楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

新しい東京。

2008-07-02 00:47:08 | 雑記。
霞ヶ関の駅を出て仕事場のある虎ノ門に向かう途中にある飯野ビルを通りがかると、数ヶ月前までは開いていたシャッターが全て下りてしまっている。このビルも建て替えになるのだろうかと思いながら通りの向かいを見ると、道路を挟んだ経済産業省の別館も工事の真っ最中だ。丸の内で見た建て替えの波が全く関係ないと思われた霞ヶ関までやって来ているのだろうか。
少し前の新聞に化粧品会社が衣料品部門から撤退する記事が目に入ったと思ったら、数日後には日本橋の老舗書店の洋品部から店を閉じるというお知らせの葉書が届いた。どちらの店も数回しか訪れたことはない。それらの店がある日本橋から銀座を歩くと、目に入るのは林立する不思議な形のビルと、そのテナントであるハイブランドのショップばかりだ。銀座に行く度、どうにも不思議な気分にさせられる。特に銀座という街に強い思い入れがあるわけではないけれども、こうした変化が世界水準であるならば、自分は世界水準についていく自信がないと思わされてしまうのだ。昨今の「昭和」礼賛についていけるほど歳をとってはいないけれど、建物が竣工した時代の夢を現しているとするならば、取り壊されつつある、かつての建物が抱いていた夢の方が自分にとっては健康に思える。
先日、銀座のニコンサロンで民俗学者の宮本常一の写真記録を見る機会があった。ハーフカメラで撮られた60年代を中心とした地方の暮らしを写した写真は勿論、面白かったが、宮本が15歳のときに就学するため住んでいた島を出るにあたって父親から送られた言葉に興味を引かれた。始めにこう書かれていた。一部を抜粋する 「田や畑に何が植えられているのか、育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦葺か藁葺きか、そういうことを良く見ることだ。駅に着いたら人の乗り降りに注意せよ。そしてどういう服装をしてるかに気をつけよ。また、駅の荷置き場にどういう荷が置かれているかも良く見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、良く働くところか、そうでない所かよく分かる」。自分のような者でさえ決して健康とは思えない今の東京の街並みは、果たしてどのように映るのだろうか。隣のライオンビアホールの変わらない建物と賑わいの中で冷たいビールを飲み干し、そんなことは暫く忘れよう。

クラフトフェアの楽しみ。

2008-05-15 00:52:55 | 雑記。
毎朝の通り新聞を捲っていると雑誌の広告に目が行く。文化出版局の「ミセス」という雑誌の広告。私自身は勿論ミセスではないけれども、インドと松本が特集されているからには、見逃すわけには行くまい。その日の新聞を読み終えると広告を切り抜いてバッグにしまった。切抜きなど既にミセスにはあるまじき感もするが、切り抜いた広告を何度か眺めてから近くの書店でその雑誌を購入した。興味の行方はミセスにあるのか、いや、やはり私はミセスには程遠い。
松本を訪れたのは昨年の5月だった。あがたの森公園で開かれているクラフトフェアを見に行くために朝早く新宿からの列車に乗ったのが1年も前のことだとは信じられない。クラフトフェアはとにかく面白かったし、自転車を借りて行った松本民藝館も、勿論、開運堂のソフトクリーム(鳥の形のロボットが作ってくれる)も最高だ。お土産に買った白鳥の湖の味も思い出しては、もう一度食べたいと思っていた。今年もそろそろかという矢先だったから何ともタイムリーな特集と思いながら雑誌を読んだ。新しい情報もたくさんあって再来週が楽しみになってきた。
昨年のクラフトフェアからの帰り道に松本城の近くの古本屋で長新太の「絵本画家の日記」を買い求めたことも確りと覚えている。購入して帰りの車中で面白く読んでから一度開いたかどうか。久しぶりに思い出して本棚から引っ張り出して眺めながら、こうやって買ってから一度も聴かなかったレコードや読んでもいない本のことを考える。年々、消化するよりも購入する物の方が増えつつあるような気がしている。無駄遣い、と言われるかもしれないけれども、勝手に「身になっている」と思い込もうとする度合いも年々増しているかもしれない。今年は何を買うのだろうか、そうやって思い始めている時点でやはり「身に付いている」とは言い難い。確か去年の列車は満席だった、都合の悪いことはさて置き、そろそろ松本行きの支度を進めなければなるまい。

冊子の行方。

2008-03-07 00:29:30 | 雑記。
以前にも書いた「雲のうえ」の第6号が1月の下旬に出ることは、第5号の末尾に書いてあったので知っていた。わざわざ第2号から第4号までを取り寄せてしまうほど第5号が楽しかったから、6号が出たらすぐにでも手に入れたいと思っていた。取り寄せた冊子をじっくり読んだのかといわれると答えに窮してしまうが、とにかく興味を持ったら手に入れなければ落ち着かない。発売日に手に入れないと一生手に入らないのではないかと思っても、そういったものの多くが手に入れれば満足するといった類のものだったりする。そして、無理をして入手しても時間が経ってから店頭で見かけることも少なくなかったから、歳を重ねるにつれ無理をする回数も減った。
1月下旬になってからは、「雲のうえ」の第5号を手に入れた松坂屋の地下の本屋に何かに付けて立ち寄るようにしていた。毎週覗いては届いていないことを確認するということの繰り返し。そして立ち寄る度に本やら冊子やらを購入しているから、すでに「雲のうえ」は自分にとってフリーペーパーではないような気がしている。2月に入って随分経っても、件の書店の店頭に見かけないので、配布先リストを確認すると、目白の美容院の帰りに寄れそうな場所にある古書店で配っていることがわかったから、髪を切るのをいつもより少し早めて雑司が谷にある明治通り沿いの古書店に寄った。漸く手に入ったから大事に読もうとすぐに読まずに持ち帰った。そうして持ち帰ったまま枕元に置いてある。やはり手に入れるだけで満足というはずはないのだけれど、次に手に入れたいものに興味が移りつつあるのは否めない。
先週の日曜日に、何気なく松坂屋の地下の書店に立ち寄ると書店のスタッフから嬉しそうに「入りました」と話しかけられた。入荷するのを楽しみにしていたのを覚えていてくれたようで、今回の内容もとても良いと言いながら冊子を渡してくれた。まさか既に手に入れたことも言えないし、手に入れてから時間が経ったのにまだ読んでいないことなど言えるはずも無い。

雲のうえ。

2007-12-03 01:43:50 | 雑記。

家の近所のスーパーマーケットで新しい「Ginza」を立ち読みしていると、淀川美代子さんのページがあることに気付く。とりあえず気になったのでそのページを捲って読み進めると、淀川さんが今やりたいこととして「Olive」を再編集したいというようなことを挙げている。その中で「もしできれば」という注釈付で以前にOlive特集を組んでいた「Quest」というフリーマグを再構成したいというような言葉を見つけた。かつて家には姉が欠かさずに買っていた「Olive」があった。本棚に大事に保管しているものも、買ってきたばかりの物も家にあったそれは大体目を通していた。そこからどんな影響があったのか、ということなど全くわからない。ただ相方も大事に取っておいているという話を聞くと、どうやら深い縁がありそうだし、「Quest」が特集をしていたとはまた何かの縁だろう。ローカルのフリーペーパーだったQuestの編集長とは地元の縁で二度ほど原稿を書いた記憶がある。今では全国区のフリーペーパーに成長した事を聞き、随分と活躍しているのと比べると、全く自分がフラフラしていることに気付く。

今日もフラフラとして、銀座を歩いて松坂屋の地下の書店に寄って並んでいる本を眺めているとフライヤーと共に並んだ冊子が目に入る。小冊子だって立派に値段が付けられていることが多いのだから、手に取るかどうか悩んでいると、スタッフの女性から「どうぞ」と声を掛けられた。何とも立派なフリーペーパーだと感心したことを伝えると、北九州市が作成しているものであることや、表紙イラストからプロデュースがクウネルのスタッフと同じであることを教えてくれた。何々風というか、オマージュなのかコピーなのかわからないようなものが多い中で、本人が意思を持って自分のスタイルを持ち込んでいることに感心させられる。それ以上に紹介されている食堂が美味しそうなのが何よりだ。次の旅行はスターフライヤーで北九州に行こうと思わせるのだから、やはり優秀なPR誌である。5号まで出ているこの冊子の第1号が「角打ち」所謂呑み屋の特集のようだが、1号は配布終了。やはり読み手もどこか通じているものがあるようだ。

リコーダーの音色。

2007-10-26 00:55:19 | 雑記。

久しぶりに相方と実家に戻った。母親と前から話していた染色をするためだ。前日の夜に実家に戻って翌朝はいつもより早く起こされた。染色をする相方を送り出してからボンヤリと過ごす。前週の寝不足が祟ったのかボンヤリとしているうちに眠ってしまった。コーヒーテーブルの下に「アルプ」を見つけた、串田孫一特集とある。三年前に亡くなった串田孫一のアンソロジーともいえる内容。ひと眠りした後なので面白く読んでいるうちにあっという間に昼になった。作業をしている近所の公民館まで出かけて皆で昼食をとっていると父親がやってきた。懐にリコーダーが見えた。隠すわけでもないのだろうが、堂々と手に持っているのではなく、リコーダーが懐に入っている。どうするのかと問うと、公民館の裏を流れる川のそばで笛の練習をするのだという。川の流れの音があるから迷惑にはならないと言うが、どこまで本気かわからない。

食事を終えてから再び眠る。少し寒いと思いながらもぐっすりと眠った。公民館の職員がブラインドを下げてくれたことも全く知らない。本当によく眠ったが、近くから笛の音も聞こえてこなかったようだ。もしその音に気付いていたら果たして眠れたのだろうか、と少々気になる。再び家に戻り「アルプ」を読んでいると尾崎喜八が文章を書いていた。矢内原伊作のことも尋ねれば何か出てきたことがあったのだから、尾崎喜八だって何かあるだろうと思い、尋ねると当然のように「沢山あるよ」と答えが返ってきた。ちょっと待つように言われて二階に上がって戻ってきた父親の手にはレコードがあった。尾崎喜八の朗読のレコードだという。既にプレーヤーのなくなった実家では聞くこともできないから持っていくように言われて鞄に詰め込んだ。

家に帰って早速聴いてみる。山と鳥と森が好きだというような話、相方と面白いと顔を見合わせているとスピーカーからリコーダーの音が聞こえてきた。60歳を過ぎてから始めたという話が続いている。父親が川のそばで笛の練習をする気持ちが少しわかったような気もしたが、自分も吹いてみたいというところまではまだまだ至らない。