松江市のゼロ磁場

役行者の山伏です。千日行をして松江の西方の陣賀山に新しくゼロ磁場を発見しました。
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ゼロ磁場 修験道 脳死は人の死 と可決した参議院にがっかり

2009年07月14日 | Weblog

ゼロ磁場 らの教えは「この世で悩んでいる方で私を信じる人を救うため又豊かな生活ができるようにするため遣わされた」です。信じましょう。祈りましょう。信じることと祈ることができるのは人間だけに与えられた崇高な行為です。<o:p></o:p>

 知性のかたまりであるといわれる参議院で昨日「脳死は一律に人の死」とみなすことが可決されました。なんでも反対する参議院がなぜ今回は反対しなかったのか、参議院は知性的に高い人の集まりであるといわれたのは昔にことかと疑いを持ちます。参議院ではすこし議論が進んでいるようで良いと思っていましたが、このようなやり方で簡単に「人の死」を結論してよいものか疑われる。620日~622日のブログに書いたように、「人の死」を国会で結論付けてよいものではない。<o:p></o:p>

 「人の死」は神仏により決定されるものである。人間が神仏の領域に入り込むことが間違っている。国家を治めることと「人の死」を同じ感覚で決議すること自体が間違っている。<o:p></o:p>

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 わたしたちは肉体と霊体からできている。普段は肉体と霊体が常に一体となって行動している。肉体が保てなくなったとき初めて霊体がはなれていく、たとえば体がばらばらにされても、肉体を葬るときには、完全な体にして葬る。このとき霊体はシルバーラインがきれ、死となる。 霊体は肉体に欠陥があるときはいつまでも捜し求めて見つかるまで成仏できない。さまよえる霊になる。<o:p></o:p>

 臓器をとられた肉体は欠陥肉体であるため、そのとられた霊体はいつまでも成仏できない。 他の人を助けても自分が成仏できないと、いつまでも浮遊霊としてさまよっている。<o:p></o:p>

< 国が法律で定めたのだから、これからは家族の人が護らねばならない。貴方の幼い子供が呼吸をして、体温がるのに 脳が死んだといって、相手に自分の子供の脳を取り出すような無常なことができますか? 法律ではできることになったのです。貴方の子供の霊体はどこの行きますか、他人の子供を助ける名目で、自分の子供の霊を浮遊霊にしてしまいますか、できないと思います。もしできれば鬼畜生より劣る心の持ち主です。霊魂は不滅であることを肝に銘じてください。 ゼロ磁場で考えましょう。修験道は反対です。修験道 脳死を一律に「人の死」と可決した参議院にがっかり714<o:p></o:p>

 

 ゼロ磁場は役行者尊が示された聖地です。大日如来の化身です。1300年前か<o:p></o:p>

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