その夜母は私に木綿の筋糸で織った、紺地に赤絣のはいった着物を着せましたが、それは裏庭に繁る藍の葉を水をはったハンドー(甕)に入れて腐らせ、石灰をまぜて色を冴えさせたその藍汁に、芭蕉糸で絣を括った糸を入れて染めあげたものですから、藍の香が未だふくふくと匂っていました。また締めた赤い帯も母の手染めでした。今はもうなんという木だったか名前も忘れましたが、遠い南の国から黒潮に乗って島の浜辺に流れついた寄り木の木片を煮出した汁で、父のお古の白ちりめんの帯を染め直してつくってくれたのです。深く沈んだくれないの色が心に染みるようでした。
羽織は、三角に切った布切をつぎ合わせた綿入れの袖無しを着せられました。三角はハベラ(蝶)のかたどりで人間の魂だと言われていますので、おそらく母は三角を縫いこんだものを常日頃私に着せることで、お守りのつもりにしていたのでしょう。
「海辺の生と死」島尾ミホ著 中公文庫 1987年
富翁
羽織は、三角に切った布切をつぎ合わせた綿入れの袖無しを着せられました。三角はハベラ(蝶)のかたどりで人間の魂だと言われていますので、おそらく母は三角を縫いこんだものを常日頃私に着せることで、お守りのつもりにしていたのでしょう。
「海辺の生と死」島尾ミホ著 中公文庫 1987年
富翁