私の思いと技術的覚え書き

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分相応ということを思う

2021-03-16 | コラム
 最近思うこととして「分相応」という言葉を思う。
 この言葉の意味は、「その人の能力や地位にちょうどふさわしいこと」とされるが、ここで云いたいのは、他人から「分相応にしろ」などといわれれば腹も立つのは当然だが、自らが分相応という自己認識を持つことが大切なことなんじゃないかと思うことだ。

 FBで知り合うある方が、フィリピンでは貧富の差が大きくというか、おおよその国民は貧しいが、子だくさんで必ずしも悲惨な気持ちで生活している訳でもなく、活き活きと生活しているんだと感想を記されていた。また、歴史小説好なせいもあり、特に江戸時代の生活に魅力を感じるところだが、江戸時代は士農工商みたいな身分制度があったり徳川の独裁政権で、幕府官僚や各地のお殿様やその取り巻き以外は、さぞや現代より劣悪な生活だった訳でもないと思っている。

 つまり、民衆のそれぞれが「分相応」という思考の中で、決して特権者とか富裕者を嫉んだりはぜず、一定の範囲の中で幸福感を得ていたと思えるのだ。

 ところが、昨今の報道などで知る、様々な事件や世情からは、分相応という思考が抜け落ち、自分が良ければ良い、もっともっと儲けたい、徳をしたいという、江戸時代の多くの庶民が持っていたモラルが抜け落ちてしまった様に感じるのは私だけだろうか。しかも、この現象は、大まかに云えば昭和の時代まで江戸時代から継続していたものが、平成の時代になって急激に劣化してしまった様にも感じるというのが実感だ。

 なお、職業人であるからには、自らの専門職としての、分相応という意識を持つことは御法度だと思える。専門家は決して「井の中の蛙」となってはならず、更なる高みを目指すことが、自らのプロ意識だけでなく、そのことが世(国)のにため人のためになるべきことと自戒しなければならないと思うのだ。

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