安芸国人のフランスで嫁さん探し!

フランスでボンジュールしております。めそ
どうぞヨロシク仮面!

百済との縁を探る旅!戦跡白村江!

2014-03-20 23:14:26 | 2011-2012年度旅行
みなさん、こんばんは。

今日も留学生の授業に出席したのですが、またフランス人ギャルに隣の席に座られてしまいました。フレンドリーに話しかけられるし、やっぱり惚れられたかも。。どうしましょう。。

さて。。

今日は旅行記です。

1月27日(月)。。。

宮女祠の脇から山に登ると。。



白馬江が見えてきました。。。

でも、草木の陰に隠れて、あまり見晴らしはよくない。。。

もう少し全体を見たいところです。

と。。。



向こうの方に楼閣があります。。

あそこからなら、見晴らしいいかも。。。



楼閣まで行きました。。



サジャル(シヒ楼)。。。。建物自体は前回ご紹介した迎月楼の近くに建っていた李氏朝鮮時代の建物をここに移築したものです。

かつて百済時代には白馬江側で最も高地となることから、望楼が築かれ、ここから白馬江から来る侵入者の監視をしていたらしいです。実際、サジャルの移築前の発掘調査で百済時代の礎石などが出土したとのこと。



サジャルからの眺め。。。

ちょっと木が邪魔ですね。。。

もう少し見晴らしのいいところはないのでしょうか。。。

そう思いながら、山道を進んでいくと。。。



下り道になってしまいました。。

もしかして、このまま特にスポットもなく、白馬江の船着場までたどり着いてしまうのでしょうか。。。

そう、ちょっと不安を感じつつ下っていたら。。。



ぽつんと1つ亭が見えてきました。。



百花亭でした。。。

あ、これは。。。

『地球の歩き方』の扶蘇山城のページを開きます。。

やっぱり!

以下は『地球の歩き方』韓国12~13年度版342ページからの抜粋です。

歴史的に最も興味深いのが百花亭。ここは白馬江に望む絶壁、落花岩(白村江の戦いに敗れたとき、女官たちが絶壁から次々と身を投げた様子が花が落ちるようだったためそう呼ばれる)にある東屋で、眼下にゆったりと流れる白馬江が見下ろせる。

きたーーーーーっ!

ようやく、白馬江の全景が見られそうです!

で。。。。



百花亭からの眺め。。。。

うーん、これはこれで情緒あるけど、全景ではないですよね。

でも。。。

赤↑の落花岩まで階段で行けるようだったので。。。



下りてみると。。。



わっせーーーーーっ!

天気がよかったこともありますが。。。

まさに絶景でした!

落花岩。。。。『地球の歩き方』にもちょっと書いてありましたが、660年、唐・新羅の連合軍が百済の王城を攻撃・・・王城陥落の際、百済の女官たちが自決を決意、次々とここから身投げをしたという話が残っています。

今では地元の人たちから、百済女性の貞操観念と忠の精神の象徴として称えられ、そして女官たちが60メートルもの絶壁から飛び降りる姿が落ちていく花のように美しかったことから、落花岩と名づけられました。。
(ただし、この話は後世に編纂された『三国遺事』が元ネタのようなので、史実かどうかは疑わしいのですが、これに関してはあまり無粋なことは言っちゃだめですよね。)

そんな悲劇的な話が残るこの地。。。なのですが。。。

日本人の僕としては、この白馬江を目の前にして、別の想いが沸き起こっていました。

白馬江、別名白村江。。。

百済滅亡後660年から3年。。。

遺臣たちが百済復興を願って立ち上がります!

そしてこのプヨの地で抵抗をするのです。

そして。。。

百済が救援を求めたのが。。。

日本でした。。



当時の日本は、645年の大化の改新によって、天皇を中心とした中央集権の国づくりをしようとしていた時代。
(画像は僕の歴史の授業のイラスト。左は蘇我入鹿、右は中大兄皇子)

中大兄皇子は百済の要請に応え、4万もの軍勢を朝鮮半島に派遣します。



これが世に言う663年の白村江の戦いです。

画像はコチラからお借りしました↓
http://pds.exblog.jp/pds/1/201211/03/07/a0212807_23242921.gif

この戦いで、日本は唐と新羅の連合軍に大敗北、一万人以上の死者を出し、百済も完全に滅びてしまいます。
詳しくはコチラをどうぞ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/白村江の戦い

今回この地を訪れて。。

今まで白村江って海沿いなのかと思っていたのですが、実際はかなり内陸部だったんですねえ。百済救援のためにこんな所まで来たのかという驚きと、こんな見知らぬ地で死んでいった兵士たちを想うと少しセンチメンタルになってしまいました。。。

ただ。。。

ちょっと残念だったのは。。。

扶蘇山城内には沢山の観光案内版があって、色々歴史に関しての説明をしてくれてるのですが(韓国語、英語、中国語、日本語の四ヶ国語)、日本が百済の救援に向かったことは一切スルー・・・触れられていませんでした。

まあ、大和朝廷側だって単なる善意だけで救援したんじゃないのでしょうが、一応、主力軍だったわけで。。。日本語バージョンだけでいいから、触れてほしかったな・・・・と、百済と日本の縁が感じられなくて、ちょっとだけ残念でした。。

さて。。。



後はひたすら山を下るだけです。



長い道のり。。。



江岸が見えてきました。



船着場も。。。



ここから船に乗って、白馬江を遊覧できるんですよね。



4000ウォン、約400円でチケットを購入。。。



ちょうど出発するようです。

早く乗らないと。。。



乗客は10人くらいかな。



ゆったりと流れる白馬江を遊覧します。





白馬江から見た扶蘇山城。。。

残念ながら逆光で綺麗に写りませんでした。。。



先ほどご紹介した落花岩の字が刻まれていました。

が。。。

逆光のせいで、女官が飛び降りた崖の頂は確認できませんでした。。。



この後は、20分ほど白馬江を遊覧。。。



そして。。。



遊覧を終えて、扶蘇山城の出口の向こうにある船着場で下船しました。

今日はここまで。。

次回はプヨの食事をご紹介します。

みなさん、おやすみ仮面!