阿蘇
居は気を移す
=居場所は人の気持ちを変化させる。地位や環境に
よって、人の考え方や人柄が変わるということ=
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「時を待つ心」
松下幸之助「道をひらく」
何ごとをなすにも時というものがある。時ーそれは人間の力を超えた、目には見えない大自然の力である。いかに望もうとも、春が来なければ桜は咲かぬ。いかにあせろうと、時期がこなければ事は成就せぬ。
冬が来れば春は近い。桜は静かにその春を待つ。それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、時の来るのを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。だが、自然の理はわがままな人情には流されない。冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。おたがいに時を待つ心を養いたい。
「あなたなら どうしますか?」
大阪に出張した帰り、新大阪駅で食事を終え、新幹線のホームにそろそろ行こう
かと歩いていたら、黒い財布が落ちているではありませんか。
私も以前、財布を紛失したことがあります。
財布の中にはお金だけならいいのですが、カード、免許証等を入れてましたので、
大変困った経験があります。
でも、落し物を拾うってチョッと罪の意識に似た感覚がありますよね。
落し物を見えないように持つと、人から「あの人もしかしたらポケットに入れるんじゃ」って思われないかなぁ~ とか考えたりして
私は今、 落し物の財布を拾いましたよ!って感じで、
人様に見えるように財布を持った手を前に差し出すようにして・・・
でも、困った事に新幹線の時間は迫ってるし、駅員さんにでも預けようと思っていたら、幸いにも前を警察官が歩いてきているではありませんか。
「あぁ~済みません、落し物のようで、そこで拾いました」正直でしょう!
警官・・私をジロジロ見るなり
「交番がそこにありますから、そこまでいいですか?」
「ハァ~ 新幹線の時間がありますので」折角届けているのに・・・
「ここでは処理出来ませんから、交番までお願いします」
「だから、時間がありませんから・・お渡ししますのでそちらで処理を頼みます」
落し物を警官の手に渡そうとするけど受け取らない!
さすが、温厚なtomo君も切れました!
「一番困ってるのは、落とし主の方、落とし主に返る事が一番でしょうが」
「私も時間があれば交番でも行きますよ・・時間がないからと言ってるでしょうが」
それでも、警察官は受け取らない!
じゃぁ~この拾った落し物を、私が落としますから
お宅が拾って処理したらいいでしょう!
で・・落し物の財布を床に落として、新幹線に無事間に合いました。
新幹線に乗っている間中
自分が新幹線を遅らせてでも交番に行くべきだったのかと・・
このようなケースの時、皆さんならどうしますか!