奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

花のように

2007年09月09日 | 松下幸之助「道をひらく」

                                            ソバの花

 帯に短し襷に長し
       =帯には短くて使えない、襷には長すぎてじゃまになる
        ことから、中途半端で使い物にならないことのたとえ=

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                「花のように」

砂漠に見いだす清らかな泉は、旅行く人の喜びであり憩いであり、そして励ましである。荒涼たる山野に、毅然として咲き誇る一輪の花は、また旅人へのこよなき慰めとなり励ましとなる。

今の世の中が、荒野の如く荒れ果てているとは敢えて言わないが、それでもこのおかしな時代に、人びとの心は次第に落ち着きを失って、索然たる気配が感ぜられぬこともない。

おたがいに手をつなぎ、助け助けられながら生きねばならぬこの世の中である。人の心が砂漠の如く荒れ果ててはたまらない。せめてわれわれでけでも、清らかな泉のように、毅然たる一輪の花のように、強く正しく働いてゆこうではないか。

むつかしいことかもしれないが、自分の仕事に誇りを持ち、自分の働きに意義を感じるならば、わが身の処し方もおのずから見いだされてくるであろう。

どんな世に中になっても、あわてす、うろたえず、淡々として社会への奉仕を心がけてゆこう。その姿自体が、人びとにとってすでに大きな励ましとなり、憩いとなるのである。

花のように。泉のように。そこにわれわれの喜びもある。
                          松下幸之助「道をひらく

 

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             写真:阿蘇に秋に咲く花
 
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 ツクシフウロ     ツルニンジン    コウライモエソウ  キツリフネ

            「ウソのような本当の話 その4」

これは、決して作り話ではありません。私が実際にこの目で見た話です。

今日はちょっと食欲もないし、うどんかそばを、簡単なものが食べたいねと友人とうどん屋さんに入って・・・何にしようかと迷っていました。

そこに老夫婦のところに丁度ザルソバが運ばれて・・・{あぁ~ザルソバも美味しいそうだね・・・}ザルソバを注文しようと考えて、何気なく・・・老夫婦の食べる様子をぼんやりと・・意味もなく眺めていました。

その時です。おばあさんがうどんを美味しそうに食べ始め、ザルソバを注文したおじいさん、な・・な・・なんと。。。おつゆをザルソバに直接かけたはじめたのです。オゥー・ビックリ・・・あいた口がふさがらない・・・NO NO  ノォー
アッと言う間に・・・・・・・・・おつゆはテーブルの上にこぼれ
これには・・おばあさんも・・ビックリ「あんたは・・・ほんなこつ・・・なんば・しよとかいた!ウゥーモォー」熊本弁。

思わず私、見てはいけないものを見てしまった・・と・・・老夫婦の方から目をそらしながらも・・・・笑ちゃいけないと・・・笑いをこらえているのに・・・・馬鹿な友人が「ケラっ」と笑うもんだから、もう私も笑いを堪えられないクスクス・・・

皆さん、決して、ザルソバを食べるときは、おつゆは直接かけないでね!
あの、おじいさん、家でザルソバを食べるときは器がきっとお皿に盛られていて、直接おつゆをかけてたべていたんだなぁ~て思う今日この頃です。

 
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