とにもかくにも いらん

2011-03-16 23:57:13 | Weblog
 今日も刻々と変化するニュースを見ながら、心底思う。
 原発は、もういらん。
 ドイツみたいに、全国一斉にストップしてもらいたい。
 火力発電と水力発電でまかなえるまでの不便をしのぐほうが、よほどいい! 
 現場で必死に取り組んでおられる関係者各位のことを思うと、本当に頭が下がる。そして言葉を失う。……この不安は背負うには重すぎる。

情報の取り扱い方

2011-03-16 23:43:43 | Weblog
 まだ一週間もたっていないのに、めまぐるしい「非日常」すぎる情報(報道)の連続に、さすがに頭が疲れてきた。
 家に帰ってネットの情報を整理するのに、本当に2時間近くかかる(昨日も今日もすでにこの時間。。。)。
 加えて、おそらく相当な不安と圧迫感。実際の被災地にいる方たちとは比べ物にならないが、それでも、想像を超える広範囲の人たちが、自分も含めて非常なストレスにさらされ続けているのだろうと想像する。
 すごいことだよな。本当に。ほんとうに。

 そうやって次々と発信される情報を整理しながら振り分けていくのだが、情報の取り扱い方を間違えると、振り回されたりパニックになったり、あるいは受け止めきれずに拒否しまったりすることもある。
 情報には、取り扱い方があるらしい。お金とか、時間の使い方と似ているように思う。
 一番最初に大きな揺れに驚いた時、「建物から退避してください」とスタッフを誘導した人のことを印象深く覚えている。離れたところにある総務からの指示を、叫んだり大声を出したりせずに冷静に伝えてくれたからこそ、こちらも慌てずに落ち着いて状況を判断し荷物をまとめて外に出ることができた。もしあの時急かされたりへんに感情的になられたりしていたら、不安が倍増し、ムダなリスクが増えていたと絶対に思う。あの時にあの人がその役を果たしてくれたことを深く感謝し、何度も思い出す。
 たくさんある情報の判断の取り扱いに通じるものがあるとも思う。
 
 この困惑の日々、毎朝の静思の時間に、神さまから「今目の前にある困難・苦難の向こうに、必ずまだ見たことのない新しい喜びがある」と、繰り返し語られているように感じる。それがどういうことを指すのかはわからないが、目に見えない世界を見る視点も忘れずにいかなければ、と思っている。

 というわけで、考えることがいっぱいあって仕事が手につきません(笑)。