やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【賢い子育て】 よい遊びを (8) ~本:「危険な」フィクション~

2012年07月20日 | 教育5 賢い子育て:家庭編

■よい遊びを (8)
3 どんな遊びが良い遊びなのか

(3)「ヒト」や「社会」などが体験できる遊び その1

 前回は「自然を体験させる遊び」について述べましたが、現代日本の多くの子供たちの活動環境はほとんど「人工的」でしょう。
 ですから、多くの子供たちが日常的に体験できるのは、ほとんど、(人工的な環境の中での)家族や友達などとの遊びや、街なかでの自由遊び、企業などが売る遊び、など
です。(今では田舎でも、「自然」好きの一部の家庭・子供を例外として、全体的にはこれらの人工的遊びが主流のようです。)

 このあと、家庭での遊び、友達との遊び、街なかでの遊び、企業などが売る遊び、の順に検討していきます。
 が、その前にまず、そこに共通して存在する「完全に人工的な遊び」について考えます。


A.《映像や言語などによって作られた「擬似的」世界》そのものを楽しむ遊 について その1

この遊びは《人類にほぼ共通で、かつ古代からある「自然体験の遊び」》と、もっとも遠くはなれた体験です。つまり、《もっとも最新の、完全に人工的な遊び》ですから、その影響・効果についてはかなりの注意が必要です。
(※草食動物の天敵は肉食動物。現代のヒトの最大の天敵はヒト、次が「ヒトを病気にするもの」…。)

 あるがままの自然世界とは違って、《制作者が特定の動機や意図を持って作ったもの》ですから、親や教師などは、大事な子供たちに、《どんな擬似的世界を体験させるか》しっかり考えるべきだと思います。

(※事実として、これについては日本と欧米では考え方がかなり違うようです。例えば、子供が(も)観るテレビ番組の「内容」について、日本ではほとんど放送局まかせの野放し状態であるのに対して、欧米ではかなり「公的規制」などが行われているようです。日本人よりも「他人への警戒」がはるかに強い社会のようですから。)

・この遊びは、ほとんどの場合、他者である「生身のヒト」との交流がない、つまり「一人遊び」であるのが特徴です。

●1 本(=主に言語で表現されたものすべてを指す・・・絵本、マンガ、雑誌、各種の「電子的画面」に表示されている文章など、を含む。)

 子供がする読書(※「読画面」も含む)は、「勉強」(の一種)だと思っている人もおられるようです。親によっては、マンガなどのはっきり「娯楽本」と分かるものを除いて、子が「活字」でできている本を読んでいれば「勉強している」と思われる方もおられるようです。

 しかし、子供たちが学校で借りて読んでいる本の多くは、ほとんど「娯楽本」です。なぜなら、(少なくとも佐賀県の)多くの公立学校図書館では、すべての本のうち、いまだに6~8割ほどが「物語・小説」などの「フィクション」だからです。

 ※もちろん、娯楽本でも、楽しんで読んでいるうちに、《言葉を覚える》、《漢字を覚える》、《何らかの知識を得る》、《さまざまな「人生」について知る》など、何らかの成長体験はできます。つまり、何らかの役には
立ちます。それにとても楽しい時間を過ごすこともできます。
 しかし、このあと述べるように、危険性もあるのです。

 ◇(ほぼ)安心しておすすめできるのは、ノンフィクション。

 【現実のものごと】について書かれたノンフィクションをおすすめする理由は、

・【現実の世界】に対応した、安定した「脳内世界」が創られるから。
 ※「ありもしないフィクション」、つまり妄想などによってできた「脳内世界」は、それをもつヒトに異常な行動をとらせる可能性が高いのでとても危険
  
・ノンフィクション作品では、作者が《意図的に嘘を書く》ことはあまりないから。

 ※もちろん、なかには、《まちがって嘘を書いてしまった本》も、《嘘をついてだますために書かれた本》もあります。また、嘘とまでは言えないようですが、最近は(よく学校に寄付されてくる)、例えば「インスタントラーメンの秘密」などのように、ノンフィクションの体裁」を装っていますが《実際は企業や製品の宣伝を意図した本》も増えてきています(※アメリカ流のやりかたです)。

 それでも、ノンフィクションは、【現実のものごと】について書いて(または、書いたことになって)いるので、書かれている【現実のものごと】について調べることによって検証することができます。
 ですから、《きちんと「著者名」「作者名」を出したうえで意図的に嘘を書く》ということはなかなかできにくいことです。

 ◇フィクションは、できれば親・保護者・教師が読んでから(=知っているもの)を与えましょう。

 
保護者が有害と分かっていて与えることはまずないでしょうからね。
(※例えば、本屋で公然と売られている《子供むけのポルノ小説》などというとんでもない本があります。インターネットの世界にはさらにひどいものがたくさんあります。)
 
 なぜか今の日本では、「有害な本(※当然ネット上の情報も含む)は読ませない」という、世界では当然のことがことがとても難しくなっている「自由な家庭」が増えているようですが、絶対に間違った子育てです。親の現実逃避や事なかれ主義は、後悔することになるでしょう。
 大人が本心から子のことを大事に思っているなら(=愛しているなら)、どんなに厳しいことでも子は受け入れます。

・危険性・・・フィクションはさまざまありますが、上で述べた利点と同時に、大なり小なり《
脳に与える危険性》があると思います。
 その危険性とは、《現実世界への不適応や、まちがった対応の可能性》です。
 その危険性は、そのフィクションの「現実度」に比例的に応じているのではないかと思われます。

 すべてのヒトは、《すべての体験によって創られ続ける「自分の脳内世界」》を使って、現実のものごとに対処していきます。
 子が一人前になるまでは、親や教師は、《子が良質の脳内世界を創る》ための手助けをしてやる責任があります。
 それに、残念なことに、現代日本はもはや、かつてのように、「ほうっておいても(まともな)子が育つ」ような人的環境が、ほぼなくなっているのですから。


<おまけ>「自由な(=無制限な)」表現が社会的に許されなかった時代には、「フィクション」は、《「現実」を表現するためのやむをえない手段》としての役割ももっていました。しかし、戦後の「自由な」時代には、ほとんどのフィクションは、《非現実的な(=現実度の薄い)娯楽読物》に変わっているようです。
 芥川賞や直木賞の作品や作家をみればその変化がよく分かります。・・・それらの作品を、昔はかなり多くの人々が「教養」として読んでいたと思いますが、このごろの作品を読んでいる人の多くは、おそらく「趣味」なのだろうと思います。

~次回、●2 「テレビ」 ●3 「ゲーム」


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