楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

イームズの言葉と映像。

2008-06-09 20:46:22 | 散歩。
新聞とNHKがあれば事足りるという人も少なくなったかもしれないが、案外、今の自分にとって新聞は主な情報源であるように思う。もちろん雑誌も見れば、インターネットも見るのだけれど、意外な方向からの情報をフラットな形で届けてくれるのは、新聞なのかもしれない。六本木のアクシスギャラリーでやっていた「CHARLES EAMES 100images×100words」もいくつかの雑誌で見たときに行こうとは思っていたけれども、新聞の紹介記事が一番印象に残っているのは、記事が優れていたというよりは、新聞という今となっては特殊とも思われる媒体のせいのような気がする。勿論、いつものようにこっそり切り取ってポケットに忍ばせた。
平日の閉館間際だったからか会場は人も少なく落ち着いていた。展示自体が素晴らしいので自分のような者がどうこうと言えるものではない。イームズによる100枚の写真と100枚の言葉が整然と並べられている。デジタルカメラもなければ、インターネットもなかっただろうけれども、たとえそれらがあったとしても、きっと同じ言葉と膨大な映像を残しただろう。会場のチラシで知った目黒美術館での16mmフィルムの上映会の映像を見た後も同じようなことを思った。直感的なひらめきであっと驚かせるということよりも、小さな事実の積み重ねていった結果として大きな確かな驚きが生まれている。勿論、天才的なアイデアがそこにあることは事実なのだけれども、特別な事象がそこにあるわけではない。当たり前のバランスのとれた生活があって、そこに案外幸せやユーモアが転がっていることをものの見事に見せてくれる。身近ではあるけれど、小さな幸せを大事に温めましょう、というのではないところがとても良いのだ、と勝手に思い込み、満足して会場を出た。
権之助坂を上っていると小さな男の子が脇を走り抜けた。ふと止まったかと思うと引き返して飲み屋の縄暖簾の前で立ち止まった。暖簾の一本を掴んで軽く振ってから拍手を叩いて飲み屋の扉に向って深々と頭を下げた。母親らしき人が「神様ではないでしょ」と諌めているのを見ているうちに、無性に自分も縄暖簾をくぐりたくなってきた。

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