■よい遊びを ~その3~
これまでのその1・2で、戦後日本の子供たちの状況を確かめました。<参照:よい遊びを その1 その2>
その《日本人の「人間力」は、全体の傾向としては未熟化・劣化し続けている》という現実認識がまちがっているのならば、これから書くことになんの説得力もありません。
昭和51年4月から平成22年3月までの34年間に、勤めていた小学校で見つめ、関わり続けた小学生の姿の変化を思いだすかぎりでは、私のその現実認識はまちがっていないという自信はあるのですが…
3 人間力の未熟化・劣化の原因は?
戦後の日本人は、心も体も弱くなり続けている・・・これが人間力の劣化現象ですが、その原因はなんでしょうか。
具体的な要因はさまざまあるようですが、まとめてひと言でいえば・・・弱くても生きていける環境になったから、ということのようです。つまり、「豊かな社会」に適応しているということになります。
ですから、この「ヒトの弱体化現象」は、《豊かな先進国に共通の必然的現象》かもしれません。
ということは、その現象をいくら憂えても、警鐘を鳴らしても、大局的には《なるべくしてなっている、どうしようもない現象》なのだから、あきらめるしかないのかもしれません。
が、約百年前の、今とは別世界のような大正3(1914)年生まれの父親に育てられた、あきらめのわるい男としては、思考停止しないで追究してみたいと思います。
もしかしたら、これからの世界や日本は《豊かではない、困難な環境》になるかもしれないのですから…。もしもそんな世界になったら、《劣悪な環境にも逆境にも適応・対応できる、たくましい心と体をもった人間》が必要なのですから。
もちろん、そのようなたくましい人間は、豊かな社会のなかでも《重要な役割を果たす力をもつ》ことはまちがいありませんし…
4 子供にどんな体験をさせるかが問題
実は子供のがわからすれば、「遊び」も「スポーツ・習い事」も「勉強・学習」も大きな違いはありません。どれも(結果として)体験を通して大事なことを学ぶ場だからです。
(※どれにも、楽しいことや、苦しいこと、おぼえたり訓練すること、考えることなどが含まれています。)
このシリーズでは主に「遊び」について考えますが、考え方としては、「スポーツ・習い事」や「勉強・学習」にも共通することが多いと思います。
それは、子供にどんな体験をさせるかが問題だ、ということです。昔と違って、どんな田舎でも、今では遊びでさえ《完全に子供の自由に任せる=ほったらかし》ということがほとんどできない環境になってしまっているのですから。
~(このシリーズの)次回、「5 なにがよい遊びなのか? 」~ ←参考になりましたらクリックをお願いします! 読んでくださる方の存在が励みです。※コピー、リンクはご自由にどうぞ。