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【書評】自動車絶望工場(およそ人の限界を超えた消耗戦)

2021-09-29 | 論評、書評、映画評など
【書評】自動車絶望工場(およそ人の限界を超えた消耗戦)
 著者は鎌田慧(さとし:83才)だが、ルポライターとして紹介されている通り、ルポルタージュ(仏語:問題をその地その場所に立って現地報告する文章なり書き手)を特徴とする作家だ。現在は高齢だが、この「自動車絶望工場」を記したのは、氏が34才の時、つまり49年前、当時のトヨタ自工(未だ工販合併前)本社工場で6か月間を期間工として過ごした中で体験した事実を日記風に書き表したものだ。

 正直、ベルトコンベアでの作業がキツイ作業であるとの認識は持っていたが、その根源が何処にあるのかという感心が、この本を読み始める動機になった。

 私も自動車整備の経験を持ち、国家検定の2級整備士、トヨタ技能検定1級、アジャスター資格2級を所持しており、著者の書き表す作業の内容は、だいたい頭の中であの部分だとか判るし、その作業がどの程度の作業量(所要時間)かと云うことも理解できる。そんな中、著者も文中で述べているが、ベルトコンベアでの単純作業の反復と云うのは、数回程度の反復なら慣れればさもない作業なのだが、これが終日続くのは、極めて大変だし、それは労苦と云えるべきものを越え、苦役とか奴隷というべき表現が相当すると思える。

 現実に著者の本でも、同時期に入った期間工の半数近くが、期間満了前に辞めているという事実や、そもそも当時のトヨタ自工の新入社員と在籍者数から推定して、およそ3割近くが退職し入れ替わっているという事実から、定年退職者がそこまでいるはずもなく、そうとうに続かなくて辞める労働者が多いことが判ろうというものだ。

 ここで、今次知ったベルトコンベアの作業などから、もう少し具体的に事象を分析してみたい。ベルトコンベアの作業は、一連の組付け作業を細分化していき、それぞれの担当者の行う単純作業を、作業時間としては限りなく合わせ込んで行くことで成立する。それにより、そのコンベアラインに10名の労働者がいるとして、その10名それぞれが遅滞なく作業が完遂できる前提で、コンベアラインは淀みなく動き続けるのだ。

 ここでは、読み取った文章から、各作業者の作業時間の1工程(タクト)が60秒と仮定し、隣の作業者との間隔は3mとすると、コンベアラインの速度は5cm/秒だということが判る。この60秒という時間の中で、相当熟練した作業者は、約2m程度左右に移動しつつ、作業を継続することになるのだろう。

 それぞれの受け持ち労働者の行う作業は、作業自体は決して重度なものでなく、比較的に単純な作業なのだが、そこには継続して作業を行う場合に考慮される余裕という概念がほとんど抜け落ちているのだ。

 私は今まで整備などの作業時間というのに関係し、そのことを前提に業を行って来た。この中で、例えば、作業工数(標準作業時間、標準点数、指数など各種あるがほぼ同じ)を策定する場合、作業の観測などによって、正味作業時間が把握されると、そこに幾らかの余裕時間を加算すると云うことが常識として理解してきた。つまり、繰り返しにもなるが、作業は単発それだけで済むものでなく、労働時間の中で継続されるものであって、疲労だとか喉の渇きからの水飲み、トイレなどの生理的問題、その他労働を進めて行く中で不可抗力の時間は生じる訳なのだ。従って、コンベアラインにおいて、究極的に余裕を奪ったとすれば、それは連続する作業時間において、極めて非人間的な苦しみに置かれることが理解できる。

 もちろん、奴隷ではないので、トイレに行きたければ、ランプを付けるなどして班長なり職長という上位職種を呼び、トイレに行くことは可能となっている。つまり、班長なりが、トイレに行く間代わりに作業を継続しラインは動き続ける訳だ。しかし、そうなると作業者は、さすがにそういう事態を最小限にしようと我慢し続ける。5時間の連続作業が続き、休憩もしくは昼食の時間となりラインが止まると、ライン従事者全員がまずトイレに駆け込む。

 しかし、この本を読んでいて度々思うのは、脱落者が出るのはしょうがないとして、労働環境を見直すことは一切せず、生産効率を維持もしくは高度化を求めて、ひたすら人員の補充を図り業務を継続していくこの行為は、旧日本軍のやって来た戦闘を思わずにいられない。それは、ここでの落伍者は死亡している訳ではないが、業務から離脱したことは、戦死したに等しいと解釈もできる。そこで、生命の価値を重視すれば、作戦計画を見直す訳で、本来なら脱落者が多いと見極めれば、ライン速度を落とすとか、ライン人数を増やして、個々人の業務量を減らすと発想すべきなのだが、会社は少しでも人員を減らすことしか考えない。つまり、巨大な営々と続く消耗戦だが、変わりの人員は幾らでもいると、全国から募集して人集めを計る。

 この本から約50年を経て、トヨタ自動車の生産数はさらに高い生産性を上げているのだろう。それは、大幅な機械化(ロボット)により、極論すればプレスとか板金組立や塗装ラインは、相当の少人数で行い、主な人の活動は、最終の組立ライン(艤装ライン)だけになっているのだろう。しかし、その最終組立ラインにおいて、何処まで作業環境が改善されたかを想定したとき、実質として大した環境改善は計られていないと想像するのだ。

 最後に追記として記すのだが、労働組合のことである。トヨタの場合も組合はあるのだが、現場の長たる班長とか職長も組合員であり、得てして組合役員になっている場合もあるという。こうなると、正に御用組合であり、上から下への一方的な縦の指示命令系統だけが占有する、ほぼ民主的とはいえない組織とならざるを得ないだろう。



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