私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

62年前の沼津商業年鑑より

2018-09-27 | 沼津そして伊豆周辺
 図書館で眺めた昭和31年(62年前)の我が町沼津市の商業年鑑の自動車関連のページを紹介しつつ、思うところなどを記してみます。写真は該当商業年鑑の運輸交通機械(含む自動車屋)という部分の自動車関連から3ページ分だけを抜粋したものです。

 まず冒頭に赤枠で囲った中に自動車車体というくくりで5つの企業が掲載されています。これらの企業は、この時代トラックなどでは車両メーカーでシャシとエンジンまで作り、運転台と荷台もしくは後方架装物(バン、バス、タンクローリーなど)は、車体屋という呼ばれる地方の工場(現在のJABIA日本自動車車体工業会)で作られていたのです。この内、沼津に現存しているのは山田ボデー(フラップボデーというアルミバンボデーを主力に製作しています)だけです。加藤車体工業は、比較的近年まで現長泉町の健康づくりセンターの場所にあったのですが、現在では社名をパブコと改称し海老名市に移転しています。

 次に緑枠で囲った中は、いわゆるディーラー営業所だと判ります。静岡日産、東海ミンセイディーゼル、静甲いすゞ、静岡トヨタの4つだけです。トヨペット、カローラ、ネッツもありません。それは、未だモーターリゼーション以前の時代ですから、乗用車もクラウンとかセドリックぐらいしかなかったからでしょう。それでもプリンスのグロリアとか、日野などはあったのでしょうが、沼津市辺りの大規模でない都市にはなかったと云うところでしょう。

 ところで、ミンセイディーゼルとはなんぞやと云うことですが、これは後年名称が日産ディーゼル工業から現UDトラックスに変わった企業の営業所です。このミンセイ改UDトラックですが、UDの赤いマークは今でも同社のブランドエンブレムとして付けられています。UDとは今でも船舶用超大型ディーゼルエンジンに使い続けられているユニフロー(単流掃気方式)2サイクルエンジンのことなのです。どんなエンジンか関心ある方は、以下のwikのリンクで確認して下さい。

ユニフロー掃気ディーゼルエンジン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E6%8E%83%E6%B0%97%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3

 更に次に黄色枠で囲った2社が現存している一般整備工場です。詳しくみれば、この他にもあるのかもしれませんが、あったとしてもごく僅かなものでしょう。なお、板金業(ボデーリペア)については明確に判るものはありませんが、先の自動車車体の中に、一部あったのでしょうし、それが変化して繋がっているのかもしれません。

 なお、写真には未掲載ですが、一般整備工場は先の2社以外に十数社あるのですが、知る限り現存するものはありません。しかし、それに続く自転車屋の多さには、整備工場3倍ほどはあると見ました。正にモーターリゼーション以前で、鉄道、バス、タクシーといった公共交通機関の他、個人の足は自転車の時代だったのでしょう。その自転車屋がモーターバイク屋になり、そして自動車屋になった例は幾らもあるでしょう。沼津市内で見掛けませんでしたが、近在でかなり近年まで××自転車という名称で一般の自動車整備工場があるのを見掛けたものです。

追記
 2枚目の長倉ガラス店と写っている交差点を右折しようとしているのがミンセイトラックです。この場所は今のナティ角の交差点だそうです。S35年撮影と記していますが、未だ道路が舗装されていないことも判ります。





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