私の思いと技術的覚え書き

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自虐史観の氷解

2020-01-30 | コラム
 先の大戦(太平洋戦争)で始めから勝てる見込みもないのに何故開戦に踏み切った(真珠湾奇襲)のだとか、負け戦が混んでどうしようようもなく恒常的に特攻作戦を繰り返したということに、なんて愚かな国民だったというのが、今でも多くの国民は思うところだろう。もっと過激な意見としては、もっと早く負けを認め全面降伏していれば広島や長崎に原爆を落とされることもなかったという意見もあるかもしれない。これら意見は正に自虐史観というものだろう。

 かくいう拙人も、かつてはその様に思う気持ちはあったのだが、もし外圧に負け、戦争の結果だけを見込んでリスク最優先だけで活動していたら、間違いなく我が国は多くのアジア諸国だとか、それ以前の南米諸国だとかアフリカ諸国みたいに、欧米の植民地になっていただろう。

 ここで、先の大戦直前に長野軍令部長(長野修身)は、以下の言葉を発している。
 「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」と。つまり、例え負けたとて、ここで引き下がることは亡国に至るのだと述べているのだ。

 一方、特攻作戦の恒常化については、拙人も予て極限の戦闘においては止むないものの、恒常的な通常作戦として行うに至ったことについては、幾ら何でも狂っていたという思いはあった。しかし、当時の国民にとっては、たぶん国が追い詰められていることは間違いなく認識していたと思える。その時、自分が死ぬことで、父母など家族や日本国が陵辱されぬためにならという気持ちが生じ、例え命令という形ではあっても、素直に受けつつ特攻作戦に参加するという気持ちになったのだろうと理解できるのだ。ただ、識者も述べている様に、多くの特攻命令を発した高官共で、戦後そのことをお首も出さす、平々凡々と戦後の生活を送った者が居たことは許せないことだと思うところである。

 しかしだ、戦後の処理に当たっては、米国を始めアングロサクソン共は、したたかであったと思える。言論を封殺し、憲法にまで強く関与し、徹底的に我が国のアイデンティティを挫いてしまったのだ。そのことは、当時の、いや今でも国政を預かる者で気づいていない者はいないだろう。しかし、それに気付いて異を唱え米国に反発を受けるより、欺された振りして過ごす方が、特だと経済面だけの利を優先してきたのだろうと思える。だから、三島由紀夫氏などは、そのことにがまんができず、あの様な事件を生起してまで、果てることになったのだろう。これは精神的には、特攻と類似のことなのだろう。


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