赤い椅子

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久し振りの山へ

2011-07-28 21:21:00 | ノンジャンル
27日、スポーツジムの休館日なので、ジムの仲間の人たちと
山歩きに行ってきた。久しぶりの山歩き…
ちょっとだけ今日は筋肉痛…(^_-)-☆

槇尾山のふもとの駐車場を9時前に出発。
今回初参加の3人を含めて8人の参加で賑やかに出発!
いきなりの上り坂をハ~ハ~喘ぎながら水飲み場に到着。
今回カヨピンさんと冷え冷えのタオルを買ったので、冷たい水で濡らす。
濡れタオルなのに首に巻いても衣服が濡れない…ひんやりして気持ちがいい…
火照った顔を冷やすのにもよかった!

慣れない人が混じるので普段よりゆっくり、休憩の多い行軍となった。
沢からの風がひんやり心地よくて、両手を広げ身体に思いっきり取り込む。
鳥が羽を広げて大空を飛ぶときの気分(^_-)-☆

五つ辻から、近畿自然歩道を離れ、ダイヤモンドトレイルに入り槇尾山、
施福寺へ向かう。



寺の少し手前に咲いていたやぶ萱草の鮮やかな朱に引き付けられる。
本堂の裏のお堂に失礼をして座り、少し早目の昼食。

姥百合がもう少しで開きそうな気配。


目の前には凌霄花の赤もきれいに咲いていた。



食後、落ち着いてみたら背中を向けて座ったところが大師堂だったと知る!
ごめんなさい<m(__)m>お大師様! 遠い四国までお参り遍路をしているのに、
こんな足元のお大師様に手も合わせず、お尻を向けてお弁当を食べてしまい…
うっかり見逃すほどにさびれた、人気のないお堂だったので…
本当にごめんなさい<m(__)m>と思わず手を合わせてお参り…後の祭りだけれど~

帰りは蔵岩に周って帰ることに…
最後の急な登りを過ぎると眺望の広がる蔵岩着。
関西空港まで見渡せる…大台ケ原の大蛇ぐらの槇尾山版…


立っている場所からの写真なので平面にしか見えず感じが出ないけれど…
お祖父さんと孫の2人づれがいた。ちょうど8歳だという女の子だ(^_-)-☆
施福寺から来て施福寺に帰るという2人と手を振って別れた。

あとはほとんど下りばかり…滑らないように気をつけなくては…。
小さな沢を越えたところにホタルブクロが…やはり野におけ…野の花は(^_-)-☆



2時半ころ下山。来た時と同じようにそれぞれの車に便乗させてもらう。
途中の道で仲間と別れてから、同乗の仲間が「かき氷がたべたいな~」と
言いだし、みんながその気になり道端のファミレスへ(^_-)-☆
今年初めの宇治金時の氷…美味しかったけれど、だんだん寒くなって…

ほとんど曇空、時々晴れる…そんな程度の夏の山歩きに最適な日だった(*^^)v
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「四国88lヶ所巡り 第9回2日目」

2011-07-25 17:17:00 | ノンジャンル
23日、7時40分ホテル発。
いま道後はちょっとした「坂の上の雲」ブームにあやかろうと、
あちこちに関連したものを展示したり、幟を立てたりしている。
我々の止まったホテルでも、玄関ロビーには海軍、陸軍の制服が並ぶ。



どうしてもモッくんのイメージが消えないが…(^_-)-☆
しばらくバスで走り、46番札所浄瑠璃寺へ。
淨瑠璃寺は松山市にある8ヶ寺のその最初の札所である。
石段を上って境内へ入るとたくさんの樹木が生い茂っている。
この奥に本堂があり本堂前には、大きいソテツとイブキビャクシンの老樹が
茂り、このイブキビャクシンは天然記念物に指定されているという。


お参りを済ませて裏庭にある蓮池を見に行く。




朝、まだ早い時間なのにカメラを据えて写真を撮る人がいっぱい。
あさ露を含んだ蓮の蕾が可憐だ(*^_^*)

浄瑠璃寺から八坂寺までは歩いても20分ばかりの1本道。
なだらかな丘陵地で、松山市が眺められる。
八坂寺につくとすこし風変わりな山門である。



一見、鐘つき堂のような幅と奥行きが同じくらいの門だ。


山門の天井画がきれい。
この寺の境内には、地獄の道、極楽の道というのがあり、トンネル状に
続く道の壁面には極楽浄土の絵が描かれ、敷き石は丸くなだらかな小石。
次に続くのが地獄の絵巻が書かれた道で、足元には尖った石が敷かれている。



なんだか超現実的(^_-)-☆

民家が続く遍路道をまた20分くらい歩くと、別格9番文殊院に着く。
日が高くなり、だんだん歩くのもきつくなってくる。暑い暑いの連発だ!

このお寺は、四国霊場発祥の地といわれ、四国遍路の元祖とされる
衛門三郎の屋敷跡と伝えられている。

説話によるとある日、門前にみずぼらしい身なりで托鉢をしようとした
弘法大師を三郎が追いかえし、お大師様の持つ托鉢を地面に叩き付け、
鉢を8つに割ってしまった。

その後、三郎の家では 次々と8人の子供が亡くなり、それによって
自分の罪に気付いた三郎は、自分の行いを懺悔して、全てを捨て、
お大師様を追い求めて四国巡礼の旅に出る。

これが、四国遍路の始まりなのだそうだ。
境内の石像(?) とお大師様と衛門三郎夫妻の像…これはネットから拝借。




11時、少しバスで走り48番札所西林寺へ。
ここは前を流れる川より低く、橋を渡って石段を5、6段下がったところに
仁王門がある。橋の上から仁王門を撮る。


本堂、大師堂も建物が新しく、庭も庭師が入り手入れ中。



大師堂の横には小さな蓮池があり蓮の花がきれい。



バスで10分ほどで49番札所浄土寺着。


民家の続く道から眺めた山門と寺の森。
この寺の大師堂のたたずまいが素朴でとてもよい雰囲気だったので
振り返り振り返り何度も見る(^_-)-☆



11時40分ころお参りを済ませ寺を出て30分余りで昼食場所へ…
今日は松山鮓。松山には、昔から祝い事や訪問客をもてなす際に「ばら寿司」を
つける慣わしがあり、「瀬戸の小魚」をちりばめた「松山鮓」は、
その中でも最高のもてなしであったという。
明治25年、大学予備門の学生だった夏目漱石が初めて松山を訪れ、
正岡子規の家に立ち寄ったとき、母・八重がもてなしたのが「松山鮓」で、
和服姿にあぐらをかいて、ぞんざいな様子で箸を取る子規の前で、極めて
つつましやかに紳士的な態度の漱石は、洋服の膝を正しく折って正座し、
「松山鮓」を一粒もこぼさぬように行儀正しく食べていたそうで、
その時の様子は、同席していた高浜虚子が、後に「子規と漱石と私」という
書物の中で回想しており、あわせて司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の中にも
その場面が出てくることから、後々に語り継がれているという。
 

いわゆる大阪のばら寿司とチラシを合わせたもの…(^_-)-☆

51番札所石手寺に1時到着。
近郊は道後温泉が近く観光地として賑わい、参道には出店が並んでにぎわうと
前もって聞いていたが、真夏のま昼ということであろうか、あっけないほど
人がいないので「今日はお休み…?」なんて言い出すほど。



門前は絵馬堂の回廊になっている。
四国霊場でも随一の寺宝・文化財を有する名刹と言われる。
お遍路創始者である衛門(えもん)三郎が生まれ変わったといわれる
河野息方(やすかた)が、このお寺ではじめて左の手を開き、
握っていた石を落としたといわれ、この伝説により寺の名前を石手寺に
改められたといわれている。
三重の塔は、 鎌倉末期建立の重要文化財、本瓦葺き屋根の和様の
高さ22m88cmの建造物



本堂、大師堂のお参りののち、洞窟・都卒天洞(とそつてんどう)へ入る。
四国八十八ヶ所霊場と四十九修行場が設けられている。


暗い祠の中を左手を壁に沿わせて歩くが、少し水も流れていて
足元が覚束ない。「あっ!痛い」友人が思わず声を上げた。
真ん中に立っているお地蔵様に脛をぶつけたらしい(^_-)-☆
奥の院まで行くが、廃墟のように荒れ果てて、お堂の中もなんだかカビ臭くて
早々に退散。ここまでは誰もお参りにも来ないみたいだ。

今回最後のお参り、50番札所、繁多寺へ2時前到着。


少し早いが、夕べのお勤めを兼ねて読経をし2時40分帰途に…
今回は別格も入れると11ヶ寺のお参りがあり、
何やら頭の中がややこしい(@_@。
間違えたことを書いているかもしれない事をお断りしておかなくては…

松山道、徳島道、明石海峡、第2神明、阪神高速と乗り継ぎ8時半すぎ梅田着。
途中トイレ休憩でパーキングエリアに寄るものの、中型バスでこの距離は
ほとほとしんどいことで~す(@_@;)

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収穫(*^_^*)

2011-07-25 17:03:00 | ノンジャンル
ブルーベリーを収穫しました。
…と言っても31粒、家族で分けると7~8粒ですが、
明日の朝はヨーグルトに入れて頂きます(^_-)-☆



せっせと水を運んだり肥料をやった者の権利で1粒味見をしました。
甘くて美味しかったです(*^^)v
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「四国88lヶ所巡り 第9回1日目」

2011-07-24 21:42:00 | ノンジャンル
21日夜、少し早く家を出、電車も予定より早い時間に乗ったら、
思いがけないくらい早く、38分くらい前に集合場所に着いた。
誰もいないし、バスもまだ来ていない。
勤め帰りの人がすーすーと通り過ぎるし、なんだか心細くなって
日程表を取り出し、日と時間に間違いがないことを確かめ、少し安心し
待っているとバスが到着し、馴染みの運転手さんを見た時は嬉しかったな~

22時30分発のオレンジフェリーで先月と同じ東予港へ…
乗船後、2段ベットの8人部屋、先月と同じに上段を決めるじゃんけんをして
相変わらず負けて梯子を上って上段に寝ることになった私…(^_-)-☆
お風呂に行く人、ロビーで飲んだり食べたり喋ったりして11時半過ぎまで…
全員がこんなに気があって仲良しのツアー仲間も少ないんじゃない~
など言いながら14人は各々のベットで就寝へ。
今回は初参加の人も加え、ツアー客12人と先達さん、添乗員さん、運転手さん
総勢15人の仲間だが、運転手さんは別の部屋で早寝<m(__)m>

東予港、6時10分着。近くのホテルで朝食バイキングを済ませ7時25分出発。
途中道端の砥部焼の店に入る。8時30分という開店前の時間だが、快く入店を
承知してくれ、何人かの人が気に入りのお皿や湯飲みを買う。
我が家も湯のみとマグカップを使っているが、湯呑みはもう15年以上になるが
まだ現役…強くてとても口当たりがよい!



砥部焼の原料になる石が玄関にあった。涼しげな風鈴がかわいかったな~


松山道から国道33号線を通り三坂峠を越え、久万高原へ
四国の軽井沢と呼ばれている久万高原は、温暖なイメージの愛媛の中で
平均標高が800mあり、ゴルフ場、スキー場などのある自然にあふれた高原。
釣り鐘をかぶせたような円錐型の巨岩が並ぶ光景は珍しかった。



10時、44番札所大宝寺着。四国88ヶ所参りでちょうど真ん中、
中折寺というらしい。山門には巨大なわらじが奉納されている。
山門を潜ると本堂に至る石段がある。遥か登り切ると本堂である。
石段の右手に「種田山頭火」の句碑があった。台風の後で
しっとり湿った句碑が風情があって印象的であった。

 「朝まゐりはわたくし一人の銀杏ちりしく   山頭火」


建立、揮毫者 句友の大山澄太。

大宝寺から45番岩屋寺までは約1時間のウォーキング。
先日の台風で傷んだであろう、小枝が散乱し、かなり大きな木も横たわって
通り難い所もあるが、おおむね木漏れ日を浴びて快適な、でも少ししんどい
山道であった。何よりこの真夏…汗が顔から滴ってくる…(@_@。
ねむの花も散っている。風に揉まれたのだろう。



なんの実であろうか。薄暗い林に彩りを添えている。…が少しピンボケ(@_@。
峠御堂トンネル口へ下り、そこからバスで駐車場へ。
駐車場は山麓にあり、そこから寺までは長い坂道が続く( 一一)

4500万年前の地層が残る奇岩が林立する岩山の中腹にあり、
背後に奇岩怪石をひかえて建っている。うっそうと茂る老樹に囲まれた 参道を
上り、さらに266段の石段を 上ったところに山門が建つ。



門をくぐると左右に胎 蔵界・金剛界の両峰がそびえ、右手に庫裏を見ながら
さらに石段を 上ると覆いかぷさるような巨岩の 下に本堂が建つ。
その左手に大師堂が並んで建っている。



この写真右手に見える梯子を上ると、石の本尊が祭られており、
登っちゃいました!女の人で一人だけ(^_-)-☆


山の空気は爽やかだとはいえ、読経中も汗が流れてくる。

12時40分、久万高原町の「物産展みどり」で山掛け定食の昼食。
自然食の田舎料理で、ヨモギを練り込んだうどんに、ヨモギのてんぷらがのり、
出汁は大豆でとったという珍しいうどんと山掛けご飯。
勿体ないけれど量が多すぎてごめんなさいと残す事に…

久万高原町にはリンゴ園の看板が時々あり、中には「正岡リンゴ園」
と書かれた看板も…
愛媛のことでもあるし、ひょっと子規の子孫?、遠縁の子孫かも…と興味津々。

2時45分、高速を使い大洲市に入り、別格8番の十夜ヶ橋へ。
国道沿いの寺で正式名は十夜ヶ橋永徳寺。言い伝えによれば、
四国を巡錫中の空海が大宝寺に向かう途中、この地で日が暮れた。
周囲は田園であり、宿泊場所となる民家が見あたらず、
空海は小川に架かる橋を見つけ、仕方なくその橋の下で一夜を過ごしたが、
暗く長い一夜が十夜にも思えた。そこで、この寺の御詠歌となっている
『行き悩む浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋とおもほゆ』という歌を
詠んだと言われる。
この言い伝えから、この橋は「十夜ヶ橋」と呼ばれるようになり、
橋のたもとに大師堂が結ばれたほか、橋の下には野宿をする空海の像が
置かれている。
四国遍路では、空海が安眠できるよう巡礼者はこの橋に限らず橋の上では杖を
つかないという習慣があるという。
現在、この橋は肱川の支流に架かる国道56号の橋となっている。




再びバスで別格7番出石寺へ4時20分着。
出石寺(しゅっせきじ)は出石山(いずしやま 812m)の山上に伽藍が広がる。
山上からは宇和方面の山々や大洲盆地、久万高原方面が見渡せる。
古い話「おはなはん」の舞台となった街だという。
おはなはんで話が通じる年代の仲間だと大笑い(^_-)-☆

寺伝によれば、奈良時代初期に宇和島郷の猟師・作右衛門が鹿を
追いかけて、この山に分け入った。
すると鹿は消えて暗雲が垂れ込め山中に地鳴りが響き渡った。
そして鹿が消えた場所の岩が割け、そこから金色に輝く千手観音が
姿を現したという。
作右衛門は殺生を生業とする猟師という職業を悔い改め仏門に帰依した。
作右衛門は名を道教と改め、この地に堂宇を建立したという。



山門から眺めたお大師様。


寺伝にちなみ鹿の像が…
先達さんが、この寺の参道は紫陽花が見事なんですが、まだあればいいな~と
いっていた紫陽花が、少し日の暮れかけた参道にほのっと咲いている。



5時に寺を下り、今夜の宿、道後温泉までひたすらバスで走るが、
7時という遅い到着。あわただしく、とりあえず風呂で汗を流し夕食へ。
夕食後、道後の街へ散策に…
1泊5万円というホテルを覗いたり、商店街をうろうろ。
タルト屋さんでアイスクリームを食べたり、10時のからくり時計を見たり…

楽しい音楽と共に、坊ちゃんやマドンナ人形までからくり時計から出てきて、
想像以上に素晴らしかった。せり出す前には、観光客が集まりだし
もうすでに人でいっぱい。風が涼しくて気持ちよかった!



夜景の写真がうまくいかなかったのでネットからお借りしました。
ついでに昼の時計も…2007年、道後温泉本館100年を記念して
作られたそうで、道後4回目のmamaGONもお初にお目にかかることに…


帰り道で足湯をしてホテルへ…長~い1日だったな~


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天神祭短歌大賞

2011-07-20 20:51:00 | ノンジャンル
先日嬉しいメールが届きました。
短歌仲間のTさんが応募した「天神祭短歌大賞」のグランプリを
頂きました…めっちゃ嬉しいです!…と。
グランプリ受賞者にはペアで天神祭り当日の船に乗せてもらえるとか…
「お母ちゃんに親孝行ができる」と大喜びの彼女でしたヽ(^o^)丿

17日が授賞式だったそうです。
その後その歌が、天神橋商店街のアーケードに垂れ幕として出るというので、
今日、幸い台風もことなく過ぎたので見に出かけてきました(^_-)-☆
あの日本一長いという商店街の3丁目くらいに…あった!あった!
なかなかのもんです(^_-)-☆
天神祭りまでこの垂れ幕は掲示されるそうです。




「残り火を背に灯しつつ脱ぐ君の留紺の法被すこししめりて」

しっとりとしたよい相聞歌と文句なしのグランプリだったそうです!
改めて「おめでとう、とも子さん!」
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