ごちゃまぜなぶろぐ(goo Ver.2.0)

灯台・ツーリング・写真など、取り留めのない内容ばっかりです。

'01北海道ツーリング(6月11日~6月14日)

2010-02-14 16:45:35 | ’01北海道ツーリング

2001年6月11日から7月2日まで北海道ツーリングを行った、22日間で4,095.3Kmを走った。あれから9年8ヶ月余り、当時の記憶はまだ鮮明に覚えている。思い出を振り返るのと同時に、あの頃の懐かしい思い出や記憶をこの「ごちゃまぜなぶろぐ」に残そうと思った。

 

無職になった2001年、かねてより憧れだった「バイクで日本一周」を計画した。ところがこれまで車ででしか一人旅をした事が無く、ましてバイクでの旅は初めての試みだった。いきなり日本一周は障害が大きく、北海道一周ツーリングをすることに決めた。日帰りでしかツーリングをした事の無い自身にとって、慣らし(試し)の目的で四国ツーリングを行ったのが同年の4月16日~4月20日の5日間。短い期間のツーリングではあったが大変参考になった、北海道ツーリング出発月を6月と決め、新たに準備を整えた。北海道には新日本海フェリー(舞鶴→小樽航路)を利用することに決めた。

 

【6月11日】 自宅→舞鶴港(新日本海フェリー)

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北海道旅立ちの日、朝からバイクに荷造りを行った。北海道ではユースホステルや旅人宿などの格安の宿泊施設か、キャンプ場でテント泊をしながら北海道を一周する予定だった。当時はHONDA SL230が旅の相棒、バイクのリアにサイドバックや防水バックに衣類やキャンプ道具など詰め、テント(ダンロップ製ドーム型ツーリングテント)やシュラフやロールマットなどを括りつけた。普段は軽く扱いやすいSL230も、ここまで積載すると重く扱いにくく感じた。午前中に荷造りを終了、17時に舞鶴港に向けて自宅を出発した。

 

自宅から国道175号を北に走る、途中のコンビニで小休止した後、国道175号から国道9号へ入り福知山市内を走り、再び国道175号を走る。辺りも暗くなりかけてきたがそのまま走り続ける、舞鶴市に入ってからは国道27号を走り舞鶴港へ着いた頃は辺りは真っ暗になっていた。まずは乗船手続きを済ませ、ターミナル内の食堂で晩飯を済ます。当日はライダーも10人くらいはいたが、やはり車での乗船客のほうが多かった。何もかもが初めてだったので、乗船待ちの時でも他のライダーと話することも無かった。たしか22時30分過ぎだったと思う、トラックなどの乗船が終わった後からバイクの乗船が始まった。車両甲板の端っこの方にバイクを止め、最小限の荷物だけを持って客室へ。2等(雑魚寝)も初めての経験だったが、客も少なくのんびりと船内では過ごす事が出来た。23時30分過ぎ、真っ暗の中をフェリーは日本海を小樽港に向けて出向した。すぐに風呂に入ろうとしたのだが、疲れていた為すぐに就寝に就いた。

 

【6月12日】 フェリー内

目が覚めた時は既に日が昇っていた、どうやら船酔いもしなかったみたいだ。起きてから歯磨き・洗顔を済ませ、事前に購入して持ち込んでいたパンで朝飯を食べた。当時の新日本海フェリーの舞鶴→小樽航路は30時間、この日は1日フェリー内で過ごす事となる。朝飯後は船内をウロウロしたり甲板に出たり、初めての長旅のフェリーも新鮮なものだった。時間が過ぎるのも早く感じた、昼飯は船内のレストランを利用した。メニューの中にウニやイクラなどの海産物を使ったメニューもあったが、北海道上陸前に食べるのを躊躇いハヤシライスを注文。食後に洗濯をしたり部屋(2等)に戻り、明日の予定をツーリングマップを見ながら考えたりしながら過ごしていた。

そもそも今回の北海道ツーリングは、「岬巡り」と、小樽港からは時計回りに進むという事だけが決まっていてそれ以外は全くの無計画。以前に何かの雑誌で読んだ事がある、ライダーは「端っこ」や「先端」が好き!なのだと。出発前もツーリングマップルを見ながら、〇〇岬と着く場所を片っ端から調べていた。現在のような灯台巡りではなく、自分自身の通った軌跡がそのまま北海道の形になると云う壮大なスケールを夢見つつ。

やがて夕方になる、少し早めに船内の食堂で晩飯を取ることに。船内最後の晩餐は贅沢にハンバーグステーキ定食、明日からの北海道ツーリングに備えて英気を養おうと。明日の早朝4時にフェリーは小樽港に着く、食後すぐに風呂に入り荷物をまとめて早めに就寝する事にした。

 

【6月13日】 小樽港→浜益村

2等の客室内のざわつきで目が覚める、暫くすると小樽港に1時間ほどで到着すると船内放送が鳴る。歯磨き・洗顔を済ませ小樽港到着を待つ。再び船内放送が鳴り、車両甲板の立入が解除された。船内に持ち込んだ荷物を再びバイクに荷造りを行い下船を待つ、下船は車から順番でその後にバイクが下船した。初めて降り立つ北海道の大地、まず始めに小樽の空気を大きく吸い込んだ。同時に感動が込上げる、今から北海道ツーリングが始まるのだ。

天候も上々、まずは海沿いの道を走る。右手にマイカル小樽(当時)、左手に石原裕次郎記念館を眺めつつ国道5号を目指す。信号待ちで止まっていたら、見ず知らずのおじさんが車の中から地図を出し、「これあげるよ!気をつけてな」と声をかけてくれた。こんな出来事も初めて、いきなりの事で驚きもあったが、信号が変わるまでの間に少し話をした。もらった地図をジャケットに入れ、再び走り国道5号に入る。国道5号に入ると路面が濡れていて、前を走る車が飛沫を舞い上げる。このまま走行し続けるのも厳しく、途中の駐車帯に止まりレインスーツのズボンを履いて国道5号を走る。道路脇に立つログハウス(展示)を見て感動、この頃は何を見ても感動していた。途中のコンビニで朝飯を購入、パンとコーヒーの質素な朝飯だった。この後の予定は札幌市内を目指す、一昨日の夜の舞鶴港を目指して走っていた時、メーター内の電球が切れていたので、まずは電球の交換をする事にしたのだ。

札幌市内に着いたのは確か7時過ぎだったか、朝の早い時間だったので交通量も少なかったのは幸いだった。慣れない札幌市内を走っていると偶然にも時計台を発見、時計台の前にバイクを止めて初の撮影を行った。

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時計台は撮影だけで終わり、再び札幌市内を走る。時には一歩通行を逆走しそうになったり、道に迷い場所も解らなくなり市内を迷走しながら大通り公園に到着。近くにバイクを止め公園内のベンチで休憩、朝の通勤・通学の時間帯だったので人は多かった。朝のラッシュも落ち着いた頃にバイク乗り、電球の交換の出来るバイクショップを探しながら市内を走った。札幌市内を彷徨い、ようやく見つけたバイクショップ(白石区周辺だったと思う)で電球の交換をお願いした。運よく電球の在庫もあり、予備と含めて2個を購入。交換を店主にお願いしたところ、自分で変えた方が安くつくよ!と言われたが、恥ずかしながら自分で整備なんかした事もなく、お願いすると快く交換してくれた。電球の交換もようやく終わり、ツーリングを再開する事に。店主に石狩方面へ行くと伝えると、地図を見ながら案内してもらった。店主にお礼をし、札幌市内から国道231号→国道337号へと走った。

国道337号を走っていると、道路脇の看板に「石狩」や「鮭」などの文字が見えてくる。まずは石狩展望台を目指し、国道337号から道々225号へと走った。途中に海水浴場や温泉を発見したが、まずは展望台を目指した。

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展望台の手間に駐車場があり、そこにバイクを止めて展望台へ向かった。人もまばらだった、展望台の中のショップではまなすソフトクリームを購入し、その後に周辺を散策した。今を思えば、これが道内初の灯台巡りとなった訳で。もちろんこの当時は記録として撮影した写真であり、灯台は意識していなかった。散策した後は、道々225号を戻り国道337号→国道231号と走り厚田村方面へ北上。途中の石狩市内のスタンドで給油を行い、店員に食事できる場所を尋ねると、少し行った場所に数件の食堂があるとの事だったので、給油後に近くの食堂で昼飯を食べることにした。たしか国道沿いにある食堂だった、かけぞばとおにぎりを注文し、地図を見ながら食したことを覚えている。食後は再び国道231号を北上、永遠と続く海沿いの道を走っている時に感動が込上げてきて、北海道を走っていると認識し始めていた。

自身の中での北海道といえば「北の国から」の情報のみ、だから余計に自分の目で見て感じる北海道の大地に感動が出来た。厚田村にキャンプ場があるのは調べていたが、まだ時間も早かったのでもう少し北上することにした。浜益村にもキャンプ場があり、近くには温泉もあり好都合だった。浜益海浜公園に着いたのは夕暮れ頃、ここは無料のキャンプ場で広々と芝生サイトですぐ側に食堂や食料品店もある。場所の確認だけをした後、近くの浜益温泉へと向かった。キャンプ場から温泉までは結構距離があったように覚えているが、浜益温泉がどんな温泉だったかは覚えていない。温泉を出た後はキャンプ場に戻り、暗くなる前にテントを張った。

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広々としたキャンプ場にテントを張ったのは、自身とチャリダーの女の子とで2張り。このキャンプ場は海沿いという事もあり風が強く、テントを設営するもの一苦労。風に煽られないように看板の真横にテントを設営、ペグを強めに芝生に打ち込んで風に飛ばされないようにした。チャリダーの女の子はトイレの建物の裏に設営していた。設営後に近くの食堂で晩飯、キャンプしているのに食堂で晩飯とは、今を思えば少し可笑しい気もするが、当時はそんな事も考えなかった。それより気にしていたのは、テントの中に置いている衣服などの私物が盗難に合わないかということ。テントには当然ながら鍵は付いていないし、管理人も居ない。晩飯を食べに行くときも、財布などの貴重品は肌身離さず管理をし、一抹の不安を抱いていた。食後にテントに戻り、テント内でくつろぐ事にしたのだが、テント泊も初めてだったので不安は募る。またこの日は寒く、冷え込みも厳しかった。バイクの用のジャケットを着てシュラフに入り、寒さを凌ぎながら北海道での初日の夜は過ぎていった。

 

これまでの走行距離 自宅→舞鶴港(フェリー内)小樽港→浜益村 276.7Km

 

【6月14日】 浜益村→サロベツ原野

辺りが明るくなってきた頃に目が覚めた、テント内はかなり冷え込んでいた。近くのトイレで歯磨きと洗顔を済ませ、ガスストーブで湯を沸かしインスタントコーヒーを飲みながらこの日の予定を確認した。このまま日本海側を北上し、サロベツ原野を目指す事に。昨夜1日でテント泊はこりごりに、今日からは宿に泊まる事に決めた。ツーリングマップルの巻末に、とほ宿を紹介するページがあり、ちょうどサロベツ原野に牛乳鍋が名物のとほ宿「あしたの城」がある。とほ宿の存在を知らなかったのだが、電話して聞いてみると男女別相部屋のユース形式で1泊2食で4,900円との事だったので予約をした。その後にテントを片付け、バイクに荷造りをし浜益村を出発した。

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気がつくとチャリダーの女の子は既に出発をしていた。キャンプ場からは国道231号を北上、暫く走るとチャリダーの女の子も同じ道を北上していた。すれ違い様に手を上げると、同様に女の子も手を上げてくれた。この日は天気も良く、気分も乗ってきたところで雄冬岬に到着した。近くには白銀の滝もあり、道内初の岬に心を震わせていた。

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周辺を少し散策し、再び国道231号を北上する。この日は朝起きてからインスタントコーヒーしか飲んでおらず、空腹状態で走り続けていた。とりあえず増毛町まで行けばコンビニがあると信じ、いくつか岬があったけどそのまま通り過ぎた。せっかく北海道まで来たのだからと、途中で気になる岬を訪ねたが、看板や標識らしきものもなかった。増毛町に入った辺りのコンビニでようやくパンとコーヒーで朝飯を済ませた。腹も落ち着いたところで更に北上、国道231号を走り留萌市に入り黄金岬を目指した。

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黄金岬には迷わずに到着、近くの駐車場にバイクを止めて周辺を散策。小腹が空いていたので、店先で売っていたつぶ貝の串焼きを購入、つぶ貝は初めてだったが美味しかった。この頃はゆっくりとすることを知らず、一箇所でも多くの岬や観光地を回ろうと必死だった。黄金岬から国道231号に戻り、留萌市内から国道232号を北上する。この頃から空が少し曇り始めてきたが雨が降ることはなかった。小平町辺りを走っていると、山側には風力発電の風車が数基立っていた。途中の道の駅おびら鰊番屋で小休止、ここに北海道の名付け親の松浦武四郎の像がある。トイレを済ませ出発しようとした時に1人のライダーがやって来た、少し話をするとそのライダーは現在北海道2週目だとか。長話になりそうなので、先を急いでいる事を伝えその場を早々と去った。小平町から苫前町に入り羽幌町へ、天売・焼尻行きのフェリー乗り場があったが、当時はあんまり興味がなかったのでそのまま通過した。初山別村に入った辺りでこの日3箇所目の金比羅岬に、岬の到着すると目の前に赤白の灯台が立っていた。

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この時から灯台好きになったのかはまだ解らないが、この後の写真にもちょくちょくと灯台が出てくるのも事実だ。灯台周辺はキャンプ場となっていて、眺めも最高の場所だった。ほんの少しだけ心が揺れたが、やはり昨夜の浜益での出来事が思い出され、せめてキャンプはもう少し温かくなってからと決め、この日の宿があるサロベツ原野を目指して再び国道232号を北上する。初山別村から遠別町へ、途中で見かけた金浦原生花園に山吹色のきれいな花が咲いていた。

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初めて見たエゾカンゾウに感激した、この頃は花には特別な感情を抱いたことはなかったが、このエゾカンゾウは別格だった。晴れていれば海側に利尻島が見えるらしいのだが、この時は残念ながら雲の中だった。だがもう少し北上すれば、バイク関連の雑誌で見た北海道の道路の中でも人気があるオロロンライン(道々106号)がある。国道232号を更に走り、天塩町に入った辺りから道々106号に入るのだが、その前の手塩温泉・夕映に寄る事にした。500円を支払っていざ温泉に、初めて見たときは茶色い湯に驚きました。じっくりと湯船に浸かり疲れを癒す、露天風呂から見えたキャンプ場には楽しそうにキャンプをしている数人のライダーが居た。

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温泉を出た後は、夢にまで見たオロロンラインを走行することに。曇ってはいたが、雲の切れ間から日は差していた。道々106号に入ったすぐは住宅などがあったりしたが、天塩川を越えた辺りから海沿いの道で一直線に伸びた道が現れた。ここでまた感激が、鳥肌が立つような感覚を覚えた。ここまで来るとすれ違ったり、追い抜いていくライダーが急に増え始める。ここで初めて、すれ違い様にライダー同士が挨拶の意味合いで手を上げたり、中にはピースサインをしてくれた。これが噂のやつか!と、確かに内地ではあまり見られない光景だと。挨拶することになんの恥ずかしさも感じられず、心地よい感じで手を上げるようになった。道々106号を走行している途中に、北緯45度通過点がありそこにはNのモニュメントがあるのを発見した。うっすらとではあるが、利尻島も確認できたのでお決まりの撮影を行った。ここまで来ると予約をしているあしたの城までもう少し、再び道々106号を北上し、久しぶりに見た信号を左に走ると道々444号に入る。暫く走るとあしたの城の看板を確認できたが、まだ時間もあるのでサロベツ原生花園に行く事にした。先ほどの道々106号と違い、道々444号は原野の中にある道だった。

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原生花園の駐車場にバイクを止め、木道を少し歩く。ここは意外と観光客も多かく、バスも数台止まっていた。レストハウスサロベツで「いももち」を食べ、少し休憩してからあしたの城に行く事にした。道々444号を先ほど確認していたあしたの城の看板の場所まで戻る。道々から丘の上に伸びる小道があり、舗装されていないガタガタ道を進むと1件の建物が見えた。まさしく丘の上に立つ宿、理想郷のように感じた。

宿の前にバイクを止め玄関に向かう、インターホンには張り紙がしてあり、「故障中!大きな声で呼んで」と書いてある。なんと叫んだかは忘れたが、数回叫ぶと年配のおじさんが中から出てきた。予約していたことを伝えると、館内の案内をしてくれた。「ウチは相部屋になりますけど大丈夫ですか?」と聞かれ、「大丈夫ですよ」と。案内された部屋がマンモス西の部屋、7つのベッドがある部屋で、この日は3人での利用だった。荷物を取りに行く為に外へ、当時はサイドバックやら何やらと、全ての荷物を取り外していた。部屋に荷物を運び、談話室に行くと先客の2人がそこに居た。1人は車で旅している大柄なお兄さん、もう1人は船大工をしているという年配のおじさんだった。船大工のおじさんは過去にバイクでよく北海道に来ていたと、色んな話をしてくれた。大柄なおにいさんは、宿の男の子(当時は年長の拓野)とたわむれていた。楽しい時間が過ぎていく、昨日のキャンプとはえらい違い、今後は宿泊まりだなとこの時に思った。18時過ぎくらいだったか、晩飯の用意が始まる。その日はホッケがメインで数品のおかずが付いた内容、ツーリングマップルにはたしか牛乳鍋が名物と書いてあったな。気にはなったがすぐに忘れ、美味しい食事をしながら楽しい時間が過ぎていった。

食後も楽しい時間は過ぎる、カンパ制で焼酎とお菓子を出してくれたが、お酒は飲めないのでお菓子とコーヒーを頂いた。オーナーと話をする機会があり、とほ宿の事やあしたの城の事について聞いたが、内容は忘れてしまった。北海道を含め、日本各地にあるとほ宿を紹介した「とほ」という本があると聞き「とほ」を購入した。さっそく見てみると、道内には意外ととほ宿が存在していて、これからはとほ宿とユースホステルを利用しようと自分に言い聞かせた。宿の就寝時間は23時だとオーナー、疲れもあったので23時に部屋に戻り、寝る前に明日の予定を考える事にした。予定としては稚内に行き野寒布岬(ノシャップ)へ、その後に最北端の宗谷岬に行く。宗谷岬から南下して浜頓別村に行き、同じくとほ宿のトシカの宿に泊まろうと考えていた。宿の手配はしていなかったが、明日の朝でもこの時期なら予約は取れるよと、オーナーに聞いていた。全ては明日起きてからにしようと思い、この日は就寝に就く事にした。

 

この日の走行距離 浜益村→サロベツ原野 220.6Km

これまでの走行距離 自宅→サロベツ原野 497.3Km


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ke-chanさん、こんばんは。 (lh_645)
2010-02-14 21:55:33
ke-chanさん、こんばんは。

たっぷりと拝読させていただきました。2001年という事は未だ、10年経ってないのですネ・・・
フェリーを降り立った時の気持ち、風景の全てに感動を覚える北海道の大地などなど、
わたくしは1998年から暫く味わったので、ホントに良ーく分かりますョ!

旅の場合、次はなかなか行けないぞ!という気持ちが強くなり写真も沢山撮るのに、
住んでしまえば(白石区と網走市)、あちこち行ける筈なのに行かなかったのが、
今思えば勿体無い事したなぁと思います。

2001年から約10年の今年、ke-chanさんはアフリカツインで走られるのか!?
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こんにちは。初めまして。あるファンの方からのご... (シュラビッツ)
2010-02-14 22:11:05
こんにちは。初めまして。あるファンの方からのご紹介でお邪魔しました。なかなか読み応えのある記事ばかりですね。また、時々遊びに来ますのでよろしくお願いします。
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>シュラビッツさん、こんばんは。こちらこそ、... (ke-chan)
2010-02-15 19:57:05
>シュラビッツさん、こんばんは。こちらこそ、初めましてです。

ホムペとぶろぐも拝見させて頂きました、温泉のせかいに「豊富温泉」が掲載されていたことに驚きでした。サロベツにはちょくちょく行くのですが、石油温泉(豊富温泉)にもたまに行きます。昔はあの場所で石油が出ていて、後から温泉が出たらしですね。湯治湯としても有名らしいですね、最近では石油が薄くなったように思いますが、当時湯のほうは結構”濃い”ですね。

これからも宜しくお願いします。


>lh_645さん、こんばんは。

いろんな雑誌などで、北海道を「感動の大地」とか表現しますが、2001年にその意味が理解できました。2001年は本当に特別な年でしたし、あの時のような旅はもう出来ないだろうと思っています。22日間の道内ツーリングと、約3ヶ月のヘルパー生活の中でであった旅人や経験したことは一生の思い出です。確かに今年は北海道に行きたいですが、バイクは少々きついかもしれないですね。最悪は飛行機&レンタカーでも良いかなと。

取りあえずは6月11~14日まで更新しましたが、7月2日まで更新するのにいつまでかかる事やら・・・




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