旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(芭蕉)
この句は辞世の句ではない。芭蕉の最後の句である。病の中でこの句を詠み、4日後の元禄7年10月12日に芭蕉は逝った。51歳だった。
芭蕉は29歳のとき江戸へ出、その後俳諧の宗匠として活躍した。しかしその大半は各地を遍歴する旅で過ごした。まさに「旅をすみかとして」いた。東海道を何度も往復し、中山道、関東一円、東北、北陸と歩き続けた人生だった。その間二十数年。あっという間の人生であったに違いない。
井本農一著「芭蕉入門」によれば、9月8日、芭蕉はしばらく郷里の上野に滞在した後、門人たちと大阪に向った。もうこの頃健康がすぐれず、夕方奈良に近づいたころには1キロ余も歩くと、疲れて休まなければならないほどだった。9月9日大阪の門人の家に着いたが、翌10日の晩から熱が出て寝込んでしまった。それでも門人たちの招きで連句の会に病をおして出席し、句を詠んでいる。有名な句、「秋深き隣は何をする人ぞ」は9月28日、翌日の連句会のために用意された発句である。そして10月8日、病中吟と前書をつけ冒頭の句を詠んだ。
人生50年。最後まで頭の中では旅の風景がかけめぐっていたのだろうか。
この句は辞世の句ではない。芭蕉の最後の句である。病の中でこの句を詠み、4日後の元禄7年10月12日に芭蕉は逝った。51歳だった。
芭蕉は29歳のとき江戸へ出、その後俳諧の宗匠として活躍した。しかしその大半は各地を遍歴する旅で過ごした。まさに「旅をすみかとして」いた。東海道を何度も往復し、中山道、関東一円、東北、北陸と歩き続けた人生だった。その間二十数年。あっという間の人生であったに違いない。
井本農一著「芭蕉入門」によれば、9月8日、芭蕉はしばらく郷里の上野に滞在した後、門人たちと大阪に向った。もうこの頃健康がすぐれず、夕方奈良に近づいたころには1キロ余も歩くと、疲れて休まなければならないほどだった。9月9日大阪の門人の家に着いたが、翌10日の晩から熱が出て寝込んでしまった。それでも門人たちの招きで連句の会に病をおして出席し、句を詠んでいる。有名な句、「秋深き隣は何をする人ぞ」は9月28日、翌日の連句会のために用意された発句である。そして10月8日、病中吟と前書をつけ冒頭の句を詠んだ。
人生50年。最後まで頭の中では旅の風景がかけめぐっていたのだろうか。