いわき市のおやじ日記

K流釣り、K馬、そして麺食いおやじのブログ。
山登り、読書、映画、陶芸、書道など、好きなことはいろいろです。

栗ジャムを作ってみました

2024年09月28日 | 料理

今月25日に好間保育所の子ども達と栗拾いに行きました。

3年ぶりの豊作らしく、大きな実がたくさん生っていました。

1kgぐらい採りました。

去年は栗ご飯を作りましたが、剥くのに苦労したので楽できないかと思い、今年はジャムにしました。

よく洗って

40分茹で、半分に割って実をかき出しました。540gになりました。

砂糖150g(栗の約30%)、塩3つまみ、水140ccを入れ、

木べらでかき混ぜながら弱火で9分煮たら出来上がりです。

縄文人ってこんなことをしてたんだろうな、と思いながら作りました。

栗ご飯より簡単です。少し砂糖を減らしても良かったかもしれません。

次回に生かそうと思います。

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「箱男」

2024年09月27日 | 映画

安部公房は好きな作家で、10代から20代にかけていろいろ読みました。

(「密会」は単行本もあったはずですがすぐに探せませんでした)

「箱男」を最初に読んだのは20歳ぐらいの時だったと思います。

登場人物は多くないですが、その関係が複雑で、一体この部分は誰が一人称で書いてるのか、この部分は誰かの妄想なのかリアルなのか、などストーリーもテーマもほとんど理解できず、私には歯がたたない小説だと思いました。

 

映画「箱男」が封切られるというので、45年ぶりに再読しました。

少し内容を理解できたものの、頭の中は混乱し、曇りガラスで世界を見るようなぼんやり感があり、ぶつかっていったら思い切り跳ね返された気分です。

この小説は何度も読み返さないと理解するのは難しそうです。そもそも理解不能の不条理小説だから、理解しようとしないのがよいのかもしれません。

映画を観たらちょっとはスッキリするかなと思いましたが、まだまだ不明瞭な部分が多すぎてコメントが難しいです。

4日前に観たのですが、平日の昼間とはいえ観客は4人。私と同世代と思われる男性だけでした。

 

映画のサイトから引用します。

完全な孤立、完全な孤独を得て、社会の螺旋から外れた「本物」の存在。ダンボールを頭からすっぽりと被り、街中に存在し、一方的に世界を覗き見る『箱男』。

カメラマンである“わたし”(永瀬正敏)は、偶然目にした箱男に心を奪われ、自らもダンボールをかぶり、遂に箱男としての一歩を踏み出すことに。

しかし、本物の『箱男』になる道は険しく、数々の試練と危険が襲いかかる。

存在を乗っ取ろうとするニセ箱男(浅野忠信)、完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市)、 “わたし”を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈)......。

果たして“わたし”は本物の『箱男』になれるのか。そして、犯罪を目論むニセモノたちとの戦いの行方はー!?

 

箱男はインターネット社会にたくさん存在する、匿名で、自分は見られることを拒み、他者を一方的に見る(そして批判する)者たちに近いと思いました。

原作にこんな文章があります。

一度でも、匿名の市民だけのための、匿名の都市 ーーー 扉という扉が、誰のためにもへだてなく開かれていて、他人どうしだろうと、特に身構える必要はなく、逆立ちして歩こうと、道端で眠り込もうと、咎められず、人々を呼び止めるのに、特別な許可はいらず、歌自慢なら、いくら勝手に歌いかけようと自由だし、それが済めば、いつでも好きな時に、無名の人混みに紛れ込むことが出来る、そんな街 ーーー のことを、一度でもいいから思い描き、夢見たことのあるものだったら、他人事ではない、つねにA(おやじ注:Aは箱男になってしまった者)と同じ危機にさられせているはずなのだ。

これを50年以上前に書いた安部公房はやはりすごいと思います。

5年半かけて300枚の完成作に対し、書き潰した量は3,000枚を超えたそうですから、作者にとってみれば「そんなに簡単に分かってたまるか」ということなのかもしれません。

今夜は「映画を語る会」で「箱男」をテーマに語り合います。どんな感想が出るか楽しみではあります。

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「アルジャーノンに花束を」

2024年09月12日 | 

ちょっと前にNHK朝イチで話題になっていました。

ブックエース・イオンモールいわき小名浜では平積みになって売り出されていました。

なぜ今?という感じですが、この本は日本ではヒットを繰り返しているそうです。氷室京介さんのアルバム「LOWERS for ALGERNON」、ユースケ・サンタマリアさん主演のテレビドラマ、山下智久さん主演テレビドラマ、けんごさんのTikTok動画などの影響があるみたいですが、小尾芙佐さんの素晴らしい翻訳も大きな理由のような気がします。

帯に「読まないまま終わる人生もあったと思うと怖いってぐらいすごかった。」というはるさんのつぶやきが紹介されていますが、私も読んで良かったと思います。

私が生まれた1959年に発表されていたんですね。もっと早く読むべきでした。30年ぐらい前にSM嬢(イニシャルです念のため)が「これ、面白いですよ」って話してくれた時に読んでいれば、今とは違う感動があったかもしれません。

ストーリーは書かない方がいいと思います。私も全く予備知識なしで読みました。

人生の後半に差し掛かっている私にとっては、主人公の生き方を、生まれてから徐々に知能、知識を獲得し、死が近づいてきてまた衰えていくという現実に重ねてしまいました。

 

印象に残った文章です。

知能というものはテストの点数だけではありません。 (日本語版文庫への序文より)

 

知識の探究に加えて、われわれは家庭でも学校でも、共感する心と言うものを教えるべきだと。われわれの子供たちに、他人の目で見、感じる心を育むように教え、他人を思いやるように導いてやるべきだと。自分たちの家族や友人ばかりではなく、ーーーそれだったらしごく容易だーーー異なる国々の、様々な種族の、宗教の、異なる知能レベルの、あらゆる老若男女の立場に自分を置いてみること。こうしたことを自分たちの子供たち、そして自分自身に教えることが、虐待行為、罪悪感、恥じる心、憎しみ、暴力を減らし、すべてのひとびとにとって、もっと住みよい世界を築く一助となるのだと思う。 (日本語版文庫への序文より)

 

「以前のあなたには何かがあった。よくわからないけど・・・・温かさ、素直さ、思いやり。そのためにみんながあなたを好きになって、あなたをそばにおいておきたいという気になる。そんな何か。それが今は、あなたの知性と教養のおかげで、すっかり変わってーーー」

 

まともな感情や分別をもっている人々が、生まれつき手足や目の不自由な連中をからかったりはしない人々が、生まれつき知能の低い人間を平気で虐待するのはまことに奇妙である。

 

「知能だけではなんの意味もないことを僕は学んだ。あんたがたの大学では、知能や教育や知識が、偉大な偶像になっている。でもぼくは知ったんです。あんたがたが見逃しているものを。人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです」

 

「傲慢さと自己主張のいりまじったああいう態度は、不安と恐怖の度を示すよき尺度なんだということがわかるんだよ」

 

ひとをわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです。ぼくわこれから行くところで友だちをいっぱいつくるつもりです。(「ぼくわ」の「わ」は原文まま)

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