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正直者がバカを見る世

2022-07-30 | コラム
正直者がバカを見る世
 この「正直者がバカを見る世ではいけない」と言葉は、昔からよく聞かれた言葉だろう。しかるに、現世を見るに付け、正に不正直者が権力者に就き、正直者は隅に追いやられているのではないだろうか。

 政治家や官僚高官などが疑惑を生み、証人喚問とか質問で抗弁の機会を与えられると、本質のところには踏み込まずに、「記憶にない」などなど論理なき抗弁に終始するのが常だ。こういういわば公人は、説明責任があるのだが、どんなに疑惑が高まろうとも知らぬ存ぜぬで通ってしまう世界はを見ると、庶民は絶望するしかない。

 あくまで私見だが、こういう公人に相当する人物は、ことの真実がどうであれ、単なる中傷ではない世論と云える疑惑を生じさせたことで、それを解消させうる抗弁ができない段階で、その職責維持は否定されるべきが妥当と思う。

 その一方、こういう疑惑が発展する中において、議員秘書とか官僚の担当者が自死する事件が起きるのことが多いが、これこそ正直者がバカを見る現象ではないかと思う。

 話しは飛ぶが、このところ冤罪事件の本を読み続けているが、足利事件と云われる菅谷さんは再審無罪がとなった希な例だが、これ以前に記された本の中には、酷い内容の本がある。逮捕時菅谷さんは45で独身だったが、それはロリコンだとか、警察での自白があったり、訴訟の場でも自白を認めたり翻ったりと振れたことなどを持って、そもそも菅谷さんが知能が低い準知恵遅れかの想定としての記述までがなされているものさえあった。

 また話しは飛ぶが、日本人の多くに嫌韓とか嫌中の蔑視意識を内に秘めている者は多いと感じる。かくいう私自身が極最近までその様な意識にあったことを認めねばならない。しかし、なぜその様な意識が生まれたのだろうかと振り返ってみると、司馬良太太郎とかの本とか先の戦争中の描写の中に、その意識を増長させるものが内在していたことが起因であろうと思える。その上で、韓中の親しい知人はいないが、街で見掛ける中国人の数名のグループが大声で話しているのを見て、勝手にやはりなと思うとかいうことがあったと思える。それと、今はコロナで沈静化しているが、それ以前まで中国人団体が、買い物をして返るのを「爆買い」とかメディアは表していたのだが、この「爆」と付けることにこそ、ある意味蔑視の意味での接頭語ではないかと思うところなのだ。

 ことほどかように歴史は作り替えられて、人々の意識にまで根付いてしまうことを知るとある意味恐ろしいところではある。今回の国葬は9/27と決め、既に関係機関はその準備に入っており開催実施され、もしかするとトランプ元大統領の式典での発言まであるのかも知れない。しかし、今の国民世論として、国葬反対の大きな反意があったことこそ、その事実を未来に伝えて行き、絶体に神格化させてはならないと思うところだ。


#正直者がバカを見る世 #世論をコントロールする歴史偏向


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