私の思いと技術的覚え書き

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大阪城のことから

2010-11-22 | コラム
 私は、お城見物が結構に好きです。お城には、いわゆる天守閣が残されたお城と、天守閣もない城址とがありますが、どちらもそれなりの味わいがあり、特に城址周辺を種々の想像をしながら散策するのは楽しい時間だと感じます。
 さて、復元城も含め日本のお城で、その規模などの立派さなどで、一番は国でもある姫路城が該当するのでしょう。二番、三番がどのお城が該当するのかは意見も分かれるところと思いますが、大阪城は少なくとも三指には入る城と思っています。
 大阪城も昭和の初期に鉄骨で復元された城で、天守閣の立派さは、名古屋城とそれ程の格差はないように感じられます。しかし、掘り割りの広さや石垣の石積みの見事さでは、明らかに大阪城の見事さに敵うものではありません。これは、姫路城と比べても、石積みの見事さと石そのものの大きさなどについては我が国随一のものだと感じております。
 さて、大阪城と云えば、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が築いた城です。戦国時代の三武将と云えば、云うまでもなく信長、秀吉、家康であり、その性格やことの進め方など、比較対象の話題にされる個性ある武人達だ思います。
 しかし、秀吉の天下統一も思いの外短く、最終的に大坂夏の陣と共に、大阪城は焼け落ち豊臣家も滅亡します。もちろん運の問題は大きいのでしょうが、時代の家康が構築した江戸時代が良くも悪くも260年余も続いたことに比べると、国のシステム構築力では家康に分があるのでしょう。
 秀吉のことで連想されることとに、苦労人、人垂らし、黄金(こがね)好きなどという言葉が思い浮かびます。黄金好きでは、黄金の鎧甲(よろいかぶと)や黄金の茶室などが思い浮かびます。黄金好きなどと云うと、ちょっと成金で下品だなあという思いもしますが、千利休を重用し(最後は利休に切腹を命じなさせますが)茶道という文化を愛したことなど、文化人としても一級のものを持った武人であったのだと思います。


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