いわき市のおやじ日記

K流釣り、K馬、そして麺食いおやじのブログ。
山登り、読書、映画、陶芸、書道など、好きなことはいろいろです。

夏休みだ、本を読もう

2020年07月21日 | エッセイ

吉田拓郎の「夏休み」が心に染みる今日この頃。

夏休みといえば虫取り、水浴び、花火、天体観測、そして読書と決まっている。

夕日が沈むまで遊ぶのだ。

 

まず読書。今日はこれだけしか買ってこなかったが、家中に本が溢れているので妻には内緒だ。

4冊買ったら、ウチワのしおりもいただいた。

こんな物もあったのでスタンプ好きの私は当然手に入れる。

店の方が、「下手ですみません」といいながら、一生懸命書いて押してくれた。

なかなかいい。印を集めるために書店を巡りそうな自分が怖い。

 

夏休み【吉田拓郎】歌詞付き 【4K】【高音質/High-quality sound】

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がんばれ・・・馬

2020年07月18日 | エッセイ

6年前の年末、場所は大井競馬場。

観客席に座っていたら、隣に若槻千夏と岡副麻希を足して2で割った女性が座った。

若槻千夏岡副麻希

競馬新聞を持ってないし、レースを見ながらボソボソと「がんばれ・・・・馬」なんて言っている。

競馬にはあまり興味がない感じ。

たぶん私の隣に座りたかったんだな、とひとりニヤけていた。

 

メインレースの東京大賞典が終わると、三浦春馬さんがプレゼンターとして観客席の前に出てきた。その時、彼女は「はるまー!」と絶叫。

応援していたのは馬は馬でも春馬だったんだ。

その時のブログはこれ

 

春馬さん、ステージでは喋る喋る。

女性に「三浦春馬って、よく喋るねぇ」なんて話しかけたら、「そうなんです!明るいんです!」ってにこやかに答えてくれた。

 

がんばれなかったことがあったんだね、春馬さん。

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こんなものを買った その9 ぐらい

2020年07月14日 | こんなものを買った

吉江さん(中央)の笑顔がなんとも言えませんな。

私にとってはAKBより乃木坂よりラジオ体操のお姉さん派なので、これは当然手に入れなければならない。

 

裏は最近出演している皆さんの顔が写っている。

五日市さん、卒業してしまって残念

 

私は「ラジオ体操愛好会いわき支部長(自称)」でもあるので、ラジオ体操には少々うるさい。

高専1年生の時に、水石山少年自然の家に1泊したらラジオ体操をやらされ、自然の家のおやじが「腕の振り方はこう!」「脚の曲げ伸ばしはこう!!」などとやたらうるさく言うもんだから、私はこうはなりたくないと思っていのだが、そのおやじそのもののようになってしまった。

 

こんな物も持っている。

ラジオ体操第1の最初の伸びの運動と、3番目の腕を回す運動の時、かかとは上げません!

うるさいのです、私は。

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石川淳 「普賢」 を読む

2020年07月05日 | 

なかなか骨のある文体だ。

一部引用する。

 

一体今日行われている能はおおむね世阿弥その他発祥時代の作品をそっくり踏襲しているもので、このままに推移するときは現在の隆盛は宛てにならず、いずれ時代と大衆から置き去りにされる危険があり、そのおりには宮内省に保存される雅楽のような位置に追い込まれる他はないのであるから、斯道の発展のために時運に添うてあらたなる能を作らなければならぬというのが甚作の趣意であるが、これには私は反対で、およそ能のごとき完成された芸術にあっては、それはすでに発展しきったものなるがゆえに破壊の他には改新の余地なく、また完成されたものなればこそそれ自体において変化の相をはらみ、麤に入り細に入り真に入り俗にいる底の芸道の自在神通は約束されているはずで、ここではもはやいかなる新機軸も無慙な月たらずの姿を示すにとどまるであろうのみならず、実例としても江戸時代において多少新作のくわだてはありながら今日に残り得たのはわずかに「菊慈童」ぐらいのものか、先年高浜虚子山崎楽堂ら二三の着手は見たものの結局好事家のわざくれに終わっている有様に徴すれば、まず新作などは徒労の沙汰というべく、まして作者ではなく演者の立場にある甚作としてその努力はかえって当流の異端と目されるのがおちではないかと再三注意を与え、ただ現代の美はすくなくとも能の中からは燃え上がらぬという点ならびに甚作の文学的教養に不足を感ずる点については露骨に触れることを差し控えつつ翻意をすすめたにもかかわらず、思いつめた相手は聾同然、いこじな生まれつきでもある甚作はますます新作の間にしがみつき、すでに書き上げたいくつかの草稿を読み上げては、ここの舞は囃子はと心もそぞろのていなので、私はもう何を言っても無用と覚り、そのどれもが先人の作とは似ても似つかぬ貧相なものであることを指摘する気にもなれず、ふんふんと聞き流すばかりのうちに、やがて問題となったのが「蝉丸」の改作であった。

 

という具合。

「饒舌体」なんだろう、これで一文である。最近では町田康。

 

昔の小説は噛みしめなければその意味や重要さ良さを理解するのが困難で、飲み込むまでに時間がかかるのはスルメのようであり鮭とばのようであり干し芋のようでもあり、それはそれで脳の栄養にもなるのであるからたまにはいわゆる純文学というものも読んでみるのがわたしのような初老で頭が呆けかかってる年代には必要であろうし、たった70ページを2ヶ月近くかけて読むのもいわゆる遅読というものであろうが、本の内容を正しく理解しじっくり味わうには必要なことであって、特に「普賢」のような難解な文章は速読では駄目で今回のように熟読する必要があるのだが、熟読しても訳がわからんものはわからんもので単に時間の無駄という人もあろうが、読書というものは単に知識を得るだけに読むものもあるが小説というものはじっくりと読みながら様々な想像を膨らませるのが大きな魅力で、言葉や文章を噛みしめ理解しながら読み進めていくべきものであり、ときに気になる文章があれば控え書きなどしてのちに読み返してみるのも楽しみ方の一つだから今回もこのような私にしかわからない相関図と読書ノートが出来上がったわけである。

文章が長けりゃいいってもんじゃない。行動や想像と時間の流れを感じさせるような文章ができたら小説家デビューすることにする。

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Webデザイン科の皆さん、お疲れ様でした

2020年07月05日 | エッセイ

1月21日から5ヶ月の予定で行ったWebデザイン科の訓練。

新型コロナウイルスの影響で、途中2週間の休みがあったので、今日(2日)修了。

Illustrator 、Photoshop、Dreamweaver、InDesignなどのアプリの操作法、HTML、CSS などを教えました。

 

平日はほとんど毎日顔を合わせていたので、急に見なくなるのは寂しいですね。

またどこかでお会いしましょう。

最後に素敵なプレゼントをいただきました。

ハズキルーペ用のグラスコード。

名前入りです。

これは超うれしい。

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