私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

懐かしいAE86の修正事例

2018-12-23 | 技術系情報
※ボデーリペアについて、特に作業時間に関心ある方向けの戯れ言です。

1.始めに
 なんだかんだとクルマに関係する業務を続けていると、何十年も眠り込んでいた書籍や資料が掘り出され、改めて新鮮な思いで当時の出来事と共に記憶が蘇って来ることがあります。そんな一例として記して見ます。

2.時は1980年代中頃
 1980年代中頃、私の住まいから10km程東方に三島という地があり、ここから世に名高い箱根山まで国道1号線(旧東海道)が登坂しています。その距離は登坂口から頂上まで10km程です。現在は、道路が拡幅化されたり、急カーブには中央線にガードレールならぬ幅1mはあろうかというバリケードが設置されたりと、センターラインオーバーによる事故を防ぐべく改修されています。80年代のこの地は、金~日までの夜な夜な、世に云う飛ばし屋達の集うヒルクライム場と化していたのでした。従い、事故の続出から周辺のレッカー業の活躍は大きく、翌週にはそれら事故車が周辺のボデーリペア工場に入庫していることも多かったのです。一方、センターラインオーバーなどの事故で、なんの関係も罪もない一般の方々にも多大の被害や脅威を与えていたのでした。

 この地は、私も今でも新しく入手したクルマの試乗などで走るコースの一つですが、一方的な登りコースで、しかも2車線の部分もあるなど幅員も十分に広く、タイトなコーナーも所々ありますが、どちらかといえば高速コースでしょう。エンジン性能次第ですが、登坂でも直線では軽く法定速度の2倍を越るのは容易で、二車線を一杯使った高速コーナーでは100前後で旋回できる様なところも多い訳です。80年代は、全般に拡幅化されておらず、もっとタイトなコーナーも多かった訳ですが、だからこそここを飛ばす醍醐味も高く、週末夜間の事故が圧倒的に多かった地なのです。そこで事故するクルマの代表が、今回紹介するAE86だとか、他にはS13だとかいうクルマだった時代でした。

3.ある研究機関での業務
 そんな時代、週明けにそれら事故車を見て廻るひとときを業務として過ごしたのが私の30代前半の時代だったのです。そんな一時期を経て、私は80年代末から90年初頭に、さるべき研究機関においてボデーリペアの研究をお手伝いに携わる機会があったのです。今回紹介する資料は、その研究機関が公表した資料の極一部で、題材としてAE86のフロントボデーリペアの作業内容と作業時間を集計した資料なのです。

4.私のボデーリペアの知識など
 ある意味、私のボデーリペアを含め作業時間を思考するための基礎知識は、この研究機関において醸成されたのだろうと回想します。しかし、一方的にこの機関の発言なり公表資料が正しいという、ある意味洗脳を受けたという訳でもないと思えます。そこには様々な矛盾だとか、公平性といった意味で問題をくみ取ることができ、それが現在の私の思考に生きていると思っています。ということで、今回資料の作業時間の集計は、作業者がこれで直ったよと主張したのを計測者が集計した時間であって必ずしも正しい正確なものと見てはいけません。作業の観測後、継続して作業する姿も垣間見つつ、真実はどうだろうかと、当時私は頭の中で考えていました。この内容は様々ですが、大まかには次の様なものでしょう。集計はあくまで正味作業時間ですから、どうやらこの1.5倍は要している場合もあったでしょう。また、実作業としては、業務追行のために欠かせぬ余裕時間が必要になります。この機関では、余裕時間として30%を妥当としていましたが、これは自社による分析だとか他業種(ディーラー工数など)を参考に30%が妥当だろうと結論付けていたのです。そこで、自分ながらの想定実正味作業時間と余裕時間を加味して考えると、1.5倍×1.3倍=1.95≑2.0倍になるかなと云うのは、まったくの私見です。






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