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映画寸評 お茶漬けの味

2019-12-26 | 論評、書評、映画評など
 この映画は1952年(昭和27年)製作の小津安二郎監督作品で、敗戦後未だ7年しか経ておらず、それでも既に戦後の混乱から立ち直り、高度経済成長の端緒に付いた時期の我が国の風物を各所に見ることができるなど興味深く見る映像作品として記憶を書き留めたい。

 しかし、今から67年も昔の姿がさりげなく背景に記録されているところなどは、小説にはない映画ならではの映像風景なのだろう。もっとも我が町の昔の様子を伺うと、この時代までは今よりもっと映画館数も多く、現在より多くの映画作品が生み出されていたのだろう。しかし、この後はTV放送の普及と共に、TVドラマなど映画と比べると一段低級な映像作品が氾濫することになる。しかし、自己意識として、既に10年近く前からTVを見るという行為の魅力は廃れ、一方報道の周知という意味でも、TVの価値は低下し続けているという、世の移り変わりの激しさを感じざるを得ない。

 さて、本作の俳優を眺めても、拙人が知る俳優名は極めて少ない。微かに名前だけ知る女優などいるが、男優では、この数十年後に「男はつらいよ」の御前様役で何度も見た「笠智衆」と今でも名役者と感じ続ける「鶴田浩二」の若き姿しか知らない。

 本作のあらすじは、まったく奇想天外とか驚きなんてものはなく、ある程度の上流階級と見える夫婦のさもない心情を描くというものだ。もっと掘り下げると、夫はマジメな一流会社の部長職らしいが、妻は相当なブルジョワ階層で、同級生達と旅行などに遊び呆けつつ、夫を田舎者と見下している。ところが、ある日、夫が海外出張で不在となっている中で帰宅したところ、予想外に飛行機の不具合で夜帰宅した夫と、腹が空いたという夫の希望で慣れない手つきでお茶漬けを作り、2人で食べながら、改めて夫の価値を見直すというストーリーなのだ。

 こんな単純なストーリーだが、当時のオフィスの情景、後楽園球場、パチンコ屋、競輪場、そして、修善寺の新井旅館(現在でも修繕時に高級旅館として現存)の風景などなど、感心を持つ背景は多い。だいたい、甲子園球状のバックグラウンド看板に「同和火災」の看板が写っているが、この頃の同社は、国内20社近くあった損害保険会社の中で、東京海上に次ぐ第2位のシェアを持つ保険会社だったのだ。それが、昭和30年代、40年代とうなぎ登りのモーターリゼーションの普及に伴って、自動車保険の販売への切り替えに遅れを生じ、10位前後にまでシェアを後退させるに至っていることを知る拙人としては、時代の変化という時代の波に乗り遅れた企業の栄華清秋を感じざるを得ない。これは、同じく保険業界でも、似た様な入替は他社でも起こっているし、我が国の造船業だとか、その後の家電や電気製品生産業でも同様で、今や大げさに云うと壊滅状態だ。モーターリゼーションで急伸長したクルマ業界だって、元々日産はトヨタの上を行っていたのが、海外三流メーカーの軍門に降り、ゴタゴタを起こしつつまたもや危機を招きかねない状況だ。三菱重工から独立した三菱自動車は、まずは大型トラックを手放さざるを得なくなり、乗用車も日産に召し上げられる。急伸長したホンダだが、迷走の度は年々深まっている。これが、この映画後のたった70年弱(実際はここ30年に我が国の成長はほとんどゼロだから)、実質40年の間に生じた出来事だと思うと時代の変化というのは、我が身で感じる以上に早いのだと思わざるを得ない。






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