摩耶舞薮露愚

日々是口実日記(スパムメールの情報など)

妻に先立たれた夫の悲嘆、喪失感

2010年10月06日 | 男女の心象風景
妻に先立たれた夫…悲嘆、喪失感のなかでの立ち直り

4日の月曜日、所用があって早めに帰宅し、テレビのスイッチを入れたら、ちょうどNHKのクローズアップ現代が始まったところであった。

この番組、粗製乱造の下らないバラエティばかりに席巻される平日19時台のテレビの中で、唯一、観賞に耐え得る誠実なものであると思っているのであるが、今回のテーマは実に重い。

俳優の仲代達矢(77)が語る。「呆然と立ちつくすという感じだった。後追いを考えた時期もあった。それで仕事に没頭した。しかし家に帰ると誰もいない。なんと男はだらしないものかと……」
14年前、妻の恭子さんを亡くしたときのことである。ロストシングルというのだそうだ。妻を亡くして、深い喪失感から 不眠に陥ったり、日常生活に支障をきたす男たちのことである。

あの「仲代達矢」まで…。

つれあいを失ってしまった後の孤独な時間がどれほど恐ろしいものか、想像するだけで身の毛のよだつ思いがする。

男たちはそんなにももろいのか。伴侶の死後の悩みで、「話相手がいない」は女40%に対して男は100%。「一緒に行動する人がいない」は、女20%に対して男は80%という数字がある。男の方が立ち直りに時間がかかり、死亡率も高まるという。
69歳の男性は昨年5月妻を亡くして、いまも毎日写真に語りかけている。
孫たちの写真も並んでいる。娘2人が嫁ぎ、退職後2人だけの生活に入った矢先だった。夜眠れず、睡眠導入剤がかかせない。それでも眠れない。

男というものは「そんなにももろい」存在なのである。

社会に出ているときには精いっぱいの虚勢を張って威張っているが、所詮は張り子の虎。

七面鳥のディスプレイやミノカサゴのヒレなどと同じようなもので、毟られてしまえば何の役にも立たず、蒸し焼きなどにされて食べられてしまう。
社会とのかかわりをなくし、唯一のコミュニケーション確保の相手方であるつれあいを失えば、男は社会的には完全に孤立するのである。

それに比して、妻は基本的に地域社会を始めとした私的なつながりを持っていることが多く、その意味では夫を遥かに凌駕するコミュニケーション手段を有しているわけだから、たとえつれあいを亡くしても、ただちに孤独な存在となるわけではないようだが。

手記を書くことによって癒されたという人も数多くいるが、そうした喪失感や孤独にきちんと向き合い、それを文字の形に整理することである種の納得感を得るという効果は確かに大きいのかもしれない。

いずれにしても、つれあいを亡くした人たちの言葉は辛く悲しい。
「ふとした時に妻の遺品(靴など)を見つけたりすると、もうそれだけで涙が出てきてしまう」
「妻との写真を見ると、泣けて仕方がない」
「涙がこんなにたくさんあるものだとは思わなかった」

などなど、確かにそうだろうなと思わせる言葉が続く。

恐らくオレも、そうした椿事が出来したなら、同じような状況になることだろう。
服や靴はもちろん、茶碗や箸などの食器、読んでいた本、妻が主体的に使っているPCを見るだけで、これを使う妻はもうこの世にいないのだ、という絶望的な喪失感に襲われ、涙にくれてしまうのに違いない。

帰宅した妻と食事をしながら、この番組の話をすると、それは自分も同じだという。
「もしもあなたがいなくなったら、と思うだけで泣けてくる。だから、演技で泣かなければならないとき(実際にはないけれども)がきても、簡単に涙を流すことができる」という。

この妻の言葉はかなり意外なものではあったが、正直に言って嬉しかった。
自分の単純さ加減には呆れるが、これを聞いて、妻には長生きをしてもらわねばならないという願いに加え、自分も健康に気をつけなければならないな、と改めて思った次第。
コメント
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