山岸凉子『パエトーン』

2011-03-29 23:42:33 | Weblog
 私が初めて原発の恐怖を知ったのはまさにこのマンガ(大方のことはマンガから学んだクチなのです 笑)。
 原発の負の面しか知らなかったので、「必要だ」という人を見ると本当に目を疑った。この人はリスクを知らないのか? どう対処するつもりか?? と。
 実家に置いてあるこの本をもう一度読み返したいなあと思っていたら、見つけた
 チェルノブイリの事故がどういうものか、報道されない、というかそもそもの前提を理解することができたし、あの時にこのマンガを読んで理解しておけたことはよかったと今でも思っている。まさか、こんなかたちで人生にかかわってくる(しかも人生が変わってしまう)とは夢にも思わなかったけど。

 いや、夢にも思わなかったことは……ない。「危険がある」と知っていたし、その後のもんじゅや東海原発のニュースを見聞きして、やっぱりリスクが高いという理解を裏付けられていたから。
 でも、知っていたのに何もしてこなかったことは、ある意味同罪なのかもしれない、と思う。


 これが25年前に描かれたものだということが軽いショックだった(自分の人生にそんなに時間がたっていたのか……笑)。そして、「放射能の恐ろしさは人間の注意力や忍耐の限度を超えたところにあるのです」ということばの意味がわかってしまったことが、再読後の最大の感想だということ。

自分にはないもの

2011-03-29 23:27:25 | Weblog
 自分にはない「やさしさ」に、感動することが増えている。
 こんな気配り、気遣い、そして思いやり、私にはないよ……という発見と、感動。いかに自分に情がないことか知らされつつ、友人たちのもつそのやさしさと、やさしさから発せられる言葉と行動に深く頭が下がる。
 自分も身に着けたいと思うし、そういう出会いの機会そのものに感謝する。

 こういうのは、きっと若い時には気づけなかったことだから、年齢を重ねることのメリットだと素直に感謝しよう(笑)。

悲しむのは復興してからにしよう

2011-03-29 00:43:13 | Weblog
 今さっき、被災地にいるニュースキャスターが言った言葉に心が釘付けになった。
 「悲しむのは、復興してからにしよう。」女川町長の言葉だそうだ。
 一瞬で、一気にいろいろなことが起きて、目の前も途方にくれるような事態で、自分のことさえままならないのに、家族や親族、友人の行方がわからない。もう、どこから手をつけていいのかわからない状況の中(テレビを通して見ていてもそうなのに)、自分の感情のことなんてとりあっていられない。でも、感情が、どうしていいかわからない。
 そんな時に、この言葉は、落ち着きというか気持ちを整理する方向を示してくれたように感じられた。いつまでも悲しんではいられない。でも、この気持ちをどうしたらいいのか。その狭間で揺れていたこの2週間で初めて方向性を見せてくれた。

 未曾有の大災害、どんどんいろんなことを見聞し、体験しよう。この災害を避けたり、人ごとにしたりするのではなく、自分なりの問題として捉えよう。今、同時代にいるのだから。しっかりこの目で見て、心で感じて、頭で考えていこう。被災地の方々が、毎日、ごはんを炊くことができて、あたたかい食事ができるようになるまで。