じような表現になっている。ただし…
■「大東亜(太平洋)戦争直前の日本国内の状況」の描き方
●当時の日本国全体の政治的特徴を表現するために「軍国主義」や「軍国主義的」という用語を使うのは、妥当ではない。 →△ 5社:東京書籍、帝国書院、教育出版、日本文教、学び舎。
※ブリタニカ国際大百科事典の「軍国主義」の定義は、「①戦争を外交の主たる手段と考え、②軍事力を最優先させる考え方ないしイデオロギー」となっている。
<検討1>「①戦争を外交の主たる手段と考える。」の意味内容について
・「主たる」の意味には、《A:中心的な、もっとも頻度の高い》という一般的意味のほかに、《B:最終的な、決定的な、最も有効な》という意味も含まれている。
・Aの場合・・・「軍国主義国家」は、《外交問題を解決するために、積極的・優先的に戦争をしかけたり、戦争を多用する》という意味になる。
関東軍の中枢はそう考えていたようだが、日本政府はそうではなかった。したがって、当時の日本が「軍国主義国家だった」とは簡単には言えない。
・B:最終的な、決定的な、最も有効な、とする場合・・・当時の有力国家はみんなこう考えていただろう。(中共のように、今でもそんな国はかなりある。)
したがって、現在の日本国の中学生に教えるときには、(どうしても「軍国主義」という用語を使いたいのならば、)「日本も、他の有力な国々と同じように、軍国主義的な考えをもっていました。」と書くべきだろう。
<検討2>「②軍事力を最優先させる考え方ないしイデオロギー」
上記の「Bの場合」と同じ。
「軍国主義」というレッテル貼りは、「極東国際軍事裁判(東京裁判)」において、GHQおよび「共産主義国家:ソ連」が主導しておこなった悪質なプロパガンダ行為。もう克服しなければ、すでに始まっている「世界の覇権争い(新形態の第3次世界大戦?)」から」脱落するしかないだろう。(※その道もないでもないが、猛獣たちのなかでは危険すぎると思う。)
~次回、5/nの1 日米交渉~
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《著者:松永正紀 教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》
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