およそ発音や、文章構造や、また語形変化上の誤謬は、たしかに学校の先生にとっては困りものではあろうが、相互理解という言語本来の目的から見れば、[語幹そのものの誤りとは]ほとんど比較にならないほど軽少なものである。
言語の色々な要素の中で語が占めるこのような位置というものは、我々がごく卑近な欲求の伝達から、さらに高次な言語の現象形態に目を移してみても依然として変わらないものである。ゲーテやキーツやフローベールにおける詩的な美、ないし独特なものは一体どこにあるのだろうか。音の響きが重要なことも確かである。各人に特有な構文もまた効果を出すのに大いに役立っているだろう。しかしながらこの場合においてもやはりもっとも重要なものは言葉がいかにも詩人らしく、よく選ばれており適切であるということなのだ。
さてこのような語の途方もない重要性に直面して、言語学はどのような態度をとっているのであろうか。…・・
「意味と構造」エルンスト・ライズィ著 鈴木孝夫訳 講談社学術文庫 1994年(底本は1960年)
富翁
言語の色々な要素の中で語が占めるこのような位置というものは、我々がごく卑近な欲求の伝達から、さらに高次な言語の現象形態に目を移してみても依然として変わらないものである。ゲーテやキーツやフローベールにおける詩的な美、ないし独特なものは一体どこにあるのだろうか。音の響きが重要なことも確かである。各人に特有な構文もまた効果を出すのに大いに役立っているだろう。しかしながらこの場合においてもやはりもっとも重要なものは言葉がいかにも詩人らしく、よく選ばれており適切であるということなのだ。
さてこのような語の途方もない重要性に直面して、言語学はどのような態度をとっているのであろうか。…・・
「意味と構造」エルンスト・ライズィ著 鈴木孝夫訳 講談社学術文庫 1994年(底本は1960年)
富翁