欲の熊鷹股裂くる(よくのくまたかまたさくる)
=欲が深すぎるとひどい目に遭うということ=
(熊鷹は日本に生息する鳥では最大級で、羽を広げると
1,7メートルのもなる。その熊鷹が二頭のいのししを同時
に掴んだ。驚いたいのししが左右に駆け出したので、
熊鷹の股が裂けてしまった。という昔話から)
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「欲は悪の根源か」
人間の欲望は、数限りなくあるようです。仏教ではこれを、三欲五欲とか、八欲十欲とか分類しているようですが、人間の欲望は、その質においても、その量においても、他の生物とは比較にならないほど広く、また深いものがあります。
まあお互い人間は、いわが欲の塊というか、欲と二人づれといってよいわけで、欲がないという人はおそらくないと思いますな。
それほど欲というものは、人間と切っても切れない関係にあるわけですよ。けれども、どうも、“欲”というと、これまでの通念として、あまりいい響きはありませんね。“欲が深い人”というと好ましくない人という響きがあります。
もっとも、そう考えるのもムリはない。お互いの社会生活において、何かよくない事件や、人と人とのみにくい争いなどは往々にしてこの欲に目がくらみ、ということから生じる場合が多いからです。
だから、これまで欲というものが悪の根源のように考えられてきた。そして、この欲を断ち、欲から脱却することが人間の徳として尊いことのように考えられてきた面があると思うのですよ。しかし、果たして欲は悪なのでしょうか。
ぼくはね、欲というものは、決して汚らわしいもにでもなければ悪の根源でもないと思うのです。それは人間の生命力のあらわれであり、生きんとする力が形になってあらわれてきたものだと思うのです。
つまり、これはね、蒸気船でいえば蒸気力のようなもにですよ。ですから、これを悪いものだといって停めてしまうと、船は動かなくなります。それと同じことでしてね、一切の欲望をなくせば、生命もなくなってしまうことになる。
欲それ自体は善でも悪でもないと思うのです。それは一つの力と考えるべきもので、善悪以前のものだと思うのですよ。生命力は人間が生きていくためにいわば宇宙根源の力によって与えられたものですからね。そのあらわれである欲望もまた天与のもの。
従って、人間はこれが与えられていることを大いに喜び感謝しなければならないと思うのです。欲望は感謝すべきもにであって、決して憎むべきものではない。
ただ注意しなければならないことは、善悪以前ということは、善にも悪にもなりうるということですね。
ちょうどそれは、われわれが船のカジを握っているようなもので、蒸気の力を善い方向にもっていくかは、このカジの動かし方一つにかかっているのですよ。
人間には、カジを左にも右にも動かしうる自由が与えられている。それは、船を順調に進ませるか座礁させるかの責任を負っているということでもある。つまり、みずからの欲望をお互いの繁栄・平和・幸福をおし進める方向に使うか、あるいは、お互いの不幸を招くために使うか、それは、人間自身が決めることだということです。
結局、欲望に対する認識とその処理は、すなわち、人間そのものの認識であり、人生の歩みを定めるものであるといっても過言ではないでしょうな。
「松下幸之助:人生談義より抜粋」
写真:熊本県水俣市・湯の児温泉
不知火海に面した海の温泉。景行天皇が発見されたという古い歴史を持つ温泉である。旅館が14軒ばかありあり各館とも露天風呂には凝っており、洞窟風呂やほら穴風呂、展望風呂と自慢の風呂がいっぱいである。それに、不知火海の海の幸が豊富に揃った料理も楽しみの一つである。また、桜の名所として有名で桜並木が続くチェリーラインがあり、3月下旬~4月上旬の桜祭りには、八代海に乗り出す海上花見船が出て、船上からの花見も楽しめます。