私の思いと技術的覚え書き

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【過去の紀行文】熊本災害応援のこと

2004-09-28 | 過去の紀行文
【過去の紀行文】熊本災害応援のこと
 先週一週間(19日~25日まで)熊本へ災害応援に行って来ました。今回は、そんな中で感じたことなどを若干記してみたいと思います。

 思い出せば、熊本には5年前(H11年)にも同様の災害応援で行っています。その時の記憶では、どうにも埃っぽかった熊本という思い出が強いのです。しかし、今回はまったくの逆のまさに雨の熊本、ジメジメとしたイメージとなってしまいました。ある晩の会社からホテルまでの僅か10分の帰途は、雨足が大変強くスーツ上下はずぶ濡れ、靴の中まで水浸しとなってしまいました。

 そんな今回の熊本行でしたが、仕事の方はもっぱら立会業務を中心に行いました。前回はタクシーを利用して、各目的地を廻ったのですが、今回はレンタカーを利用して自ら運転しての行動となりました。そんな中、熊本市内には市電(路面電車)が走っており、非常に新鮮な思いを感じました。免許を取って以来30年近くになりますが、未だ市電と共に走行した経験はなく、面白いというかおっかないというか未体験の体験が出来たのでした。この市電ですが、色々なカラーリングが施された車両があり、中には2両連結のヨーロピアンスタイルの車両があったりとバラエティー豊かで目を楽しませてくれます。昔は日本の各地を市電が走っていた様子ですが、だんだんととその姿が消えて行きつつある現状は残念にも感じてしまいます。

 今回の熊本は業務としての派遣ですので、色々と見て回るという訳には当然いきません。しかし、今年の初めの頃に「翔ぶが如く」という本(司馬遼太郎著)を読んでいるのですが、熊本で機会があったら田原坂(たばるざか)を訪ねて見たいと思っていました。そんな願いが通じたのか、立会の合間に僅かな時間でしかも小雨交じりの中でしたが、田原坂を探訪することが出来たのでした。

「翔ぶが如く」は西郷隆盛の西南戦争を描いていますが、その西南戦争で最大の激戦地となったのがこの田原坂です。田原坂の地は、熊本の市街地から15キロ程度離れた植木町にあります。そして、その坂の地は、坂の上の山いうより丘という感じの地です。この丘に掛かる坂を上下にして政府軍と西郷軍が死闘を繰り広げたのですが、この地に立つとそんな凄まじい激闘が交わされた時代のことが僅かですが思い浮かぶ様に感じました。 送信日時: 2004年9月28日火曜日 0:10 7 枚








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