楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

旅に出る理由

2009-10-27 00:31:30 | Weblog
昨年の今頃は空白の時間を過ごしていた、と言うと何だか聞こえは良いけれど、実のところは、昨年の10月は仕事を辞めてから次の仕事まで無職の状態を過ごしていた。晴れた昼下がりに京橋の裏通りをフラフラと歩いていると向こうから以前に仕事をしたことのある人を見つけた。声をかけると驚いた様子で立ち止まった。転職した会社を1年と経たずに再び辞めたことを伝えると、少々呆れ顔で私の様子を見て手短に話を切り上げた。その後、その人に再び会ったことはない。
辞めた翌日からブータンへ行く予定は飛行機のチケットが取れずに諦めたから、目的地を変更してパリを旅した。それから一年が過ぎていることを相方に話すと「そういえば、どこにも行ってないね」という返事が返ってきた。決してそんなことはない、と思ったのだけれど、海外旅行に行っていない、という意味だと少し経ってから気付いた。確かに外国には行っていないし、残念ながら今のところ外国に行く予定もない。今は仕事があるから、行けなかったブータンへの距離は昨年より遥かに遠くなった。
今週末も同じように京橋のあたりから銀座にかけて歩く。平日ではないから多くの店は閉まっているし人通りも少ない。この10月も後半になって少し寒くなってきたから首に巻き物を巻いて、靴下を履いてからサンダルで出かけた。去年の今頃と全く同じ格好だけれども、休日だから怪訝そうに眺める知り合いに会うこともない。清々とした秋の休日だ。
東京駅の長距離バス乗り場の遠くに向かう人たちを羨ましく眺めながら通り過ぎ、線路に沿って歩いていくと右手を新幹線が通り過ぎた。新幹線では外国には行けないけれど、旅は遠くにいけば良いというものではあるまい。ならば、近場には出かけているから旅に出る言い訳が見つからない、と混乱しながら通りがかりの書店に入って手にした本に「遠くへ行くほど旅らしくなるのは当然であるけれど、日常性からの脱却が旅であるとの観点からすれば、「旅」はどこにでもある。」という一節を見つけた。思わぬところに旅に出る理由を見つけて嬉しくなった。

※宮脇俊三『終着駅』(「身近なところにも『旅』はある」)
 上の文章の最後は「金もなく暇もなくても「旅」はできるものだと私は考えたい。できれば、金がないほうが良質の旅ができるというところまで。」と結ばれていて、繰り返し読んでは旅への想いを巡らせています。