ま、正式には「卒業証書授与式」ですけど
素直に「卒業を祝う会」という意味には変化しませんねー
「お上から証書を賜う」という明治以来の名残はこの国では消えないらしいです(苦笑)
名称は何であれ
6年間の子どもたちの成長を祝い、これからも幸多き道を歩むこと、心から祈る気持ちに変わりはありませんよね
自分も現場にいたときは
毎年、泣かない卒業式はなかったなー
高校の3年間だって、個々の成長は驚くほどでした
小学生
入学したころには、まだあどけない幼顔が残る子も
12歳、13歳の春を迎える今日は
少し大人びた、生意気だけど
自己を確立しつつある表情を見せて
イキイキと輝いているんですよね
まだ小さいかもしれないけれど
その掌(心の)には、無限の可能性が宿っています
家庭環境や経済的には
個々の事情があっても、社会保障(国、自治体の制度)が
そんな縛りやアンフェアを取り除いて
子どもたちには同じスタートラインであってほしい・・・
国家が子どもを育てるというのはそういうこと
けっして、過去の日本のように
国家(権力者)に都合のよい、言うことを聞く人間をつくるためではないはずです
この春、あらたな門出を迎える子どもたち
そして、保護者のみなさん
おめでとうございます
桜の蕾もふっくらと喜びをあらわしているようです
(
は梅ですけど
)
素直に「卒業を祝う会」という意味には変化しませんねー

「お上から証書を賜う」という明治以来の名残はこの国では消えないらしいです(苦笑)
名称は何であれ
6年間の子どもたちの成長を祝い、これからも幸多き道を歩むこと、心から祈る気持ちに変わりはありませんよね
自分も現場にいたときは
毎年、泣かない卒業式はなかったなー

高校の3年間だって、個々の成長は驚くほどでした

小学生
入学したころには、まだあどけない幼顔が残る子も
12歳、13歳の春を迎える今日は
少し大人びた、生意気だけど
自己を確立しつつある表情を見せて
イキイキと輝いているんですよね
まだ小さいかもしれないけれど
その掌(心の)には、無限の可能性が宿っています

家庭環境や経済的には
個々の事情があっても、社会保障(国、自治体の制度)が
そんな縛りやアンフェアを取り除いて
子どもたちには同じスタートラインであってほしい・・・
国家が子どもを育てるというのはそういうこと
けっして、過去の日本のように
国家(権力者)に都合のよい、言うことを聞く人間をつくるためではないはずです
この春、あらたな門出を迎える子どもたち
そして、保護者のみなさん
おめでとうございます

桜の蕾もふっくらと喜びをあらわしているようです

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