6時前起床!6時半、ホテル出発で目的の「達磨 雪花山房」へ向かう!
広島市から北へ、車で約1時間走った中国山地の麓にある
「達磨 雪花山房」…手打ちそばのお店です。
お蕎麦が好きな婿殿が、九州に行く前にぜひ食べたいと計画をした今回の
旅行に我々を誘ってくれたというわけ(*^^)v
蕎麦打ち名人「高橋邦弘」氏が指導を中心に週末のみ不定休で
営業しているというそば道場のような雰囲気のお店。
手前の山道にはもうすでに車がズラリ…まだ8時なんだけれど~
もちろん駐車場も満員、建物の前には人が写真を撮ったりしながら
時間をつぶして待っている。
とりあえず店内にあるノートに名前と人数を記入してぶらぶら…
1日300食限定らしいから…
それにこの高橋氏は長年そばを打ち続けて腰が曲がり、
今回、引退を決め九州にこもるということだ。
その日限が5月6日だというギリギリだから
なおさら人が多いようだ( 一一)
11時開店予定だが、9時過ぎに店の男の人が出てきて、
名前を書いたノートを持って入り、人数を数えて出てきたら、
我々の2人前で300人だという。
303人目が我が家の4人らしい(@_@;)
悔しがっても、大阪から来たからと言っても全くお構いなしに
300人で切られる。
あ~あ~何のための広島なの~とぼやきながら下山する。
こうなったら広島の美味しい蕎麦屋を検索し、
結果見つけた第一の店は定休日、2軒目は我々の前の客の注文しだいで
決まると言うので、少し待ったが結果はブ―( 一一)
よほど蕎麦に縁のなかった日とあきらめて、その辺で普通に
昼食を済ますもすでに食べ終わったら2時半。
さすが昨夜から何も食べずにこの時間では参ったよね~
広島へ来て、原爆関連へ足を運ばなくては…ということで
まず初めての原爆ドームから…
原爆の投下により、建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼、
中にいた30人余りの人々は全員死亡したと伝えられている。
爆風がほとんど真上から働いたため、壁の一部は倒壊を免れ、
ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらした。
そのドームの保存については、「原爆による惨禍の証人として保存する」
という意見と、「危険物であり、被爆の惨事を思い出したくないので
取り壊す」という意見が対立し、1966(昭和41)年に
永久保存を決定、広く募金を呼びかけ、これまで3度の保存工事が
行われたということです。
…ということは当時の姿のドームはもっと悲惨な姿だったことだろう。
上の写真はステンドグラスの制作作家で、現に本人も
被ばく者だという方が作った、被爆前は産業奨励館とよばれたドーム。
展示会や博覧会の場として使われて、大勢の人に親しまれていたという。
これは4歳の時に被爆し74歳を迎える寺尾さんが
2年の歳月をかけ、3000個のパーツを自分で作り組み立てて
作られたそうです。きれいな建物だったのですね~
たぶん当日、たくさんの方が水を求めて飛び込んだという川だと
思います。こんなきれいな、長閑な風景からは想像もできません。
「倒れしはこのあたりならむ母の死の記録ありたる旧警察署跡」
亡くなった葦沙雄造さんの歌集で忘れられない一首です。
「ふさがりし瞼もろ手におしひらき弟われをしげしげと見き」
長崎で被爆された故竹山広氏が兄を捜しあてたときの一首です。
こうしてみると短歌ってすごい文学だと思います。
たった31文字で当時の情景がすべて眼に浮かび胸に広がるのですから~
いろんな思いを抱きながら、原爆記念館へ~
…ではなくて広島平和記念館と呼ぶらしい( 一一)。
原爆の名前を残さないミュージアムです。
この資料館には、実際にご家族から提供された遺品が何点も
展示されており、その遺品には、誰が何歳で、どこで亡くなったかの
情報も記載されています。
重い気持ちで外に出ました。外人が本当に多かったことが
印象に残ります。
世界でたった一つの被爆国日本を我々も他国の人も
見なくてはならない…知る義務がある…と思います。
慰霊碑の前に花壇があり、新しい花が植えられる準備中でした。
高速を走って帰るのに、少し気分を入れ替えるために
広島城へ行きました。
秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた平城です。
天守閣は昭和6(1931)年に国宝に指定されたが
原爆によって倒壊し、昭和33年に外観復元されたということで、
先月に見た犬山城の木造の作りが印象にあるので
やや物足りない感じでした。 新緑の中の外観はシックです(*^^)v
いよいよ帰りの時間です。山陽道から渋滞を避けて、カーナビを使い、
すいすいと帰りました。
大阪や神戸の賑やかな灯りを見たときはなぜかホッとしました。
途中、運転を1時間ばかり次女が変わり、しげちゃんは助手席で
仮眠をとりました。
軽い夕食をパーキングエリアで取り、時間通り9時半帰宅(*^^)v
走行距離900km少し足らず…よく走ったね~
本当にお疲れ様でした。そして楽しい旅をありがとう<(_ _)>
時代ですかね~スマホとカーナビがあれば、何不自由なく
どこにでも行ける世代の人たちなのですね~(^_-)
何もできないけれど、1年に1回くらいはこんな旅をまたしよう…と
彼が行ってくれましたヽ(^。^)ノ