ひとの根元意識(Primal consciousness)は知性以前のものであり、認識(cognition)とは何等関係を持たぬものである。動物の場合と変わったことはない。そしてこの知性以前の意識は、我々の生きているかぎり、意識の強力な根と躯幹である。心(mind)は最後に咲いた花、cul de sac(訳註。「袋の底」すなわち「最後のもの」の意)にすぎぬ。
我々の根元意識の第一の座は、太陽叢、すなわち胃の背後に位置する大いなる神経中枢である。この中枢によって我々は最初にダイナミックに意識づけられる。何故ならば根元意識は常にダイナミックであり、知的意識の如く静的ではないからだ。思想は、その魔力をいかに我々が云々しようと、単に手段、魂が生活の方便に用いる最も微妙な手段にすぎぬ。思想はただ行動と生活の方法のひとつにほかならぬ。そして生活と行動とは事実上動的意識の大中枢に源を発するのである。
「無意識の幻想」D・H・ロレンス著 小川和夫訳 南雲堂 1966年
富翁
我々の根元意識の第一の座は、太陽叢、すなわち胃の背後に位置する大いなる神経中枢である。この中枢によって我々は最初にダイナミックに意識づけられる。何故ならば根元意識は常にダイナミックであり、知的意識の如く静的ではないからだ。思想は、その魔力をいかに我々が云々しようと、単に手段、魂が生活の方便に用いる最も微妙な手段にすぎぬ。思想はただ行動と生活の方法のひとつにほかならぬ。そして生活と行動とは事実上動的意識の大中枢に源を発するのである。
「無意識の幻想」D・H・ロレンス著 小川和夫訳 南雲堂 1966年
富翁