2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

貨幣は、貸借関係で存在します。貨幣に金や銀の裏付けはありません。
貨幣の裏付けは、供給能力です。

 

事実や現実は厳しい認識を迫ります。

2020年11月12日 | 日記

  追記を完了しました。2020年11月16日*****の印の後になります。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=doa7DeWIdHs

 

 上のURLは、京都大学大学院教授の藤井聡先生と、評論家の森田実氏の対談です。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=QXbeP8gWduA

 

 上も藤井聡先生と柴山佳太氏の出版のための対談です(2014年です)

 

  この動画をご覧いただいた方は非常にお疲れでしょう。非常に多くの情報があり、また、情報と言うよりも、人間学的な要素もありました。多様性に富んだ対談でした。

 

 この動画を見たのは、2017年ころだと記憶しています。

 

 ケインズの理論と、ミルトン・フリードマンの違いが良くわかっていなかったので、非情に参考になりました。

 私は、経済学を学んだわけではありません。

 

 しかし、日常的に、生きている私たちは、何か、この道をゆくと理想郷に辿り着くような、示唆を欲しがります。そんなモノは無いのに、欲しがります。

 

 部外者の私たちには、解らないのですが、オウム真理教で、活躍した教養高い人達がなぜか多くが集まり、知らないうちに犯罪に走ってしまいました。疑問が解かれていません。浅原教祖は、そんなに教養があるようには見えません。

 

 現実は、いかにも複雑怪奇で、これが真実だと言うモノはありません。自由主義の日本では、相対的な評価ですが、他の国よりも選べる道の多くが存在しています。自由度はかなり高いように思います。

 

 人間は、圧迫されると自由を欲しがります。

 自由になると、迷いが生まれます。生きてゆく、その生き方が自由なると、途端に迷いが生じます。何か、道しるべが欲しくなります。その道しるべを探していても、完全なモノが中々見つかりません。

 

 絶対的な何かを求めてゆく性質が私たちには存在します。そんなモノは無いのですが、求めて止(や)みません。

 

 極左、極右などの存在もそうしたことから支持者が出てきます。信仰宗教もそんなところから存在が起きてくるようです。

 

 経済で、ケインズの主張というか、ケインズは、実際の会社を経営したり、役員の中に入っていたりしたので、事実関係を重視したようです。

 ですから、こうした経済状況であれば、こうなる、また、ああした経済状況であればああなるのだ、として、その時、その時により、色々な変化に対応しているようです。非常に現実的な経済学であったようです。

 

 それに対して、現在も行われている新自由主義のミルトン・フリードマンは、経済学を学んだ人は、知っているように、数学的な微分や積分などの難しい数学的な理論で構成されて、アインシュタイの相対性理論のような絶対性を構築しているそうです。

 

 中東やヨーロッパを中心に一神教が誕生して、その文化が栄えました。絶対の神の存在があります。その絶対的存在の神が、人のいきてゆくために必要な縁(よすが)であったのだろうと、推測します。

 

 人間はそうしたモノを欲しがります。絶対的な存在です。あれば素晴らしいことです。

 ミルトン。フリードマンの経済理論は、数学的に物理学のように絶対的な経済学のように思えたのです。

 NHKのドキュメンタリーで、戦争の記録画像が流れるところに、『この不確実性の時代』などの言葉が流れます。確実性などが存在するかのようなコメントです。

 

 こうして、私たちは無意識に確実性を求めて止(や)みません。でも無いのです。

 

 ケインズはそのことを知っていたのでしょう。現実の経済には、確実性はありません。しかし、確実性を求めます。

 

 ミリトン・フリードマンの経済学は、その意味では、数学的に理想的に一本の道を示唆していたのでしょう。現実離れしていたために、理想が描けたのでしょう。机上の空論であったがために、理想論が描けたのでしょう。絶対性を求める人類の姿でしょう。

 

 しかし、現実的な、ケイインズ理論では、言い換えると、ファジーな経済の示唆では、絶対性を求める不安定な精神を支えるものが欲しがる経済人には、無意識に物理学のような絶対性を求めて、ミルトン・フリードマンの空論を信じたのではないか、と想像します。

 

 確実性としては、貨幣観があります。事実関係とは、実に厳しい部分が存在します。タンス預金でため込んだ紙幣が、実は、紙きれである。実際に、戦争を経験した人は、紙幣の価値がなくなり、10銭紙幣が通用しなくなり、50銭紙幣が紙くずになりました。

 

 貨幣を金貨、銀貨だと思い込みたい状態なのでしょう。小金を貯めている人ほど貨幣が『債務と債権の記録』などは絶対に信じないと、良く確認もせずに拒否します。

 

 MMTを拒否する人の多くが、ここにあります。お金は絶対的に勝利の証なのでしょう。

 

 今年、2020年の3月には、レバノンで、財政破綻が起きました。レバノンポンドが下落して、殆ど使えない状態になりました。レバノンではドル紙幣でしか通用しないようです。混乱が続いています。

 国際関係、特に、アメリカ、ロシア、中国、ヨーロッパに振り回される中東諸国は、宗教の違いや覇権争いに混乱が絶えません。

 

 少し、難しいはなしです。お許しください。

 ここで、一旦終わります。下に書いてあるものは、あとで追記します。

 

 

************************

https://www.youtube.com/watch?v=_koJ5PDpJz4

 https://www.youtube.com/watch?v=nwsW0yFZ58A

  上のユーチューブは税理士さんのMMTの解説です。もう一度ご覧ください。そして復習してください。

 

 武漢発新型コロナウィルスの終息後、増税路線は既定の事実のようです。私たちは、コロナ恐慌という未曽有のっ経済恐慌に困窮しています。

 そこに、経済の正しい仕組み、言うならば貨幣観の間違いが起こしている、ミリトン・フリードマンの新自由主義の小さな政府論、財政の税収という財源での均衡経済論の大きな間違えが遂行されています。

 

 現実の経済は、複雑に機能しているのですが、その複雑さを超越する、非現実な理論の新自由主義、数学で机上の空論であるがために、理念先行で、現実を捨てた理論体系に、理想の一直線の道経済の姿に、現実を歪めて押し込んだ新自由主義の経済が存在しているのではないかと感じます。

 

 理想主義的に捉えて従う、絶対主義を求める人間の弱さが現実を無視してでも、理念という理想を追いかけることに希望を繋ぐ刹那主義に埋没する人間が存在しています。

 それが人間のようで、確信が無いのが現実なのです。不確かな状態の事実の積み上げが現実なのです。

 不安心理は理解できます。私も同じように不確実性の現実に嫌気がさして、理想郷を夢見ることで、現実の中の不安要素を超える力になっている場合が多くあります。

 

 それが、現実の事実関係の理論の一見、不確かに思えるケインズの現実主義の理論を認められない、弱さが、非現実的な、理念先行の物理学のような絶対的な、まるで神の存在のような理論体系の、ミルトン・フリードマンの空想的な経済学に確実性を見て、宗教のように信仰をする世界の人々が存在しているようです。

 

 

 

 

 上の図は、企業が銀行から融資を受ける際に、約束手形を発行して資金を借りる方法を図にしたもので、税理士さんのユーチューブから借りてきました。

 

 企業が発行した約束手形の期日に返済日が訪れます。90日の期間の返済で約束手形を発行して、5000万円を借りたとします。

 90日が経過すると、返済日がきます。ここで銀行は貸し出した企業が利益を上げて、確りと経営ができていることが、条件としますが、90日に、その手形を破棄して、新たな90日の約束手形を企業と相談の上で発行します。

 

 要するに、借金の返済の先延ばしです。こうして、貸し出した企業が健全な経営が営まれていれば、銀行は、手形の期日が来るたびに、手形の書き換えを続けます。

 

 同じように、政府が発行する国債も償還期日(返済期日)がくると、新たな国債を発行して、期日がきた国債は破棄して、新しい国債と差し替えます。

 新しい、国債の所有者が、銀行であったら、続けて金利を払い続けます。保険会社であれば、同じように金利を払い続けます。

 この金利で、銀行は、利払いを銀行運営の一部に充てます。保険会社もこの国債の利払いが存在が金融機関としての信用度にもなります。

 

 銀行が一時期、大量の国債を買い取ったことがあります。24年間のデフレ経済で、市場での資金需要がありませんでした。企業が銀行から資金の融資をしなかったのです。

 何回も言いますが、銀行は銀行預金という貸し出しをして、貨幣を創造します。言い換えると、銀行預金として貸し出しをすると、貨幣の発行がなされます。私たちの銀行に預けてある預金から、又貸しをしているのではありません。

 銀行の貸出は、その原資は何もない処から、預金通帳に貸し出す金額を印字すると、貨幣が発行されます。ある意味では、銀行は何の負債にもならない貨幣が発行できて、企業に或は、住宅ローンとして貨幣の貸出ができる仕組みがあるのです。

 そして、貸し出した銀行は金利という利益が得られるのです。銀行にとっては、非常に都合の良いシステムになっています。

 何もない処から、貨幣が貸し出されるので、返済されると消えてなくなります。

 

 問題は、この貸し出しで、貨幣を発行できない銀行は金利を得ることが無くなってしまいました。銀行の基本的な利益を得る方法が衰えてしまったのです。デフレ経済で、モノやサービスが売れなくなりました。企業は生産設備の更新や新しいシステムを導入したりすることを辞めてしまったのです。

 

 こうして、市場の資金需要がなくなり、銀行は新たな貸出による貨幣の発行ができなくなり、金利という利益が無くなり、市場では、貨幣循環がなくなり、デフレスパイラルの底なし沼へ落ちているのです。

 

 政府が発行する国債も同じように、政府が何もない処から、貨幣の発行ができます。まずは、私たちが使っているコインにが理解されやすいでしょう。

 500円、100円、50円、10円、5円、1円 という硬貨が流通しています。この硬貨も貨幣になります。

 硬貨は政府が発行しています。紙幣には、日本銀行券と書かれています。しかし、硬貨には、『日本国』と印字されています。手元あれば見てください。

 

 硬貨は、日本国政府が発行しています。何故か、昔の習慣が残っているようです。ヨーロッパでは、皇帝が、金貨、銀貨を発行していました。日本でも、徳川幕府が小判、一分銀、銅銭を発行していました。コメが貨幣の変わりもしていた二重性がありました。

 こうして、金属の貨幣は発行されていました。しかし、金属による貨幣は、その金属という資源に限りがあります。貨幣の量的な限度があるということは、貨幣価値が上がり、デフレ経済を常に経験してきたのです。江戸時代は、各藩は、金鉱山、銀行山などを所有できません。

 

 従って、少ない状態の金貨、銀貨の代わりに、藩札という紙幣を創り流通させていました。この藩札は、基本的には、金本位制の紙幣でした。藩が金貨や銀貨、銅銭に変えることができる、との建て前で発行されたのです。

 

 通貨を幕府が管理していましたので、金、銀、銅の資源が足りないのです。しかも、農業が唯一の生産物であり、生産性が低い貧しい社会だったのです。

 鎖国で270年も運営してきた江戸時代は、約、3000万人の人々が暮らしました。輸入で食品は入っては来ません。エネルギーも石炭が発見されるのは、幕末ころだそうです。日本中の低い山は禿山になったそうです。燃料、エネルギーは木材しかありませんでした。

 

 こうして、貨幣とは、金貨、銀貨であるという規制概念が染みついている人類なのです。

 

 国債発行が政府の負債であることで、貨幣が作られて、その政府の負債が存在するので貨幣に価値が誕生するのです。

 政府の負債という国債。この記録が債務といして、データーとして記録されます。こうして発行された、国債は、商業銀行に買われます。商業銀行は、私たちの銀行預金ではない、日本銀行の当座預金から、政府の日本銀行の当座預金に支払いをします。この時に、支払いは振り込みになりますので、データーが移動するだけです。

 これで、国債の発行で、政府には、資金が誕生して、政府がこの度、九州の川辺川ダムを造ることを再開をしました。その資金をゼネコンの共同体の入札で、支払いをするために、政府から企業連合に、銀行振り込みで発注することになります。

 

 公共事業にも、データーとしての貨幣が振り込まれることで、貨幣が移動ぢて、受けた企業から、ダム建設の資材、道路建設、運搬、人件費、として振り込みで貨幣は裾野の広い事業社に渡り、人件費が振り込みとして支払われて、多くにひとが、消費活動をして、貨幣が循環するのです。

 

 この貨幣の流通過程で、金貨や銀貨の姿は現れません。

 

 政府が国債の償還時期に債務を解消すると、その金額の貨幣が消滅してしまいます。データーとしての貨幣が消滅してしまいます。

 

貨幣は、『債務と債権の記録』ですので、債務を消すと、同時に債権も消滅してしまいます。これが貨幣の消滅です。

 

 言変えれば、政府も、日本銀行も、商業銀行でも、債務を創ると通貨が誕生して、その債務を解消すると、債務、解りやすくするために、借金と言う言葉を使います。

 政府、日銀、商業銀行は、借金を創ると、貨幣が創造されるのです。

 これには、金貨、銀貨の情念はありません。そして、事実として、政府も銀行もこの手続きで貨幣の発行をしているのです。

 

 こうしたことで、財政が動いています。インフレやデフレになると、私たちが支払う税金が、このインフレやデフレの経済で困ったときに税収をコントロールして、経済を健全にできるように操作しています。

 税金が存在するから、貧富の差を解消で、いるのです。しかし、この税金の扱いを間違える、或は、確信犯として、税収の調整をして一部の人に優遇された社会を構築することがあるのが歴史のようです。

 

 現在、1憶円を超える所得者に税制が優遇されています。また。金融で得た所得に安い税金を掛けることで、国際金融資本の利益を優遇しています。

 

 大手企業の役員は、10憶などの多くの所得を得ています。供与、賞与として受け取ると、44%の税金が掛かります。しかし、この分の所得を年間で1円などの申告をして、自分の会社の株式を持ち、株の配当金を20憶円受けても、税金は22%で済むのです。

 

 この新自由主義経済は、自由と言う建て前で、日本政府にアメリカ政府が圧力を掛けて、金融取引の税制を下げる方向になったのです。

 金持ちが優遇される、あらゆるシステムが出来上がっているのです。

 アメリカの社会が壊れて、激しい格差に覆われているのは、金融資本の大きな圧力で政治が行われて、共和党、民主党に関わらず、金融資本の影響を受けて大統領が誕生しています。

 

 アメリカ国民がそのことを理解し始めて、困ったけれど、トランプしか、金融資本の影響を受けていない大統領として存在したのです。

 

 アメリカのメディアもこの金融資本の影響下にあります。アメリカのプライドとして存在した、ニューヨークタイムス、ワシントンポストも金融資本の支配下にあります。

 トランプは困った大統領でしたが、このアメリカの金融資本、ロックフェラーの支配下ではないようで、ヨーロッパのロスチャイルドの影響下に「あるようです。この金融資本も仲良くなったり、内部分裂したりしているそうです。

 

 竹中平蔵やアトキンソンはこの国際金融資本の手先であり、背後の力をりようしていて、排除はできず、寧ろ、菅総理はこの国際金融資本のマインドコントロールされているようで、菅総理は、露骨に国際金融資本のとうりに進めるようで、安倍政権のような、オブラートに包む方法はないようです。国民に、その姿が見えやすい政治をしてきているようです。