タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

信越線があのルートを通っている理由

2022年07月12日 | 徒然なるままに

今年2020年は、大河津分水の通水100周年の年なんだそうです。小学生時代に社会科の時間に初めて習って以来、「大河津分水の完成によって越後平野の水害がなくなった」という程度の知識はありましたが、地元が世界に誇る歴史的にもビッグな土木工事でありながら、ボクはあまりに大河津分水に関する知識がありませんでしたので、ちょっと研修会に参加してきました。

わずか1時間ちょっとの研修会でしたが、講師の信濃川河川事務所の方が準備してくださった資料やお話がわかりやすく、とても勉強になりました。

度重なる信濃川の洪水を防ぐため、江戸時代の半ばから構想された「大河津分水」が完成し通水したのは1922年(大正11年)。1度は中断され完成があきらめられた大河津分水の工事が再開したのは、明治39年の「横田切れ」による大きな被害だったとのこと。

それまで2~3年に1回は起きていた信濃川の洪水が、大河津分水の通水以来1度も起きていないというのですから、この土木工事がいかに県民の生活向上に寄与してきたかがわかります。もちろんそれだけではなく、湿地帯で作物が育たなかった広大な越後平野が日本有数の大穀倉地帯に生まれ変わり、「米どころ新潟」が誕生したのも大河津分水が完成したおかげです。

今回のお話を聞いてボクが「え~?そうだったのか!」と驚いたことに、JR信越線のルートがあります。ボクが長年抱いていた信越線の謎が、解き明かされました。

JRの信越線の長岡から新潟までの路線って、「なんでこんなに遠回りするんだろう?」ってボクは利用するたびに感じていました。「上越新幹線や北陸自動車道のように、越後平野のど真ん中を突っ切ればずっと時間が短縮されるのに」ってね。だけど、信越線が完成した当時はまだ大河津分水の完成前です。湿地帯でしばしば洪水に見舞われる越後平野に鉄路を敷くなんて、とてもできないことだったのですね。

いやぁ~勉強になりました。「上越新幹線や北陸自動車道も大河津分水があったからこそ実現できた」ということに、納得しましたよ。

今回お話をお聞きし、新潟県に大きな恩恵をもたらしている大河津分水について、もう少し知識を広げたいなと思いました。この夏に「信濃川大河津資料館」に行ってみようかな?

 

コメント (2)
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