松江市のゼロ磁場

役行者の山伏です。千日行をして松江の西方の陣賀山に新しくゼロ磁場を発見しました。
コメントは返せません。

ゼロ磁場 修験道 宍道湖は「このしろ」の魚の死でいっぱい

2009年07月13日 | Weblog

 ゼロ磁場は役行者尊が示された聖地です。大日如来の化身です。1300年前からの教えは「この世で悩んでいる方で私を信じる人を救うため又豊かな生活ができるようにするため遣わされた」です。信じましょう。祈りましょう。祈ることと信じることができるのは、人間だけに与えられた崇高な行為です。<o:p></o:p>

 松江の宍道湖で先日二人の「入水自殺」があって、やっとウワサも途絶えた頃ですが。今度は「このしろ」という魚の死骸で宍道湖の話題を又作っています。<o:p></o:p>

  「このしろ」という魚は「こはだ」といって握りずしでは高級とされています。松江では「このしろ」を食べません。宍道湖に今の季節沢山います。毎日3000匹 4000匹と死骸を取り除いています。トビも満腹して食べません。<o:p></o:p>

 松江では昔から「このしろ」を食べません。理由は築城400年の中にあります。歴史学者は否定していますが、松江の町にはフイクションとして語り継がれています。学者がいかにも間違いであるといっても、フイクションは活きて伝えられています。現実漁師も「このしろ」をとりません。<o:p></o:p>

 理由は400年前築城するとき、石垣が作るが直ぐ崩れなんかい補修しても補修しても崩れるので、女性に人柱を立てることになりました。その女性を選ぶとき、盆踊りをしている女性から選びました。<o:p></o:p>

 女性を人柱に立てたところ石垣の崩れはなくなり、築城することができました。築城できてから、天守閣に女性の妖怪がでるうわさがたちました。城主が天守閣に上がると妖怪が出て「この城は私の城だ即刻立ち去れ、立ち去らねば殺す」といって、事実城主はみな短命でした。<o:p></o:p>

 松平直正松本城から松江の城においでになったとき、幼い頃からともに育った家来の武将がいました。天守閣に上がったとき、妖怪が現れ「このしろ」は私に城だ即刻立ち去れ」といったので、家来の武将に話した。武将は自分が身代わりに天守閣にあがり、妖怪が出たので「このしろ」を明日渡すと約束して、翌日「このしろ」を3匹天守閣で渡した。だましたなと妖怪が言ったが、言霊があるため、納得した。そこで武将は今後市民は「このしろ」を食べないことにする。また盆踊りもしないことを約束したところ、妖怪はその後姿を見せなくなって、城は安泰となり繁栄したということです。<o:p></o:p>

 このようなことは史実の文書もないが、松江の住民猪は親から子供へと話し伝えられています。<o:p></o:p>

 古文書がないからと学者は否定していますが、今でも旧市街地では盆踊りをしません。松江で盆踊りをするところは、新しい住民が住んでいる団地だけです。昔からある町並みでは今でも盆踊りをしません。古文書より確かな言い伝えです。<o:p></o:p>

 また宍道湖の「このしろ」の魚がどんなに多く取れても食べません。売れないから漁師もとりません。 毎日市の職員が「このしろ」の死骸を3000匹<o:p></o:p>

4000匹と引き上げ処分をしています。料理研究家が必死に「このしろ」の料理を造り宣伝しますが。生粋の松江人は食べません。<o:p></o:p>

 歴史専門家はこのことについてはノーコメントを決めています。松江はこのようにめずらしいことがあります。ゼロ磁場もこのような地域での新しい発見です。おいでください。宇宙のエネルギーを取り入れてください
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