タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

田中角栄の自伝

2022年07月20日 | 徒然なるままに

前回の記事「峠~最後のサムライ」のコメントに、sakaさんが田中角栄のことを書いてくださいました。ボクが子ども時代の政治家・田中角栄の存在は長岡市(旧・新潟三区)では絶対的なものであり、彼の後援会である越山会の力も相当なものであったと記憶しています。今日はそんな田中角栄に関するボクの思い出話です。

ボクが小学6年生の時に、小学校の図書館に1冊の本が寄贈されました。田中角栄の自伝「わたくしの少年時代」です。おそらく田中角栄が自民党幹事長の頃だと思います。ボクの小学校にだけ寄贈されるわけはないですから、おそらく長岡市内(か新潟県内)の全小学校に贈られたのでしょうね。選挙区である新潟三区内の学校に寄贈されたのかもしれません。

当時、ボクは児童会の図書委員長をしていて、担当の先生から「児童の代表としてお礼の手紙を書きなさい」と指導を受けました。たぶん嫌々だったと思うのですが、ボクは田中角栄宛てに手紙を書きました。中身は覚えていませんが、ボクの書いた下書きを担当の先生が手直してくれて、清書したような気がします。

それからしばらくたって、ボクは担当の先生と教頭先生に職員室に呼ばれました。「八百政くん、君の書いたお礼の手紙の内容がとても素晴らしいと、田中先生が感心していらっしゃったそうだぞ。誉めてくださったそうだ。よかったなぁ。」まぁ、誉められたわけですね。嬉しかった記憶があります。きっと秘書か越山会の方がお愛想を言ってくださっただけなんでしょうけどね。でもボクはしばらく、「俺、田中角栄に誉められたがぁぜ」と、友達に自慢していたように思います。

まぁこれだけのことなんですが、新潟県出身の若手政治家としてもっとも勢いのある時期であった田中角栄に、当時のボクは小学生ながら憧れと親しみを持ったのは間違いありません。そしてその数年後に彼は「今太閤」ともてはやされて内閣総理大臣の座に登り詰め、さらにその数年後にはロッキード事件で失脚します。

ただ、今回この記事を書くにあたりいろいろ調べてみたら、1つ謎が残りました。田中角栄が「自伝・わたくしの少年時代」を刊行したのは、昭和48年なんですよ。昭和48年といえば、ボクは中学生です。あれ?ボクが図書委員長をしていたのは中学校の時だったのだろうか?いやそんなことはありません。ボクは中学時代は生徒会の本部役員をやっていたから、図書委員長ではありません。するとこの田中角栄の自伝は、一般発売される前に学校に寄贈されたのかな?あぁ…なんかボクの記憶も曖昧になってきました。真相は如何に??

コメント (3)
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