やおよろずの神々の棲む国でⅡ

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【賢い子育て】 よい遊びを (10) ~子供などにとっては、とてもおもしろく ・ 危うい「ゲーム」~

2012年08月23日 | 教育5 賢い子育て:家庭編

■よい遊びを (10)
3 どんな遊びが良い遊びなのか/(3)「ヒト」や「社会」などが体験できる遊び/A.《映像や言語などによって作られた「擬似的」世界》そのものを楽しむ遊について 

●3「ゲーム」
 ※魅力的だが、総合的に考えれば「良い遊び」とは言えないようです。 

 前々回前回も、フィクションのもつ危うさについて述べました。

 そのフィクション性がもっとも強い遊びがいわゆる「ゲーム」でしょう。
(※ここで言う「ゲーム」とは、今や多くの子供だけでなく一部の大人も世界中で遊んでいる、《コンピューターと「いろいろな電子的画面」と「さまざまな操作機器」を使ってする遊びを意味しています。)

 その「没入する」という特性を最高度にもつゲームは、まだ実用化されてはいませんが、映画などではしばしば描かれる、《全ての現実感覚を遮断して、疑似(バーチャル)世界に擬似人格として入り込む》ゲームだと思われます。つまり、究極のフィクションというわけです。

1 なんらかのためになるゲームはあるか?

 (現実ではなく)擬似的に体験したり実験したりするための「コンピュータシミュレーション」という技術があります。
 例えば、その技術を使った「飛行機操縦の擬似訓練」などのように、訓練を効率的にしたり、安全な訓練をしたりするのに使う「実用的ゲーム」があります。
 また、複雑な事象について条件をさまざまに組み合わせて結果を予想するという「シミュレーション実験」も盛んに行われています。
 
 ほとんどのゲームはこれらの技術を使った遊びだと言えるようです。
 ですから、ゲームの内容によっては、それなりの有用性をもつものもあるかもしれません。

 しかし、もともとゲームをする目的は遊び・娯楽なので、それに有用性を問うことにはあまり意味はないようです。

2 危うさ

(1)眼の健康
 長時間使用により近視や乱視になる危険性が高いことは周知の事実です。実際に私の周りにも《1ヶ月ほどで急激に視力が低下した子供たち》や《乱視になった青年》などがいました。

(2)ゲーム依存症 
「薬物やアルコールなど」の依存症は物理的に説明がついてよく分かるのですが、「ゲーム依存症」や「パチンコ依存症」のような心理的(と思われる)要因についてはそのメカニズムはそうとう複雑なものがあるようです。
 いずれにしても、依存症や「し過ぎ」の状態になると、現実生活にさまざまな不利益や不都合なことが多発するので警戒しなければいけません。
 ただし、そのようになってしまう人々にとって「大きな魅力」があることはまちがいありません。

(3)現実感覚・認識の狂い
 《ある程度以上のフィクションへの没入》は、そのヒトの「脳(内世界)」に一定の影響があると考えられます。
 特に、「価値観があまりにも現実と違いすぎる」、「過度の暴力的世界」、「過度の性的世界」などへの過度の没入は、現実不適応な人格や、社会にとって危険な人格の形成につながる可能性があると思います。

(4)「思考力」への良くない影響

・<ウィキペディア:「ゲーム脳」より一部引用
 (川島隆太への)2006年の
インタビューによると、最近行われた研究について、ゲームをした直後には、一時的に前頭前野が働きづらいとしており、実際の心理学的なテストでも、ゲーム直後は前頭葉を使う課題の成績が落ちるという結果も出ているとしている。その反面、脳の後ろの部分(特に視覚的情報を処理する部分)は、ゲームをした直後に一時的によく働くようになり、この部分を使う課題の能力も向上するとしている。
 これらの実験結果から、「ゲームをすることによって、我々の脳に何らかの影響を与えるらしい、その直後
作業に。前頭葉の作業は抑制的に働き、視覚情報処理系の作業には亢進的に働くという性質が見えた。」と分析し、「学習には前頭葉を使うから、そういう意味では学習する前にはしないほうがいいだろう。しかし、学習をした後や、本を読んだ後にゲームをすることには何ら問題はないだろう。」としている

 つまり、ゲーム禁止・反対論者ではない川島氏でも、科学的研究の結果として、《ゲームをしたら前頭葉の働きが抑制される》ということを認めています。
 それは、《ゲームをしたら思考力が抑制される》、あるいは《思考するシステムが抑制される》ということを意味しています。

 これは、私見では、《ゲーマーは主体的行動をするように見えるが、結局は「ゲームの瞬間的局面」に「反射的に対応」していることがほとんど》、《ゲームの条件・ルールなどすべて「制作者」が作ったものであり、遊ぶ人間はあらかじめ限定された枠内での限定された行動しかできない》ようになっていることにも、大きな原因があると思います。
 つまり、あらかじめ「思考」に枠がはめられているわけです。

 一方、「鬼ごっこ」などの現実の世界での遊びでは、遊んでいる子供たち自身で「条件やルール」を変えていくことは普通に行われていることです。条件やルールを変えるにはかなりの思考力が必要です。

(5)生身の人間とのコミュニケーションの乏しさ

 多くのゲームが「一人遊び用」です。
 例えば、同じ場所に複数の子供たちがいて、一見《みんなで遊んでいる》ように見えても、実際は、それぞれがゲーム機や携帯で《孤独な遊び》をしている光景・・・もうおなじみですね。
 いっしょにいる必要はないのにいっしょにいる・・・これは「人どうしの絆」と言えるのでしょうか?
 
 以上のことを総合的に考えれば、
 子育てをする大人にとっては、ゲームは、子供などにとってはとても魅力的な遊びだが、他の「より良い遊び」をやめてまで熱中させてよい遊びではない、ということができます。

 できるだけ、ほかのより良い遊びをするように指導・誘導するのが賢い子育てだと思いますが、いかがですか?


~次回、家庭での遊び、友達との遊び

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