遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

ショーン・コネリーの死

2020-11-02 16:21:28 | 日記

令和2年11月2日(月)

初代、ジェームズ・ボンドの死

映画「007シリーズ」のジェームズ・ボンド役で知られる

英国俳優「ショーン・コネリー」さんが亡くなられた。

1930年生まれの90歳で、バハマ滞在中の事でその死因

や日時等は公表されていない。

 

1930年8月、スコットランドの職工でトラック運転手の

父と、洗濯女をしていた母との間に生まれる。

専門学校を出て職を転々とする中、1953年にミスター・

ユニバース・コンテストで3位入賞し、その時の仲間に演技

者の道を勧められる。

その後、1954年にテレビ出演を果たし、、

1957年に映画「地獄特急」「虎の行動」等で映画デビュー

1962年「史上最大の作戦」に出演、この年に映画「007

ドクター・ノウ」のジェームズ・ボンド役が舞い込み、遂に

主演映画に抜擢された。当初、作者のイアン・フレミングは

「ショーン・コネリーは「イメージに合わぬ(スマートさが無い)」

と言われたがスタッフ(テレンス・ヤング等)から押されて

決定した。

ショーン・コネリーはスコットランド愛に固執し、独特の訛り

を変えようとせず、止む無く「ジェームズ・ボンドの出身地を

スコットランド」と、したとのエピソードがある。

翌年のから007はシリーズ化し、「ロシアより愛をこめて」

1963年の「ゴールド・フィンガー」、64年「サンダーボ

ール作戦」、67年「007は二度死ぬ」と続き、大ヒットを

浜美枝と、

 

続ける。その後、制作費等で折り合いがつかず、1969年の

「女王陛下の007」はジョージ・レーゼンビーが代役をした。

1971年、「ダイアモンドは永遠に」で再び主演に戻ったが、

その後1973年の「死ぬのは奴らだ」から、1981年の

「ユア・アイズ・オンリー」の5作品はショーン・コネリーの

友人のロジャー・ムーアがジェームズ・ボンドを演じた。

1983年「007ネバー・セイ・アゲイン」で再度ボンドを

演じたが、彼の007シリーズはこれが最後の作品となった。

その他の主な作品に「風とライオン」、オードリー・ヘップバ

ーンと共演した「ロビンとマリアン」(ロビンフッド)、「大

列車強盗」等に出演している。

1962年のアルフレッド・ヒチコックの「マーニー」、

1986年「バラの名前」ではサスペンス映画に主演した。

1987年の「アンタッチャブル」では主演のエリオット・ネス

を助ける老警察官ジム・マローン役で、アカデミー助演男優賞、

ゴールデングローブ助演男優賞を受賞した。

この映画は日本のブルーリボン作品賞を受賞している。

1989年「インデイー・ジョーンズ、最後の聖戦」でインデ

イー・ジョーンズの父親のヘンリー・ジョーンズを演じている。

インデイー・ジョーンズの父親役

 

1990年「レッド・オクトーバーを追え」では、ソ連の原子力

潜水艦長マルコ・ラミウス大佐役で、この原潜を手土産に米国へ

の亡命を企てる、、、

1999年の「エントラップメント」では、当時人気絶頂だった

女優のキャサリン・ゼダ・ジョーンズと共演し、美術品専門の大

泥棒マックを演じ、それを監視する保険調査員ジンとの駆け引き

その後、意気投合した二人が銀行から80憶ドルを盗み取る、、

大掛かりなアクションシーンは、初期の007には考えられぬ

CG(コンピューター・グラフィックス)を活用したもの。

映画:エントラップメント

 

ショーン・コネリーは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズの

ガンダルフ役でオファーが在ったがそのストーリー(脚本)が

理解できず、出演を断ってをいる。

その他、「マトリックス」でも同様にオファーを断っている。

2006年、アメリカ映画協会の生涯功労賞受賞を機に引退した。

今回、死因と詳しい日時は報じられなかったが、晩年は認知症を

患っていたと言われている。

晩年のショーン・コネリー、友人等と

 

私にとっての、青春(映画)の大ヒーローである、ショーン・コ

ネリーさんに、謹んでご冥福を祈ります。

後日、機会あれば、映画紹介をしてみたい、、、、、

 

今日の1句

亦ひとり老雄さりて冬近し     ヤギ爺



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