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山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

#地震発生から366日目「緊急時の支援は向こう三軒・両隣りが頼りになる」

2012年03月10日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から366日目(平成24年3月10日、土曜日)。
 また、大震災発生から366日目の新しい朝を迎えた。

 山形市内、今朝はまたも雪降り。
 湿った雪が降り続く。
 窓から見える川向こうの家々。昨日までは屋根の雪も消えていた。今は屋根一面雪になった。いつまで続くやら。
 明日は東日本大震災から1年ということで、山形でも追悼式が開催される。それに出席することになっている。雪の中ですることになりそう。
 昨年の3月11日は発災後、車で帰宅途中信号機が止まり渋滞が続き、救急車や消防車のサイレンが鳴り響いていた。街中、サイレンが響きわたっていた。
 横なぐりの雪が降っていた。
 なんか、いつもと違う光景に不安でいっぱいだった。
 カーラジオでは太平洋岸が津波に襲われて、甚大な被害がでているとくり返し放送している。すごいことが起きていると思うのだが、実感がわかない。
 明日で1年になる。

 山形市内西部地区の近くに活断層が走っている。直下型地震に見舞われれば震度6強の予測。もし大地震が起きたらどうするか。その備えをしておくことだ。
 障害保健福祉研究情報システム DINF Disability Information Resourcesによれば、知的障がい者を災害から守るための留意点を次のように述べている。
      
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【引用始め】

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/disaster/2007seminar_houkoku/01_07.html

周囲の備え

1)災害時には、知的障害者本人に、災害発生の情報提供を迅速かつ的確に、理解できるように伝達することが望まれます。しかし、個人情報保護法やプライバシー保護優先の社会では、その前提として、障害者側から自分自身の存在、障害内容、生活状況などをより近い周囲の人や自治会、民生委員などに伝え、緊急事態や災害時に支援を受けられるようにしておくことが大切です。

2)自治体の福祉担当者は施設等への訪問や現状把握を定期的に行っていますが、障害者の住宅へ直接訪問することはあまり多くないようです。しかし、災害時、緊急で最大の要支援者は、自宅やグループホームで生活している人たちと考えられますので、平常時から生活状況を把握しておくことが、地域生活移行に対応する配慮やサービスでしょう。

3)施設では特に火災を想定して定期的に避難訓練が実施されていますが、それに比較して、作業所やグループホームでは避難訓練の実施頻度が少ないようです。火災だけでなく、地震や風水害を想定した避難訓練が必要でしょう。

4)「新潟県中越地震」の事例では、グループホームを運営する法人職員が、そのホームに駆けつけるより先に、町内会や周囲の人たちが世話人と協力して利用者の安全確保と避難を率先して行い、利用者とその家族から感謝されたことがありました。日頃から周囲の人たちの理解、周知と周囲の人たちとの接触、交流が緊急時の支援につながることでしょう。「向こう三軒・両隣り」こそが頼りになります。

【引用終わり】

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 常日ごろからのご近所とのお付き合いが大切である。面倒がらずおっくうがらず隣近所と機会あるごと挨拶しあったり、行事に参加する。互いのしきいを低くすることだ。

 また明日はくる。大震災から1年だ。やはり「明けない夜はない」。一歩一歩前向きに進むしかない。
 (ケー)


#地震発生から365日目「母親任せでない父母協働による共育(教育)」

2012年03月09日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から365日目(平成24年3月9日、金曜日)。
 また、大震災発生から365日目の新しい朝を迎えた。

 本日は大震災発災の日から丸一年。うるう年なので1日多くなった分、1日早く来た感じになるが、365日1年がたった。
 被災地で犠牲になった方にとって1回忌は平成24年3月11日(日)にむかえることになる。
 犠牲になられた方、そして今だ行方不明のままの方に対して、心より御冥福をお祈りします。

 さて、超弩級の大震災による大災害は今後も発生する。それを想定しての備えはまだまだ不十分。
 まず、身近なところからできるところからの備えをしっかりしておくだけでも違う。
 そこで、家族ぐるみで災害時における備えをしておこう。知的障がい者が災害に出くわしてもなんとかなるように準備しておくことだ。

 障害保健福祉研究情報システム DINF Disability Information Resourcesによれば、家族の備えを次のようにをしておくべきと述べている。
      
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【引用始め】

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/disaster/2007seminar_houkoku/01_07.html

家族の備え

1)母親任せでなく、父母協働による共育(教育)と日常生活が必要です。
障害の重いほど、年齢の低いほど、育児・日常生活が母親と一緒になりがちですが、特に男性障害児者の場合、避難所での生活も想定すると、母親離れと父親の関与が必要でしょう。

2)住宅の安全点検・非常口・非常時持ち出し品の確認と親子協働の避難訓練をしておきましょう。

3)最も厳しい季節や、対応の難しい時間帯を想定し、その対処について考えておきましょう。
(例:大都市であれば、通学・通勤時間帯。農村部であれば、厳冬期・夜間など

【引用終わり】

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 いざとなったら家族の機動力を発揮できるようにしておく。
 まず、父親がもっと障がいのある子にかかわって、ふだんから母親と一緒に共育(教育)することである。それが災害時を切り抜けるのに役立つ。常識を常識どおりに誠実にやっているかどうかがいざという時問われるのである。

 家族ぐるみで「明けない夜はない」としなければ。
 (ケー)


#地震発生から364日目「支援は私縁から→遠い親戚より近くの知人」

2012年03月08日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から364日目(平成24年3月8日、木曜日)。
 また、大震災発生から364日目の新しい朝を迎えた。

 知的障がい者が災害時どんな備えをしておけばよいか。
 障がい者本人の身元が明らかになるような防災カードを常時携帯し、地域とのつながりをしっかりしておくことである。
 障害保健福祉研究情報システム DINF Disability Information Resourcesによれば、次のような準備は最低限しておくべきと述べている。
      
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【引用始め】

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/disaster/2007seminar_houkoku/01_07.html

(1)日ごろの備え

本人の備え

1)もしものときの、緊急連絡や安否確認のため、緊急連絡先・連絡網を整備し、第三者にも提示できるようにしましょう。これは住んでいる場所や施設の形態、地域生活の状況に関わらず、必要となります。 

2)「防災カード(ヘルプカード)」(氏名・住所・連絡先・血液型・利用医療機関名などを記載したもの)を作成し、携帯しましょう。この種の情報は、災害時以外でも、例えば外出中に体調を崩した場合などに、救急車の手配と家庭への連絡に役だった事例があります。

3)隣人・町内会長・民生委員との接点をつくり、連絡や交流を密にしておきましょう(遠い親戚より近くの知人)
障害を隠さずに、必要な支援を平時より伝えることが必要でしょう。(支援=私縁)

【引用終わり】

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 地域によくとけ込むことが肝心である。常日ごろからいろんな機会にお付き合いしておく。こうしたことって意識的に積極的に行うことである。
 障がい者本人というよりは、家族の人たちが日常的にご近所とどうお付き合いしているかが、いざという時ものをいう。
 ご近所とのネットワークをしっかりつくっておくことで、災害になっても「明けない夜はない」としなければ。
 (ケー)


#地震発生から363日目「フラッシュバックがおきる」

2012年03月07日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から363日目(平成24年3月7日、水曜日)。
 また、大震災発生から363日目の新しい朝を迎えた。

 知的障害のある人にとって、災害時困った事例を取り上げる。
 「新潟県中越地震」【2004年10月23日(土)17時56分】の時である。
 障害保健福祉研究情報システム DINF Disability INFormation RESOURCESの記事からの引用だ。
 多動、不眠、不安が強まる。
      
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【引用始め】

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/disaster/2007seminar_houkoku/01_07.html

知的障害者について──災害時に困ること

2004年10月23日(土)17時56分に発生した「新潟県中越地震」では、次のような事例がありました。

1)家庭や、グループホーム、入所施設などで、多動的傾向のあるの人は通常以上に多動となり、家族や支援者が一緒にいたり、移動(散歩)したりして、一夜を過ごした人もいた。

2)自閉症的傾向のある人の中には、“フラッシュバック”状態もあり、不眠状態が続いたり、2年以上経過した今でも、いまだに診療を受けたり、不安状態が残っている人もおり、トラウマ(PTSD)も見受けられる。 

3)通信網の損壊により、入所施設も同様であるが、特にグループホームでは家庭との相互連絡が取れず、安否確認が遅れたための不安も拡大した。

4)グループホームでは、世話人が常駐と非常駐(時間勤務)の差異があり、知的障害者の災害対応にも違いが生じる。

なお、季節、時間帯により、災害による困難の内容・程度は異なり、「新潟県中越地震」も、厳冬期や夜間に発生していた場合、困難は一層増大していたであろうと考えられます。

【引用終わり】

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 東日本大震災でも知的障害のある人は、避難所生活がとても難しく、車中で何日間もいたという例を聞く。
 状況の急激な変化に適応するのが簡単でない。
 恐ろしい体験がフラッシュバックとなってくり返し思い起こされる。その度にパニックとなる。
 安心の得られる場所、刺激の少ない部屋を確保することだ。
 福祉避難所といった知的障害のある人が安心できる場を、災害後直ちに準備できる体制をどこの自治体も整えてほしい。
 こうした備えがあれば「明けない夜はない」となる。
 (ケー)


#地震発生から362日目「知的障害のある人が災害時困ること」

2012年03月06日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から362日目(平成24年3月6日、火曜日)。
 また、大震災発生から362日目の新しい朝を迎えた。

 昨日は、啓蟄。虫たちも冬ごもりから這い出す日。とはいっても、昨日は朝から湿った重い雪がぼたぼた降った。虫だって寒くて暖かい寝床から這い出すこともなかっただろう。
 山形市内、昨日は昼近くから雨に変わった。なごり雪といった感傷的な気分にもなれない。雪が多すぎる。うちの庭にも雪がどっさり。この雪いつになったら解けるのだろう。

 ところで、東日本大震災発生からもうじき1年。
 知的障害のある人が災害時どんなふうに困るか理解してもらいたい。
 周囲の人たちから助力や協力がぜひ必要になるからだ。
 障害保健福祉研究情報システム DINF Disability INFormation RESOURCESの掲載している内容を次に引用する。
      
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【引用始め】

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/disaster/2007seminar_houkoku/01_07.html

知的障害者について──災害時に困ること

 災害発生時に知的障害者が「だれ」と「どこ」にいるかにより、状況は大きくことなるでしょう。ひとりでいる場合、あるいは近くに家族や支援者がいなくて、一般市民と一緒にいるような場合には、重度・軽度の障害程度の違いを別にして、知的障害者の特徴として、次のような困難があります。

1)知的障害の特徴が理解されない場合がある(周囲にいる人が知的障害と判断できない場合がある)

2)周囲の人からの状況説明を理解できない場合がある

3)周囲の人に自分のこと(氏名・住所・連絡先など)を説明できない場合がある

4)身体障害などとの重複障害がある場合、理解されにくい(コミュニケーションが困難)

5)災害による異常事態で情緒不安定やパニックなどが起こることがある。

6)知的障害者がひとりでいる場合、災害情報が防災放送や防災無線・有線などで伝達されても、内容の理解や対応に困難がある。


【引用終わり】

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 大災害時、誰もがパニック状況に陥る。知的障害のある人はそれ以上のパニックに陥る。コミュニケーションがますますとりづらくなる。
 でも、周囲が真剣に対応することで、それを察知して知的障害のある人もみんなとともに協力して指示に従って行動するものだ。
 東日本大震災でもそうした事例をいくつも聞いた。
 ふだんだったら避難訓練などで動こうとしないで手こずらせる人も、津波が襲ってくるといった危機的な状況で整然と避難することが出来た。

 「明けない夜はない」とするためには、地域の中で知的障害のある人はこんな人だと理解がすすんでいれば、いざとなったらみんな協力して助け合ってくれる。

 (ケー)


#地震発生から361日目「障がい者の被害状況調査」

2012年03月05日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から361日目(平成24年3月5日、月曜日)。
 また、大震災発生から361日目の新しい朝を迎えた。

 以前の本ブログ(平成23年12月24日)で、次のような話題取り上げた。
 【#地震発生から289日目その2「障がい者の東日本大震災死亡率は2倍」】(12月24日、土曜日)。
 毎日jp(毎日新聞 2011年12月24日 0時03分)の記事を引用して、障がい者の被災地における被害状況の把握が必要なことを訴えた。
 もう一度、同じ記事を引用する。
 毎日新聞の調査で「東日本大震災における障害者の死亡率2倍」。
 それに、「在宅者保護が難しい」という事実が明らかになった。
 そのための対策が早急に求められる。
 それも全国においてきちっとした対策である。
 以下、再度読んでほしい。こうした実態を放置したままでは再び同様の悲劇をくり返しかねない。戦慄さえ覚える。
      
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【引用始め】

http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/archive/news/2011/12/24/20111224k0000m040091000c.html

東日本大震災:障害者の死亡率2倍 在宅者保護難しく

 東日本大震災の被害が最も大きかった東北3県の沿岸部自治体で、身体、知的、精神の各障害者手帳の所持者に占める犠牲者の割合は約2%に上り、住民全体の死亡率に比べ2倍以上高かったことが、毎日新聞の調べで分かった。多くの犠牲者は自宅など施設以外の場所にいて、移動が困難だったり状況を把握できず津波から逃げ遅れたとみられる。障害者が抱える災害時のリスクをどう減らすかが改めて問われている。

 調査は10月、3県の沿岸部のうち犠牲者が出た35市町村を対象に実施、33市町村(宮城14、岩手9、福島10)が回答した。仙台市と岩手県陸前高田市は「障害者の死者数を把握できない」として数値の回答はなかった。33市町村の死者は計1万3619人で、全体に占める割合は約0.9%。身体、知的、精神の各障害者手帳の所持者(計7万6568人)に限ると犠牲者は1568人で、死亡率は約2%に達していた。

 障害者が亡くなる率が特に高かったのは宮城県沿岸部。599人の障害者が亡くなった石巻市は7.4%に上った。538人は身体障害者で、うち256人が肢体不自由だった。視覚障害者と聴覚障害者もそれぞれ30人以上亡くなった。市障害福祉課は「施設入所者やデイサービスを受けていた人たちの死亡例は、ほとんどなかった。自力で動けなかったり、津波が迫るのが分からず自宅などで逃げ遅れたケースが多かった可能性がある」と指摘する。

 宮城県女川町では75人の障害者(身体69人、知的4人、精神2人)が犠牲になり、死亡率は14%に達した。このほか同県南三陸町(8.2%)、岩手県山田町(5.4%)、福島県新地町(3.9%)などの死亡率が高かった。【野倉恵】

 ◇過酷な現実示す数字
 藤井克徳・日本障害フォーラム幹事会議長の話 障害者がいかに過酷な現実にさらされたかを示す数字だ。この現実を直視せずに社会保障制度や復興策の議論を進めることはできない。国が責任を持って詳細な実態を調査すべきだ。

毎日新聞 2011年12月24日 0時03分

【引用終わり】

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 仙台市などは障がい者の被害状況が把握できない。規模が大きいためだろうか。しかし、行方不明者を除けば犠牲者の氏名が明らかになっているはず。犠牲になった人の障がいの有無がわからないはずがない。時間かけて一人一人についてどんな状況で犠牲になったか把握する必要がある。
 そのことによって、今後の防災に役立てたい。それが犠牲になった方に対するせめてもの弔いとなる。
 多分やるべきことが被災地では山ほどある。
 障がい者の被害状況調査に手を付けるほどの余裕がないのかもしれない。
 復興庁が積極的に調査に乗り出してほしい。もう手がけているよとなれば杞憂なのだが。
 東日本大震災が発生してから1週間もすると、1年がたとうとする。
 復興の足音が徐々に見え始めている地域と、まだ先行き不透明の地域間格差がはっきりしてきている。
 どこにも、「明けない夜はない」となるようにみんな協力するしかない。

 (ケー)


#地震発生から360日目「東日本大震災のがれき日本中で引き受けろ」

2012年03月04日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から360日目(平成24年3月4日、日曜日)。
 また、大震災発生から360日目の新しい朝を迎えた。

 東日本大震災で出たがれき処理問題、沖縄の米軍基地移転問題、ゴミ焼却場新設問題、障害者施設新設問題、迷惑なものは来ないでほしいと反対を叫ぶ人たちがいる
 その声が住民の多数意見だと称して政治家は二の足を踏む。
 いつまでも問題は解決しないまま放置される形となる。
 ムダな多額の税金が調査費として使われている例もある。
 時間がたてばたつほどリスクが増える。
 先送りしてうまくいくことなんてない。

 重要な問題を先送りしたり、積極的に解決に努力している例を取り上げたニュースを次のネタ元より引用する。

○ スポニチSponichi Annex 伊集院静氏のいら立ち…「がれき処理手伝って」[ 2012年3月2日 10:00 ]

○ KOL NET KAHOKU ONLINE NETWORK 河北新報社 がれき処理「可能な限り」国内最多受け入れ・山形の8ヵ月(2012年03月03日土曜日)

○ 毎日jp 山形・新ごみ焼却場:用地取得断念 市議会で市議「22億円無駄に」 市長の責任問う(毎日新聞 2012年2月29日 地方版)

○ 自閉症NEWS Library 法人「計画白紙に」 知的障害者施設反対運動/愛媛【2011/1/14付 愛媛新聞より引用抜粋】


 最初の記事は、伊集院静氏(直木賞作家)の怒りだ。
 東日本大震災のがれき処理を日本人の問題として一人一人責任負うぐらいの気持ちもってほしいと、スポニチの紙上(2012年3月2日)で次のように訴える。
 以下、上記3つの話題も次に引用する。
     
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【引用始め】

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スポニチSponichi Annex

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/03/02/kiji/K20120302002741730.html

伊集院静氏のいら立ち…「がれき処理手伝って」 [ 2012年3月2日 10:00 ]


それぞれの3・11 東北に思いを込めて

 「ボランティアに来てくれたみなさん、本当にありがとう。でももう一回、がれき処理を手伝ってくれませんか」

 仙台市内の自宅が半壊した直木賞作家の伊集院静氏(62)はそう訴える。3月11日午後2時46分は自宅で仕事中だった。家屋は半壊した。それから1年、家の修理は終わっていないが、生活はほぼ通常に戻ったという。しかし被災地の約2200万トン(環境省推定)のがれきはほぼ手つかずのまま。「目の前にがれきが山と積んであったら、物理的にも、精神的にも復興はできない」と話す。

 最終処分されたがれきは全体の約5%。「がれきを受け入れてくれたのは北海道、東北4県、東京、埼玉、神奈川、静岡、京都、高知の一部自治体だけ。それ以外の全国市町村は拒否した。首長は“住民を守る義務がある”というが、それは勝手な理屈。きみたちはどこの国に生きているんだ。県市町村、全部が合わさって日本という国家じゃないのか。それでも日本人か、恥を知れ」と語気を強める。

 「心配してますと口にしても、あなたがたが選んだ首長ががれきを拒否しているんだ」。国難と言われる東日本大震災だが、約8割の国民は被災を逃れた。伊集院氏は、がれき処理に国民一丸とならない現状にいら立ちを募らせる。「全国の各家庭が灯油缶にがれきを詰め“2011年に震災があった。いつか自分のところにも起きる”と書いて置いておけばいい。2、3代先へ警鐘になるし、一度にがれきの処理も終わる。それが日本人としての努めではないのか」と提案。受け入れが難航する背景には放射性物質の汚染があるが「それは必ず処置の方法がある」と科学で解決できる問題とした。

 伊集院氏は、震災の問題と沖縄の基地問題がだぶって見えるとも言う。「被災しなかった8割の日本人は、自分たちのところへ地震が来なければいい、基地が来なければいい。そういう見方をしている。東北と沖縄に対する目が同じ。これがいまの日本人を表しているのではないか」と憂えた。

 3月11日には被災地以外でも100を超える追悼イベントがある。「でも残っているがれきの量は減らない。どうしてくれるのかということ。ボランティアにはもう一回お願いしたい。がれきの撤去を手伝ってほしい」と繰り返した。

 義援金の使途、被災地の建設技術者不足など、がれきと同様、問題は山積み。伊集院氏は「見つかった行方不明者の通夜、葬儀がいまでも毎日行われている。それがいまの東北。復興まで道のりはまだ遠いということを、みなさんには理解してもらいたい」と全国民に訴えた。[ 2012年3月2日 10:00 ]

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KOL NET KAHOKU ONLINE NETWORK 河北新報社(2012年03月03日土曜日)

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/03/20120303t51008.htm

がれき処理「可能な限り」国内最多受け入れ・山形の8ヵ月

 東日本大震災で発生した岩手、宮城両県のがれきの広域処理が全国的に滞る中、真っ先にがれきを受け入れた山形県で処理が始まってから8カ月がたった。今のところ放射性物質に関する異常は確認されておらず、目立った反対運動も起きていない。地元からの不安の声はゼロとはいえず、県は「安全の確認を徹底しながら、できる限り受け入れを続けたい」との姿勢だ。(関川洋平)

 山形県が受け入れたがれきの総量は岩手、宮城両県の4万9573トンで、青森県(6300トン)や東京都(3500トン)を上回り国内最多だ。
 山形でがれき処理が進む背景を県循環型社会推進課は(1)がれきの放射線量について国より厳しい独自の基準を昨年8月に設けるなど、初動が早かった(2)隣県の宮城とは震災前から業者間のパイプがあった-などと分析する。
 がれきの広域処理をめぐっては、放射性物質の影響を懸念する住民の反対が全国で相次ぎ、山形県内でも県庁には散発的に抗議の電話やメールが寄せられている。子どもを持つ女性が「放射能をまき散らさないで」などと訴えるケースが多いという。
 県民の不安解消のため県は、がれきの放射性物質の検査や処理施設周辺の空間放射線量の測定を行っている。データは随時ホームページなどで公表し、現在まで基準値を超えた例はない。吉村美栄子知事は「県民の理解を得ながら受け入れを進めてきた」と強調。県庁には少数だが「受け入れ量を増やすべきだ」との意見も寄せられているという。
 ただ、山形が受け入れているがれきは埋め立て処理する廃棄食品や不燃物が大半。これに対し被災地では、仮置き場で自然発火する恐れがある建材、プラスチックなど可燃物の処理が優先的に求められている。「山形県内の焼却施設の余力は少ない」(循環型社会推進課)という事情があり、広域的な処理の分担はこの点からも急がれる。

◎木くず処理、村山の業者 測定続け信頼得る

 山形県内で最も早くがれきの受け入れを始めたのは、村山市の廃棄物処理業者「やまがたグリーンリサイクル」。昨年7月からほぼ毎日、気仙沼市の木くずを運び込み、県内で発生する一般の木くずや剪定(せんてい)枝と混ぜ、バイオマス発電の燃料として活用している。
 1日午前、同社に木くずを積んだトラックが到着した。すぐに社員が荷台に上り、線量計を近づける。地元住民との取り決めで、空間放射線量が毎時0.2マイクロシーベルト以上なら即座に送り返すことになっているため、荷降ろしの前に測定する。
 測定結果は毎時0.03マイクロシーベルト。この日はトラック5台分、計28トンの木くずが搬入され、全て受け入れ可能だった。これまでに基準値を超えた事例はなく、県の放射性セシウムの検査も毎月クリアしている。処理量は2月で5000トンを超えた。
 受け入れを始めた当初、地元から反対の声が上がった。昨年8月に2度開いた説明会では「風評被害を受ける」「子どもに影響がある」などと、近隣の企業や住民から抗議が相次いだ。
 だが、抗議行動に発展することはなく、現在はさらに歩み寄りの兆しが見えている。
 同社はことしに入り、新年度のがれき受け入れに関して、あらためて説明会を開くことを提案。対する工業団地や町内会側は、これまでの放射線量の測定結果などから「あえて開かなくてもいい」との返事だったという。
 村山市環境課は「情報公開など業者側の努力もあり、現在は地元の反対意見は沈静化している」とした上で、「信頼関係を保つには放射線量の測定を続けることが大前提。指導する市の役割も大きい」と強調する。

【メモ】 山形県の吉村美栄子知事は昨年5月、「隣県として、できる限りがれき処理をサポートしたい」と表明。7月からこれまで米沢市、村山市、中山町など3市4町で民間業者ががれきを処理した。被災地のがれきは岩手県で約57万トン、宮城県で少なくとも約344万トンを県外処理する必要がある。福島県のがれきは全て県内で処理される。

2012年03月03日土曜日

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毎日jp(毎日新聞 2012年2月29日 地方版)

http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20120229ddlk06040071000c.html


山形・新ごみ焼却場:用地取得断念 市議会で市議「22億円無駄に」 市長の責任問う /山形

 山形市議会3月定例会の一般質問が28日行われ、山形広域環境事務組合(管理者・市川昭男山形市長)が新ごみ焼却場の建設予定地として上山市裏町大石蔭(かげ)を断念したことについて、市議2人が3度目の用地取得断念の責任をただした。

 長谷川幸司市議(自民党新翔会)は「これまで投入した約22億円の税金は無駄になった。民間企業ならクビだ」と指摘。石沢秀夫市議(市民連合)は「現在の焼却場2カ所は耐用年数を大幅に超えて綱渡りの状態だ。3度目の断念で『新しい焼却場を早急に造る』と繰り返すことはできない」と述べ、これまでの経費を質問した。

 市川市長は、山形市蔵王半郷が建設予定地だった99年から昨年度までの事業費が5億8100万円、人件費が6億6500万円とした。また、稼働中の焼却場2施設には06~08年の改修費が6億1800万円。さらに今回の上山市の予定地断念により、現在の清掃工場を18年まで延命させる改修費は4億1000万円を見込み、経費総額は約22億7400万円になるとした。

 石沢市議は「市川市長では4回目もできないのでは、という市民の声が多い。しっかりやってほしい」と再質問。市川市長は「真摯(しんし)に受け止める」と答えた。【和田明美】

毎日新聞 2012年2月29日 地方版

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http://newslibrary.blog46.fc2.com/blog-entry-347.html

自閉症NEWS Library

法人「計画白紙に」 知的障害者施設反対運動/愛媛【2011/1/14付 愛媛新聞より引用抜粋】

http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20110114/news20110114699.html

 松山市北部での知的障害者ケアホーム建設計画に対し、近隣住民らがのぼりや横断幕を設置して反対運動を展開している問題で、計画していた社会福祉法人「風早偕楽園」が13日までに、地元住民に「計画を白紙撤回する」と伝えていたことが分かった。
 反対運動はシーサイドハイツ町内会(約100世帯、松山市久保・粟井河原)と近隣住民が展開。地区の資産価値が下がるなどの理由で、計画の白紙撤回を求めていた。
 一部住民と開発会社が互いに松山簡裁に申し立てた調停が12日にあり、同法人の渡部宗一理事長が計画の白紙撤回を伝えた。同法人は現在、旧北条地区で別の建設場所を模索している段階という。
 渡部理事長は撤回理由について「障害者自立支援法の新サービスへの移行期限が来春に迫っており、これ以上待つことはできない」と説明。「町内会の住民は知的障害者について知らないから拒否感や不安があるのは当然。責めるつもりはない」と話した。

【引用終わり】

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 東日本大震災のがれき処理が進まない。放射性物質による汚染が心配だからという。しかし、調べてみると心配するほどのことがない。それがほとんど。それでも万が一あったら困るというとってつけたような理屈でがれきの受け入れしてない自治体がほとんど。
 沖縄の基地だって県外移設を受け入れる自治体はない。
 ただ、沖縄においても青森から雪を運んで南国の子ども達に楽しんでもらおうとしたら、放射線の汚染を心配する反対者がいて、取りやめになったというからなにをか況んや。

 山形県では被災地が隣県であることもあって、がれき受け入れには知事を先頭に積極的に動いている。受け入れるたびに放射線量を調べている。そして公表するといった手間をかけている。そうやって住民の理解を図っている。
 他の自治体ではもう始めから拒否反応。なにがなんでも迷惑で、困ったときの人助けなんて考えない。しかし、もし自分たちが同じ目にあったらといった想像力が働かない。日本のどこにいたっていずれは大地震が来るのに。たまたま、今は自分のところは助かっているだけなのに。

 山形市におけるゴミ焼却場建設もいつまでも決まらない。候補地が3回も頓挫した。候補地住民の反対が原因。これも環境に影響するからという。市民一人一人が出すゴミ。どこかで処分しなければゴミだらけの街になってしまう。これだってできるだけ環境に影響ない施設づくりに努力している。それでもゴミ焼却場があるだけでイメージが悪くなるといった理屈。

 知的障がい者施設が新設されることに対する反対もまだある。
 30年前の話になるが、障がい者団体が主催する大会で建設を叫ぶ反対者が抗議にくるかもしれないので、注意してくださいと言われビックリしたことがある。
 別な話だが、特別支援学校の増築に対して、地域住民が反対していろんな注文を付けてきた例もあった。環境にマッチするように屋根の色をあーしろこーしろというのだ。嫌がらせ、いちゃもんとしか言いようがない感じがしたもんだ。
 普通の学校ができるといったらこんなことなかっただろう。
 
 以上、余計なものはよこしてもらいたくない住民エゴ丸出し。

 それにしても、がれき処理は早急にしないと。それも各自治体が協力し合って。そうでなければ、いつまでも被災地は復旧も出来ない。
 これからどこもがれき処理をするという協力の声を上げるに違いない。反対の声に抗して。そうした流れをつくりださないと。
 「明けない夜はない」とするためにも。
 自分たちだけが安泰であればいいと言い続けていると、いずれ自分たちにしっぺ返しが来る。
 困ったときは相身互いだ。

 (ケー)


#地震発生から359日目「地域に溶け込んできて本当によかった」

2012年03月03日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から359日目(平成24年3月3日、土曜日)。
 また、大震災発生から359日目の新しい朝を迎えた。

 昨日の朝は山形市内とても冷え込んだ。霧がかかりあたり一面真っ白。これだと日中暖かくなりそうだなと思っていたら、11時過ぎぐらいから雪降り。ずっと絶え間なく水分たっぷりの雪が降る。
 一昨日とはうって変わった天気となった。良い天気が続かない。寒暖の差も激しい。こんなのをくり返してだんだんと暖かくなるのだろう。
 昨日からの雪で、あたり一面新雪が積もった。家の周りの木々にもまた雪が付いた。窓から外眺めたら川向こうの住宅のアンテナにカラスが止まっている。上空からエサを探しているのだろうか。あたり一面雪で、エサらしいものを見つけるのは難しいようだ。じっと止まって動こうとしない。

 さて、毎日jp(毎日新聞 2012年3月2日 東京朝刊)に、被災地で避難所生活を続けた重度の障がいのある生徒が晴れて特別支援学校高等部に入学する記事が掲載されている。
 次に引用する。
    
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【引用始め】

http://mainichi.jp/universalon/clipping/news/20120302ddm041040144000c.html

震災弱者:苦難の1年 宮城・石巻 地域が守った命 四肢不自由な少女、過酷な避難所生活に耐えた

 ◇周囲が支え、春には進学

 「肩幅を狭め、襟元を平らにしましょう」。2月13日、宮城県石巻市渡波地区の借り上げ住宅の居間で洋裁師に声を掛けられ、市立湊中3年の伊勢知那子さん(15)は口元をほころばせた。母理加さん(44)が「AKBみたいにするんだもんね」と笑いながら話しかける。採寸してもらったのは紺のブレザーに灰色のスカート。重い脳障害で四肢が不自由な知那子さんは4月、その制服を着て県立石巻支援学校高等部の1年生になる。

 「ほんとうに危ないことばかり」。理加さんは振り返る。

 震災時、知那子さんは父直弘さん(52)に抱えられ、市立湊小学校に避難した。北上川の河口から約1キロ北にあった自宅は浸水。昼夜を問わず必要なたん吸引機は理加さんが担いできたが、経管栄養の管など毎日使う医療用具や薬は流された。小教室に高齢者ら約30人が身を寄せながら雪で冷え込む中、両親と次女佳那子さん(16)が交代で、三女の知那子さんの体をさすった。

 最大時1000人規模の避難者がいた湊小には当初、発電機も救援物資もなかった。

 避難3日目、知那子さんはヘリで石巻赤十字病院に搬送された。だが、処置の優先順位が低いと判断され、同行した佳那子さんとともに一晩で戻された。その時、吸引機のバッテリー残量は1時間弱。「せめて充電して。命が守れない」。両親は病院側に訴え、何とか急場をしのいだ。

 避難所から仙台市に出向く人がいると聞くと、知那子さんの元主治医宛ての手紙を託して医療品や薬を送ってもらった。綱渡りの湊小での生活は2カ月に及び、震災発生時に仙台市にいた長女奈那子さん(19)と顔を合わせることも困難だった。

 それでも耐えられたのは、支援団体を通じて事情を知った各地のボランティア団体が「知那子ちゃんのことが心配」と湊小を訪れ、風呂などの世話をしてくれた上、周囲の避難者の心遣いを感じたからだ。

 生まれつきあごの関節が硬く、ものを飲み込むのが難しかった知那子さんは1歳時、のどを詰まらせ心肺停止になり重度の障害が残った。

 小学校入学時、「周囲の子供と一緒に」との両親の訴えが実り、小・中とも普通学校に通った。避難者の多くは「孫の運動会で(知那子さんを)見てたよ」などと好意的で、日当たりのいい場所を譲ってくれたりした。

 災害時の障害者や高齢者をケアするため、国は災害救助法に基づき、既存施設の中から「福祉避難所」を指定するよう自治体に促している。だが、石巻市は当時、指定がなかった。震災6日後、ようやく2カ所に設置。ただし入所者の多くは高齢者で、次女佳那子さんの高校は遠く、急ごしらえで情報も入りにくい。一家はメリットを感じられなかった。

 知那子さんは1月19日、セーラー服姿で車椅子の上で姿勢を正し、支援学校高等部の面接に臨んだ。ほどなく合格が伝えられた。

 理加さんは避難生活について、障害者へのケアの準備不足を感じる一方、周囲の理解に助けられたことを感謝した。

 「地域に溶け込んできて、本当によかった」【野倉恵】

毎日新聞 2012年3月2日 東京朝刊

【引用終わり】

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 東日本大震災直後の混乱の中で、これだけ重度の障がいのある子どもが避難所生活を乗りこえることが出来たのは奇跡としか言いようがない。
 本当に地域の支援がそうさせた。
 多くの苦労があったことは筆舌に表しようがないことも確か。
 福祉避難所のありようも問われる。
 こうした障がい者に対する災害時の援助策をもっともっと訴えていかなければならない。
 災害弱者にとって「明けない夜はない」とするためにも。

 伊勢知那子さん中学校卒業おめでとう。高校入学おめでとう。
 これからの3年間、特別支援学校で充実した学校生活になることを祈っています。

  (ケー)


#地震発生から358日目「雪の重みでコンクリート製の電柱が折れた」

2012年03月02日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から358日目(平成24年3月2日、金曜日)。
 また、大震災発生から358日目の新しい朝を迎えた。

 山形新聞 Yamagata News Onlie(2012年03月01日 10:30)の報道によれば、雪の重みで電柱が折れ一時県道が通行止めになった。
 山形県舟形町舟形であった。
 次の記事である。
    
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【引用始め】

http://yamagata-np.jp/news/201203/01/kj_2012030100021.php

電柱ポキリ、電線が道路ふさぐ・舟形 雪の重みで折れた?
2012年03月01日 10:30

道路脇の電柱が折れた現場=29日午後3時1分、舟形町舟形  29日午後2時20分ごろ、舟形町舟形で、県道沿いのコンクリート製の電柱が折れて電線が道路をふさぎ、約1時間、全面通行止めとなった。

 東北電力新庄営業所よると、電柱は路面から4、5メートルほどの部分で折れた。周りには道路を除雪した際に積み上げられた雪が4メートル以上あり、雪の重みで折れた可能性が高いという。引き続き原因を調べている。

 現場は同町役場の約200メートル北。この影響で、電柱の道路向かいの住宅1軒への送電が止まったため、同営業所が応急用電源車で電力を供給して対応した。

【引用終わり】

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 雪でコンクリート製の電柱が折れるとは信じられない。いくら雪が多いとはいえ、雪の重みとはすさまじい。雪下ろしもしないで放っておいた家が倒壊した例もいくつか起きている。それはそれで大変だが、電柱が折れたなんてことは今までもあったのだろうか。

 ただ、ネットで『電柱 折れる』と検索したら、強風で電柱が『倒れた』というのはいっぱい出てくる。
 もう一度『電柱 折れる 雪の重み』で検索したら、『鳥取 2万7千戸停電 雪の重みで送電鉄塔、電柱が倒れ、高圧線が断線』との記事が出てきた。
 2011年1月1日、大雪の鳥取での話。
 停電の原因は『雪による電柱の倒壊や高圧線の断線』。
 停電によって病院にも大きな影響を次のように与えている。

 『米子市両三柳にある博愛病院(218床)では、10時間以上にわたって病院全体の機器類や電灯などがすべて止まっており、職員が総出で、入院患者約100人の対応などに追われている。
 別の病院に移送が必要な患者は今のところいないが、外来患者は断らざるを得ない状況という。』

 大変な災害だったことがわかる。

 それでも、3月暦の上では春。
 何となく春らしい気配は感じるようになってきた。
 朝6時ぐらいになると薄ぼんやりとしてくる。日が昇るのもだいぶ早くなった。
 気分的にも明るくなる。
 「明けない夜はない」と前向きな気分にもなる。
 (ケー)


#地震発生から357日目「厚着して節電」

2012年03月01日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から357日目(平成24年3月1日、木曜日)。
 また、大震災発生から357日目の新しい朝を迎えた。

 山形新聞 Yamgata News Online(2012年02月28日)に、堅実で倹約家の山形県気質が表れた記事が掲載された。
 今冬の豪雪において、室内では厚着して節電しているとの次のような調査結果についてである。
 
    
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【引用始め】

http://yamagata-np.jp/news/201202/28/kj_2012022801034.php

山形県民は「しっかり厚着、きっちり節電」 気象会社調査
2012年02月28日 16:04

 山形県民は暖房に依存せず、しっかり着込んで冬を過ごす-。気象情報会社「ウェザーニューズ」(東京)が行った「部屋の温度×セツデン調査」の結果から、そんな県民性が浮かび上がった。

 調査は同社の携帯電話サイト利用者に対して1月下旬に行い、2万3089人(男性39%、女性61%)から有効回答を得た。

 いつもいる部屋の室温を尋ねたところ、全国平均は18.85度で、前年より0.54度低かった。最も高かったのは20.73度の北海道で、3年連続の1位。2位は昨年12月~今年1月の気温が20度前後で推移した沖縄、続いて3位青森、4位秋田、5位三重の順。山形は全国平均を下回る18.38度で35位。最下位は17.5度の長野だった。

 部屋での服装について、(1)半袖に短パン(2)半袖に長ズボン(3)長袖に長ズボン(4)長袖・長ズボンに上着(5)長袖・長ズボンに厚手の上着-からの選択で、最も厚着となる(5)が一番多かったのが山形で38.3%。以下、2位熊本、3位沖縄で、最下位は北海道。最も薄着の(1)は1位が沖縄6.9%、2位長崎、3位北海道で、山形は1.2%で24位。最下位は秋田、宮崎、鹿児島など5県。

 この結果から、北海道民が部屋を暖かくして薄着でいるのとは逆に、山形県民は部屋の室温をそれほど上げずに厚着で過ごしている姿が見えてくる。

 また、全国的に10代は(3)が最多で、半数以上が上着を着用しなかった。家屋の形態別では、一戸建て住宅は(4)が最も多く、外気に接する面積が少なくなる集合住宅では(3)が最多だった。

 今冬の節電努力に関し、「しっかり節電している」との回答が最も多かったのは12.2%の滋賀で、2位愛媛、3位沖縄。最下位が鳥取、山形はその1つ上の46位で4.8%だったが、厚着して室温を抑えている県民性を考えれば、普段から節電に務めており、あらためての取り組みは必要ないということか。

【引用終わり】

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 私に対しては、調査依頼がなかったが、まさしく厚着して暖房も18度に設定して節電対策している。
 上半身の下着はランニング、半袖、長袖のシャツを重ね着して、その上にフリース、さらに毛糸のジャケットをはおっている。5枚重ね着している。
 下半身の下着はブリーフ、膝丈のパッチ、くるぶし丈のパッチに、ネルのパンツと4枚の重ね着。
 こんなこと恥ずかし気もなく白状してしまった。
 山形県人の中でも厚着し過ぎといわれるに違いない。

 ただ、厚着はエアコンの設定温度を低くする効果はある。しかし、洗濯物が多くなる。洗濯機をまわす回数が増える。それ考えると、本当に節電していることになるのかなあ。電力消費バランスを調べないと本当のところはわからない。

 また、先日の悲しい事故を思い出す。
 札幌での姉妹が、電気を止められて暖房もなしの生活を送っていた。
 結果、姉が異常なほどの厚着のまま亡くなっていた。持病の脳の病気による。
 そして、妹は知的障がいがあってなすすべなくその後餓死して亡くなった。冷蔵庫には食料が何もなかったという。やせ衰えた妹も毛布にくるまってベッドで死んでいた。

 厚着だけではなんともならない。
 必要なところには公的な適時・適切なサポートが必要だった。また、周囲が気づいてやれなかった社会体制の不備をどう解消するかも問われる。

 厚着でいい人は厚着で。生活援助が必要とする人には適時・適量な援助を。
 「明けない夜はない」とみんなが思えるようにしなければ。
 (ケー)


#地震発生から356日目「頼りになるラジオ」

2012年02月29日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から356日目(平成24年2月29日、水曜日)。
 また、大震災発生から356日目の新しい朝を迎えた。

 本日は、平年より1日多い、閏年による閏日。
 大震災発生からあと11日で1年。

 「地震 備え」とネットで検索すると、大量のサイトが出てくる。
 あらためてどんなことを個人的にやっておくといいか考える。
 次に引用するのは、携帯ラジオを常備しておくのがいいという話だ。
   
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【引用始め】

http://www.nhk.or.jp/saigai/sonae/radio.html

頼りになるラジオ

災害の時、頼りになるのがラジオです。地震などで停電になるとテレビからは情報が得られないことがありますが、電池式の携帯ラジオならいつでもどこでも聞くことができます。避難する時にも手軽に持ち出すことができて狭い避難所でも場所をとりません。阪神・淡路大震災の時も被災地では、生活に欠かせない情報をラジオから得ていたという話が多くの人から聞かれました。普段から手の届くところにラジオを置くか、非常持ち出し品をまとめた袋の中にラジオも入れておきましょう。予備の電池も忘れずに用意しておいて下さい。

【引用終わり】

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 3.11東日本大震災で山形市内も停電になった。
 明かりなし、暖房なし、テレビなし。買い置きの食料でなんとかしのいだ。
 携帯ラジオをかけっぱなしで次々と報道されるなんともやれきれない事実にため息をついていた記憶がある。
 あれ以来うちではラジオが欠かせなくなった。
 朝の情報はラジオを付けて聴いている。

 東日本大震災の被災地では、FMラジオ局がたくさん立ち上がってきめ細かな地域情報を流したという。それが大いに役立った。
 ラジオって機動力がある。いざという時は、システムが簡易で、安価なものに限る。
 
 ラジオは「明けない夜はない」情報を伝えてくれる。
 (ケー)


#地震発生から355日目「僕を置き去りにしていいから、母さん津波きたら逃げて」

2012年02月28日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から355日目(平成24年2月28日、火曜日)。
 また、大震災発生から355日目の新しい朝を迎えた。

 ブログ「関わり合いの場から」では、柴田保之氏(國學院大學教授)が重い障害者のありのままの言葉を拾い集めている。
 町田市障がい者青年学級の活動を支援している場から生み出された障害者の真実を綴っている。
 次に引用する文章は40代半ばになる視覚障がい者が語った言葉だという。
 余りにも重い。
  
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【引用始め】

http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/article/412/

2011年12月02日(金)
みんなのあかりコース 東日本大震災のとりくみ 11月20日その1

 町田市障がい者青年学級のみんなのあかりコースでは、3月の成果発表会に向けて、東日本大震災をテーマに取り組んでいくことにした。そこで、11月20日の活動では、この半年間に青年学級やとびたつ会のメンバーが折りにふれて書いてきた震災に関わる文章をみんなで読み合って、それぞれが作文を書くことになった。独力で原稿用紙に向かったかたももちろんいるが、パソコンによって作文を書いた人もいる。
 まず、この日、もっとも衝撃的だったSさんの文章を紹介する。Sさんは視覚障害があり、いつもガイドヘルパーさんといらっしゃる。まだパソコンに取り組んだことはなかったが、みんながパソコンに向かう様子をみて、ぜひSさんの気持もパソコンで聞いてみたいとおっしゃった。そこで、さっそく挑戦した。彼がさっと綴った文章は、以下の通りだ。

 【若くないけれど僕は地震の時にはとても感動したことがあります。唯一の希望という言葉が今日は語られましたが、僕もそのことばかり考えていたのでとても共感しました。僕も目が不自由なのでもし津波が来たら逃げられないと思いますが、何度も考えたのは母のことです。もし僕のために母が逃げ遅れたらどうしようということです。僕は母にはなるべく逃げてほしいです。私のために自分の人生を使い果たした母が僕のせいでなくなるのは耐えられませんが、まなざしを見ていると申し訳ないのですが、私を置いて逃げてほしいです。なぜなら僕が唯一母にできることはそれだけだからです。】

 Sさんのお母さんのことをよく知っているガイドヘルパーさんは、ひときわこのSさんの思いが心にしみわたったようだった。もう40代の半ばを過ぎたSさんのお母さんだから、ほんとうにご高齢で、文字通りSさんのためにその人生を捧げてこられてことだろう。そのお母さんに向けたあまりにも深い思いだった。

【引用終わり】

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 母親の人生をずっと見続けてきた、この目の不自由なSさん。
 苦労かけっぱなしだったということを、津波にあったら僕を置き去りにしても良いから逃げてという言葉になった。
 自分が母親に出来ることは、唯一これしかないというのだ。
 母親が逃げ遅れて亡くなるなんて耐えられないとまで言っている。
 今まで母親と二人三脚で生きてきたSさんにとって、突拍子もない考え方でないのだろう。母さんが津波で亡くなって、自分だけが生き残るなんてなったら生きている意味がないとの思いかもしれない。
 希望を考えていて、こうしたことに思い至る。このSさんの人生は私なんか想像だにできない苦悩だったに違いない。
 Sさんにとって生涯「明けない夜はない」なんて思いたくない。母とSさんの二人の歩みにいくつもの希望があったことだろう。母と子の切っても切れない絆がある。
 ただ、Sさんは高齢になった母がこれからどうなるか心配なはずだ。
 (ケー)


#地震発生から354日目「雪で家倒壊、除雪による死者17人、またも大雪」

2012年02月27日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から354日目(平成24年2月27日、月曜日)。
 また、大震災発生から354日目の新しい朝を迎えた。

 山形市内、早朝は小雪がちらつく。

 相も変わらず雪ネタになってしまうが、山形新聞 Yamagata News Onlineから3つの記事を引用する。
 雪の重みで家倒壊、除雪で山形県内死者数17人、またも大雪にという3つの報道である。
 雪国にとっては今日の雪はどうかから話が始まる。
 
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【引用始め】

http://yamagata-np.jp/news/201202/26/kj_2012022600951.php

雪の重み、倒壊相次ぐ 長井・空き店舗、山形・木造車庫
2012年02月26日 11:57

 25日午後0時25分ごろ、長井市栄町で、近くの不動産業海老名京子さん(68)が所有する木造2階建て空き店舗が雪の重みで倒壊した。大正時代の建物で、がれきが道路を覆い、現場周辺は一時、片側交互通行となった。けが人はなかった。

 長井署によると、空き店舗は1、2階とも崩れ、倒壊部分は計172.8平方メートル。雪の重みで屋根は中心部分から落ちた。当時、約1メートルの積雪があったという。大きな音で気付いた近所の女性が110番通報した。以前、履物を扱う店が入っていたが、2、3年前から空き店舗となっていた。

     ◇

 25日午前10時20分ごろ、山形市江南2丁目、無職長岡俊昭さん(63)方の自宅脇にある木造の車庫が、雪の重みで倒壊した。

 山形署によると車庫は約50平方メートル。トタンぶきの屋根の上に、多いところで約1メートルの積雪があった。長岡さんによると、車庫は築約30年で、当時、車は止めていなかった。

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http://yamagata-np.jp/news/201202/26/kj_2012022600966.php

除雪による県内死者数、過去最多の17人
2012年02月26日 22:20

 今冬の雪下ろしや除雪作業に伴う県内死者数が26日午前10時現在、県の集計で17人に上り、記録が残る1975(昭和50)年以降、過去最も多い死者を数えた昨冬(10年度)に並んだ。今後も降雪が予測されることから、県豪雪災害対策本部(本部長・吉村美栄子知事)は注意を促している。

 県危機管理課によると、24日夜に米沢市で男性が除雪機のローターに巻き込まれる死亡事故が発生し、今シーズンの死者が17人となった。今冬の除雪に伴う死亡事故を原因別にみると、雪下ろしに伴う転落が8人、屋根などからの落雪が4人、除雪時の転倒が1人など。除雪機に伴う死亡は24日の事故が初めてだった。既に過去最多となっている県内死傷者数は26日午後10時時点の288人。

 吉村知事は26日、「寒さは緩んできているが、今後も降雪が予測される。死傷者の約8割が雪下ろしや落雪によるもので、細心の注意を払い安全第一の作業をお願いしたい。関係機関と連携し、雪害対策に万全を期す」とコメントを発表した。

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http://yamagata-np.jp/news/201202/26/kj_2012022600945.php

道路真っ白、また冬景色 25日の県内、各地でまとまった降雪
2012年02月26日 09:15

 25日の県内は、本州南岸の低気圧の影響で全般に雪が降った。平地では、まとまった降雪が約1週間ぶりの所が多かった。

 この日は、各地で早朝から日中を中心に雪が降った。同日午後3時までの12時間降雪量は山形15センチ、酒田と尾花沢が7センチ、新庄と米沢12センチ、長井14センチ。山形と酒田は17日以来、他の地域も1週間から数日ぶりのまとまった降雪となった。

 25日午後6時現在の積雪量は、山形61センチ、酒田16センチ、新庄149センチ、尾花沢192センチ、米沢103センチ、長井100センチ、小国196センチ、大蔵村肘折341センチ、西川町大井沢250センチ。

 山形市内では午前を中心に時々強い降雪。前日まで黒かったアスファルトの道路は圧雪状態となり、真冬の光景に戻った。商店や自宅前で除雪する市民らの姿があった。

【引用終わり】

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 雪も解けず、雪増えるばかりの印象。
 例年今ごろは山形市内だとほとんど雪も消え、黒い土が顔出している。
 今年は道路も圧雪、庭の雪なんか山盛りで、庭木が埋まったまま。
 雪解けを待とう。いずれ雪は解ける。お天道様何とかしてくれる。待つしかない。
 「明けない夜はない」ことを信じて。
 (ケー)


#地震発生から353日目「プライバシー保護と孤立の混同」

2012年02月26日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から353日目(平成24年2月26日、日曜日)。
 また、大震災発生から353日目の新しい朝を迎えた。

 昨日の土曜日は一日中雪降りだった。もう、雪はうんざり。
 昨日の外出は燃えるゴミ2個を朝がた集積所まで置いてきたときだけ。
 後はずっと家にこもりきり。体動かすのもおっくうになる。
 本日の朝も雪降り。雪降りが続く。

 msn.産経ニュース(2012.2.22 )では、母が急死した横で衰弱死した4歳児に関する続報を次のように報道している。

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【引用始め】

http://sankei.jp.msn.com/region/news/120222/tky12022222440024-n3.htm

また都会の孤独死 プライバシーの壁に阻まれ、幼い男児助けられず
2012.2.22 22:36

 都会の一角でまた、助けを求めることもできないまま「孤立死」した家族が見つかっていたことが22日、分かった。45歳の母親と知的障害を持つ4歳の次男とみられる。病気で急死したとされる母の横で、男児はなすすべもなく衰弱していったようだ。助けるチャンスはなかったのか。関係者の苦悩は深まる。

 オートロック、窓はシャッターで閉ざされ、外から部屋の様子はうかがえない。立川市のケースワーカーは1月中旬と下旬、2度にわたり女性宅を訪問したが、「プライバシーの壁」に阻まれ、“異変”には気づけなかった。

 「1回目に郵便受けにあふれていた郵便物が、2回目にはなくなっていた。長期の不在と判断してしまった」(市障害福祉課)。生活保護は受けず、保育園や幼稚園にも通わない。2人と行政の唯一のつながりだった障害児世帯向けの紙おむつの支給サービスも「都会の孤立死」を防ぐ手段にはつながらなかった。

 「虐待の疑いがあるならともかく、ケースワーカーに家庭に無理やり立ち入る権限はない。プライバシーに踏み込むのは難しい」と厚生労働省障害福祉課の担当者は行政の限界を示す。

 なぜ孤立を深めたのか。知的障害児を持つ親たちでつくる「全日本手をつなぐ育成会」の宮武秀信事務局長(63)は「障害児というレッテルを貼られることへの抵抗感や、子供に対する自責の念を抱き、自分の子供を障害児と周囲に伝えられない親は多い」と話す。

 障害者支援施設への短期入所、児童ヘルパーなど、障害児を持つ保護者への行政のサポートは拡充されつつあるが、「気後れもあり、サービスを受けたくないという人もいる」。マンションの住民も、男児に障害があることを知る人はほとんどいなかったという。近隣住民との関係の希薄さも漂う。

 こうした孤立は、障害児を持つ家庭に限った問題ではない。日本福祉大学健康社会研究センターの鈴木佳代主任研究員(社会階層論)は「小さな子供を抱える母子家庭や老老介護の世帯など、一人が一人を支える世帯であっても『他人の手は借りられない』と追いこまれて生きている人は多く、孤立の危険性は高い」と指摘する。

 75歳以上の要介護者のいる世帯のうち、75歳以上が介護する割合は平成22年に25・5%に及んだ。未成年の子供がいる母子家庭も元年は55万4千世帯だったのが、22年には70万8千世帯となり増加傾向にある。

 鈴木主任研究員は「難しい問題だが、地域とのつながりが大切だ。行政はプライバシー保護と孤立を混同させてはいけない。ある程度の働きかけがあってもよいはず。こうした人たちを社会につなぎ止めておくための機会を提示することも行政の仕事だ」と話す。

 警視庁立川署によると、2人の遺体は今月13日午後1時半ごろ、東京都立川市のマンションで発見された。部屋のガスが長期間にわたって使われていなかったため、マンション管理会社から連絡を受けた親族が同署に相談。署員らと、3階建てマンション1階の室内に鍵を開けて入ると、部屋の床に母親が倒れ、そばのソファにやせ細った男児が横たわっていた。

 司法解剖などの結果、2人は死後1~2カ月で、母親の死因はくも膜下出血の疑いがあることが判明。男児の死因は特定できなかったが、体重はわずか9キロ。胃の中は空で、脱水状態だった。着けていた紙おむつは汚物で汚れていた。

 同署は、1人で食事もできなかった男児が1週間から10日ほど飲食せず、衰弱死したとみて調べている。

 発見時、ガス、水道、電気などは止まっておらず、暖房はつけっぱなしで、冷蔵庫には野菜や飲み水も入っていたという。

 部屋は1LDKで、平成22年4月から母親と男児が2人きりで住んでいたとみられる。関係者によると、家賃は月額約10万円。生活保護は受けていなかった。

 立川市によると、市の委託を受けた業者が月に1回、男児の紙おむつを届けており、昨年12月上旬にもおむつを母親に渡したが、1月中旬に訪問した際は応答がなかった。連絡を受けた市の担当者は同月下旬、ケースワーカーを派遣したが、マンション玄関がオートロック式で立ち入れなかったという。

【引用終わり】

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 母親と障がい幼児の死。予兆を察知できなかったのか。母親自身が自らを閉じこめてしまうとこうした悲劇につながってしまう。
 ただ、母親が閉じこもるにはそれなりのヒストリーがあったに違いない。追い込まれていったヒストリーはどういうものであったか。誰ともつながることなく、一人母親だけが障がいのある子を背負い込んでしまった。
 父親の姿がさっぱり見えない。
 この母親には「明けない夜はない」と前向きになれず亡くなっていった。
 そして、子どもはなすすべないまま母にすがりついて亡くなっていったに違いない。
 (ケー)


#地震発生から352日目「想定外を想定する」

2012年02月25日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から352日目(平成24年2月25日、土曜日)。
 また、大震災発生から352日目の新しい朝を迎えた。

 山形市内、早朝より雪。天気予報どおりになった。もう雪いらない。また積もりそうな雪になっているから困る。いい加減にしてくれと天に言っても、なるようにしかならないのが天然自然。地震だって、津波だって、そうだ。
 そうした自然災害がいつかくることはわかっていたのだから、それにどう備えていたか。想定外という言い訳は通用させてはならないと今回の大震災でつくづく身にしみた。
 雪に対する備えだってしっかりすべきなのは当然。でも、豪雪の年になると大慌て。今年も除雪がうまくいかないし、雪下ろし事故など多発している。

 想定外を想定する必要性について訴える意見を次に引用する。
 msn.産経ニュースに福地茂雄氏が掲載(2012.2.22)したものである。
      
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【引用始め】

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120222/biz12022203120000-n1.htm

福地茂雄 「想定外」を「想定内」に
2012.2.22 03:12

 □アサヒグループホールディングス相談役(前NHK会長)

 昨年、世相を表す「今年の漢字」に選ばれたのは「絆」だが、「想定外」の言葉もよく使われた。以前、「想定内」という言葉もはやったことがあるが、昨年の「想定外」は社会に与える影響が極めて大きかった。東日本大震災とそれに伴う福島第1原子力発電所の事故が、「想定外」だったからである。

 「想定内」は経験則により成り立つものだ。定量的には過去の実績に照らし、例えば昨年が95、今年が100ならば、来年は105というように、経験則で積み上げて線を引ける。定性的には、成功体験や失敗体験に基づく。そして、この経験則に当てはまらないのが、「想定外」だといわれる。しかし、今の時代は経験則が当てはまらないことを、私たちは前提として認識しなくてはならないのではないか。経験則だけが「想定内」であるならば、今は、あらゆる事象が「想定外」になってしまう。

 上場企業の株主総会で、社長は質問に対して「想定外だった」と回答できない。株主から「では、あなた、社長を辞めてください」と言われるのがオチだからである。全ては不可能であるにせよ、いかに多くの「想定外」を想定内に取り込めるか、予測、予見、仮説などの先を見通す力を持つかが、これまで以上に政治や企業経営に求められている。

 昨年の大震災を機に、万が一、電力供給が途絶えた場合にNHKがどのような対策をしているのか、反芻(はんすう)してみた。NHKは東京・渋谷に放送センターがあるが、5台の自家発電機の設置場所を確認したところ、屋上に1台、1階に3台、地下に1台設置されていた。全ての自家発電機が同じフロアにあるのを回避しているわけだ。正解である。

 先日、局舎を建て替え中の甲府放送局に行った際にも、自家発電機の設置場所を確認してみた。以前の局舎では1階に設置していた自家発電機を、新局舎では最上階に設置していた。さまざまなリスクを想定し、最上階に移したということだった。また、渋谷の放送センターには、発電機を積んだトラックと送信設備のある車が1台は必ず外に出ているから、万一、社屋が潰れても安心だ。

 地震への備えという点では、東海・東南海・南海の大地震が同時に発生することも想定しなくてはならない。従来は大阪放送局が東京の代替機能を持っていたが、NHKは現在の松本正之会長のもとで3つ目の拠点を福岡放送局に準備し、リスクを低減している。

 もちろん、ただ想定するだけではなく、その通りに行動できるかどうかも大事である。仙台にあるアサヒビールの東北統括本部の担当者は、以前、本社で東海地震への対応などの危機管理を担当していた。そして、今回の震災時にも冷静に、想定通りに行動し、管内の社員の安否などを早期に確認できた。

 「想定外」を想定することは、未経験のことを想定することである。危機管理の問題だけではなく、前例のないことに挑むという、ポジティブな見方もしていくべきだろう。「想定外」を想定する仕事は根気が要るが、誰かがどこかで考えなくてはならない。それを怠ったとき、代償は計り知れないということを、私たちは肝に銘じなければならない。

(ふくち しげお)

【引用終わり】

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 昨年3月大地震が起きた。今冬は豪雪になった。災害がくり返される。
 でも、被害を少なくする努力は続ける。悲劇をできるだけ減らすためである。
 今までの経験則で太刀打ちできないことも起きる。それにも対処できる知恵を働かせる。何かがダメになったら次こうするといったバックアップ機能を持たせるのが基本となる。最低限、停電になったらどうするか、各家庭で想定しておく必要がある。電池の準備、ろうそく、マッチぐらいないと。今の家庭ではそれすらなくなっている。
 大災害に遭遇しても、「明けない夜はない」と前向きになるためにも。
 (ケー)