2011.3.19(土)
静岡市郊外の里山、満観峰に登ってきた。3月11日の大震災後初めての山歩きだ。
地震発生。静岡市駿河区の職場では緩やかな横揺れ(職場の壁に設置されている震度計の電光表示は「1」)から始まった。
緩やかな横揺れは次第に大きくなり、うねりのような複雑な動きを伴うようになり
壁の震度計は「2」になり「3」になり「4」となった。
気が付けば、ヘルメットを被りデスクの下に隠れるよう、職場の同僚に声を掛けていた。長い揺れだった。
テレビでは地震速報とともに津波警報を報じている。
震度は「7」。10mの津波予想。
「ほんとかよ!?」。職場はどよめいた。
NHKではライブで津波の様子を報じていた。
川をさかのぼる津波が映っている。その津波がやがて田畑、道路上の車、そして家々を襲っていった。
津波の恐怖が初めてリアルタイムで報じられた瞬間。まるで悪夢。
その日から、静岡県でも震度6強の揺れがあったり、被災地に向けて自社の備蓄食料を送り出したりと
大地震からの1週間はあっという間に過ぎ去った。
慌ただしい日々の中、なぜか心は萎えていた。
ゆっくり山道を歩きながら、いろいろなことを考えてみたい、静岡の町をじっくり眺めてみたい、
そんな思いで満観峰へ向かった。
写真を撮ろうという気持ちが無かったからか、デジカメを持たずに出掛けてしまった。
写真は携帯電話で撮影した。
冒頭写真は満観峰山頂。
丸子側の登山口から約50分、好展望で知られる朝鮮岩に到着。富士山を借景にした静岡平野を望む。
市中心街の手前、写真を左右に横切っている川は安倍川。東海地震が引き起こす大津波はこの安倍川をさかのぼって市街地に至るとも言われている。
前の写真と同じ場所からやや南を望む。
右の港は用宗(もちむね)港。海岸線を左にたどると安倍川河口、大浜海岸、久能海岸と続く。
と、突然、東北の大津波の映像がフラッシュバックしてよみがえり、一瞬、見下ろす静岡の街並みが荒波に蹂躙されるシーンが脳裏をよぎった。
住宅が海岸線間際までびっしり。用宗港のすぐ手前には東海道新幹線、東名高速、東海道本線、国道150号が走る。
今東海地震が起きたら、間違いなくわが静岡は壊滅的な打撃を受ける。
今回の大震災を想定した防災対策、とりわけ津波対策が備わるまで、せめてあと20年、東海地震が起きないことを心の底から祈った。
賑わう山頂。
こちらは焼津港方面。津波対策先進エリアだが、想定基準のレベルをさらに引き上げる必要があるだろう。
下りで見渡す静岡平野南部。平野左に斜めに走る黒っぽいラインは東名高速道。
東海地震に続く大津波は、この東名高速道の土盛りでストップするだろうと言われている。
しかし、今回の大津波を見る限り、津波は東名高速を乗り越えて北上するように思われた。
ここからは3月20日(日)の散歩の風景。
自宅近くの城北公園の枝垂れ桜はほぼ6分咲き。
浅間神社から賎機山へ。左の斜面は日当たりもよく、シーズンにはちょっとしたお花畑が出現する。
この日はスミレが主役。
そこここに可憐な姿を見せていた。
一人ひとりは微力だが、集まりうねりとなれば偉大な力を発揮する。一人ひとりが動くことで未曾有の災厄を乗り切ることができるだろう。
静岡市郊外の里山、満観峰に登ってきた。3月11日の大震災後初めての山歩きだ。
地震発生。静岡市駿河区の職場では緩やかな横揺れ(職場の壁に設置されている震度計の電光表示は「1」)から始まった。
緩やかな横揺れは次第に大きくなり、うねりのような複雑な動きを伴うようになり
壁の震度計は「2」になり「3」になり「4」となった。
気が付けば、ヘルメットを被りデスクの下に隠れるよう、職場の同僚に声を掛けていた。長い揺れだった。
テレビでは地震速報とともに津波警報を報じている。
震度は「7」。10mの津波予想。
「ほんとかよ!?」。職場はどよめいた。
NHKではライブで津波の様子を報じていた。
川をさかのぼる津波が映っている。その津波がやがて田畑、道路上の車、そして家々を襲っていった。
津波の恐怖が初めてリアルタイムで報じられた瞬間。まるで悪夢。
その日から、静岡県でも震度6強の揺れがあったり、被災地に向けて自社の備蓄食料を送り出したりと
大地震からの1週間はあっという間に過ぎ去った。
慌ただしい日々の中、なぜか心は萎えていた。
ゆっくり山道を歩きながら、いろいろなことを考えてみたい、静岡の町をじっくり眺めてみたい、
そんな思いで満観峰へ向かった。
写真を撮ろうという気持ちが無かったからか、デジカメを持たずに出掛けてしまった。
写真は携帯電話で撮影した。
冒頭写真は満観峰山頂。
丸子側の登山口から約50分、好展望で知られる朝鮮岩に到着。富士山を借景にした静岡平野を望む。
市中心街の手前、写真を左右に横切っている川は安倍川。東海地震が引き起こす大津波はこの安倍川をさかのぼって市街地に至るとも言われている。
前の写真と同じ場所からやや南を望む。
右の港は用宗(もちむね)港。海岸線を左にたどると安倍川河口、大浜海岸、久能海岸と続く。
と、突然、東北の大津波の映像がフラッシュバックしてよみがえり、一瞬、見下ろす静岡の街並みが荒波に蹂躙されるシーンが脳裏をよぎった。
住宅が海岸線間際までびっしり。用宗港のすぐ手前には東海道新幹線、東名高速、東海道本線、国道150号が走る。
今東海地震が起きたら、間違いなくわが静岡は壊滅的な打撃を受ける。
今回の大震災を想定した防災対策、とりわけ津波対策が備わるまで、せめてあと20年、東海地震が起きないことを心の底から祈った。
賑わう山頂。
こちらは焼津港方面。津波対策先進エリアだが、想定基準のレベルをさらに引き上げる必要があるだろう。
下りで見渡す静岡平野南部。平野左に斜めに走る黒っぽいラインは東名高速道。
東海地震に続く大津波は、この東名高速道の土盛りでストップするだろうと言われている。
しかし、今回の大津波を見る限り、津波は東名高速を乗り越えて北上するように思われた。
ここからは3月20日(日)の散歩の風景。
自宅近くの城北公園の枝垂れ桜はほぼ6分咲き。
浅間神社から賎機山へ。左の斜面は日当たりもよく、シーズンにはちょっとしたお花畑が出現する。
この日はスミレが主役。
そこここに可憐な姿を見せていた。
一人ひとりは微力だが、集まりうねりとなれば偉大な力を発揮する。一人ひとりが動くことで未曾有の災厄を乗り切ることができるだろう。
この日は穂積神社に至る農道から静岡市街地を隔てた西部の山並みを眺めました。
好天に恵まれた事もあって竜爪山への登山道入り口付近にはたくさんの車が停まっていました。
東海地震の事を思うと気が重いですが、備えだけは怠らないよう心掛けます。
彼の地では早くも復興に向けての槌音が響き始めたとか・・・・
当地のソメイヨシノには昨日「開花宣言」が出されました。
東北生まれで東北育ちの私には他人事とは思えない今回の大災害。
被災地にも一日も早い春が訪れる事を願う今日この頃です。
山は花の季節を迎えつつありますね。
この3連休、千葉に暮らす長女夫婦が我が家で過ごしました。
「首都圏脱出」です。これから静岡駅まで送ってきます。
被災地の復興が進むことを願ってやみません。