朝、まだ店も開いていない村を散歩する。
旧スペイン領だった街には必ずある「アルマス広場」。
もちろんマチュピチュ村にも小さなアルマス広場があり
村の中心で教会もある。
ごみ箱が蛙の形で可愛かった(*^^)v
乗合バスでマチュピチュ遺跡入口まで、急カーブを
繰り返しながら標高差400mを約30分で上っていく。
目の前にワイナピチュの大絶壁が現れると、到着です。
尖った絶壁の山々が聳えるウルバンバ渓谷の山間、
標高2280m。 本来は雨期の終わりだが…晴れだよ~
まだ少し靄がかかっているが大丈夫とガイドさん!
マチュピチュは老いた峰。ちなみに正面の高い山は
ワイナピチュで「若い山や峰」という意味。
ワイナピチュは入場制限があるが登れる。
マチュピチュとは老いた峰という意味。山裾からはその存在を
確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、
スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を
練るために、インカの人々が作った秘密都市だったとも
いわれている。
マチュピチュの総面積は5k㎡、その約半分の斜面には
段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに
分かれ、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、
インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、
さらに奥地へと消えてしまう。
その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、
1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが
初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。
マチュピチュにまつわる多くの謎は、
文字を持たなかった故に未だに解明されていない。
(以上はネットから~)
やっと来たよ~来られたよ~マチュピチュだよ~やった!!!
インカの神に魅せられて、ぽかんと口を開けて眺めていた。
写真で、テレビ、本でで何回も見たマチュピチュが
目の前に~ヽ(^。^)ノ
「太陽の神殿」といわれているところ。
部屋の中に大おきな自然石。
ここも堅牢な石積みの構造をもっている。なぜ部屋の中に
大きな石があるのか。
宗教か?文字が残っていないからみんな謎。
夏至と冬至が正確に分かる3つの窓の神殿。3つの窓の両脇に
閉じられた窓がある。この窓に差し込む太陽が「太陽の門」の
間から出ると夏至ということになるらしい。
当時の人の知恵というか知識に感嘆!
遺跡を守るために石垣の苔などの手入れをしている人達がいた。
遺跡のあっちこっちに放し飼いのリャマがいた。
なかなか風景に溶け込んでのどかでいい。
一度遺跡から出て、午後は希望者を「太陽の門」まで
ハイキングにガイドしてくれる。
昼食はサンクチュアリロッジでバイキング
相変わらず食べたいものもないけれど、
午後のハイキングのために食べて行かなくては~
食後、再入場券で遺跡の入口をはいる。ツアー中10人参加。
登りにゆっくりと1時間30分。
観光客のために整備された「インカ道」。
ほぼこんな石畳の道が「太陽の門」まで続いている。
だが厳しい階段もあり高所でもあり結構きつく、
途中でひとりがりリタイア。
我々が帰るまでその辺りで待つことに…
インカ道は、クスコを中心に四方八方に伸びていて、
総延長は40,000km、地球1週分に相当するという。
古代ローマのローマ街道、小さくは四国の遍路道の
ようなものかも知れない。
20kmごとに宿場が設けられ、リレー式の伝令は
1日280kmを走るという。
インカ道は低地ではなく山の中腹や峠道を辿っており、きつい。
この実はパッションフルーツだそうです。花は野生ラン。
花を眺め、ひらひら飛ぶ蝶を眺め〈集団ではないからまだまし)
長さ約9㎝ほどで、 見る方向によっては、青色、真珠、
淡い金色や薄紫色の輝きになるきれいな蝶。
イグアスで蝶の大群に悲鳴を上げることになるが、
ここでは遠目に見て、ま~きれい…という程度に見れた(^_-)
インカの道にも遺跡が…
「太陽の門」到着
マチュピチュに通じる峠に立っている。
マチュピチュから見ると、夏至の日にはこの門の間から
太陽が昇るのだという。
内部が部屋のように作られているので、昔は小屋のようなものが
あったらしい。上から眺める遺跡が山の緑に溶け込んでいる。
右手の山がワイナピチュで、太陽の門の峠は、
ワイナピチュよりやや高い所にあるという。
ちなみに左手の山がマチュピチュ山。
バスで登ってきたヘアピンカーブの道とウルバンバ川が見える。
太陽の門にたどりついた3人…幸せです(*^^)v
待機していた人たちと合流しバスでホテルへ。
バスの窓から山にかかる2重の虹が見えました(^_-)最高です!
本当に幸せですヽ(^。^)ノ何だか涙が出てきました。
今日は早い目にホテル到着。ゆっくりお買いものタイム!(^^)!
旧スペイン領だった街には必ずある「アルマス広場」。
もちろんマチュピチュ村にも小さなアルマス広場があり
村の中心で教会もある。
ごみ箱が蛙の形で可愛かった(*^^)v
乗合バスでマチュピチュ遺跡入口まで、急カーブを
繰り返しながら標高差400mを約30分で上っていく。
目の前にワイナピチュの大絶壁が現れると、到着です。
尖った絶壁の山々が聳えるウルバンバ渓谷の山間、
標高2280m。 本来は雨期の終わりだが…晴れだよ~
まだ少し靄がかかっているが大丈夫とガイドさん!
マチュピチュは老いた峰。ちなみに正面の高い山は
ワイナピチュで「若い山や峰」という意味。
ワイナピチュは入場制限があるが登れる。
マチュピチュとは老いた峰という意味。山裾からはその存在を
確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、
スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を
練るために、インカの人々が作った秘密都市だったとも
いわれている。
マチュピチュの総面積は5k㎡、その約半分の斜面には
段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに
分かれ、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、
インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、
さらに奥地へと消えてしまう。
その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、
1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが
初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。
マチュピチュにまつわる多くの謎は、
文字を持たなかった故に未だに解明されていない。
(以上はネットから~)
やっと来たよ~来られたよ~マチュピチュだよ~やった!!!
インカの神に魅せられて、ぽかんと口を開けて眺めていた。
写真で、テレビ、本でで何回も見たマチュピチュが
目の前に~ヽ(^。^)ノ
「太陽の神殿」といわれているところ。
部屋の中に大おきな自然石。
ここも堅牢な石積みの構造をもっている。なぜ部屋の中に
大きな石があるのか。
宗教か?文字が残っていないからみんな謎。
夏至と冬至が正確に分かる3つの窓の神殿。3つの窓の両脇に
閉じられた窓がある。この窓に差し込む太陽が「太陽の門」の
間から出ると夏至ということになるらしい。
当時の人の知恵というか知識に感嘆!
遺跡を守るために石垣の苔などの手入れをしている人達がいた。
遺跡のあっちこっちに放し飼いのリャマがいた。
なかなか風景に溶け込んでのどかでいい。
一度遺跡から出て、午後は希望者を「太陽の門」まで
ハイキングにガイドしてくれる。
昼食はサンクチュアリロッジでバイキング
相変わらず食べたいものもないけれど、
午後のハイキングのために食べて行かなくては~
食後、再入場券で遺跡の入口をはいる。ツアー中10人参加。
登りにゆっくりと1時間30分。
観光客のために整備された「インカ道」。
ほぼこんな石畳の道が「太陽の門」まで続いている。
だが厳しい階段もあり高所でもあり結構きつく、
途中でひとりがりリタイア。
我々が帰るまでその辺りで待つことに…
インカ道は、クスコを中心に四方八方に伸びていて、
総延長は40,000km、地球1週分に相当するという。
古代ローマのローマ街道、小さくは四国の遍路道の
ようなものかも知れない。
20kmごとに宿場が設けられ、リレー式の伝令は
1日280kmを走るという。
インカ道は低地ではなく山の中腹や峠道を辿っており、きつい。
この実はパッションフルーツだそうです。花は野生ラン。
花を眺め、ひらひら飛ぶ蝶を眺め〈集団ではないからまだまし)
長さ約9㎝ほどで、 見る方向によっては、青色、真珠、
淡い金色や薄紫色の輝きになるきれいな蝶。
イグアスで蝶の大群に悲鳴を上げることになるが、
ここでは遠目に見て、ま~きれい…という程度に見れた(^_-)
インカの道にも遺跡が…
「太陽の門」到着
マチュピチュに通じる峠に立っている。
マチュピチュから見ると、夏至の日にはこの門の間から
太陽が昇るのだという。
内部が部屋のように作られているので、昔は小屋のようなものが
あったらしい。上から眺める遺跡が山の緑に溶け込んでいる。
右手の山がワイナピチュで、太陽の門の峠は、
ワイナピチュよりやや高い所にあるという。
ちなみに左手の山がマチュピチュ山。
バスで登ってきたヘアピンカーブの道とウルバンバ川が見える。
太陽の門にたどりついた3人…幸せです(*^^)v
待機していた人たちと合流しバスでホテルへ。
バスの窓から山にかかる2重の虹が見えました(^_-)最高です!
本当に幸せですヽ(^。^)ノ何だか涙が出てきました。
今日は早い目にホテル到着。ゆっくりお買いものタイム!(^^)!
ちょっと一緒に歩く感じがするんかしら?
石が残ってるのね!石だけがのこってるのね~
文字がないってことは・・伝えるってことをしなかったのかしらん!絵文字はあるの?
インカ道!多分よう歩かんけれど、歩いてみたいな~~
読んでくれてありがとう<(_ _)>
正確なことが書けているかどうだか疑わしいけれど、自分なりに見たマチュピチュを書きました。
文字や鉄、物を運ぶ車輪ももたなかったとされるインカ文明。誰が、何のために、この標高の高い山中に都市を築いたのか、正確な事は分かっていない。謎に満ちたに満ちた遺跡。
後の世の人が余りにも正確な天文学、水利施設、段々畑の標高の高さで作物を作り分けたらしいことなどでいろんなことを推察したみたいです。
隙間もなく組まれた石の建造物…人ってすごいね~
また少しずつ書いて行きますがいつ関空に帰りつけるやら…