みなさまこんにちわ
Soshi Manoと徳田先生とNational Taiwan University (NTU) に行ってまいりました。
(他にも熱心で前途有望な国試前の6年生が4人も)
初めて台湾に行きましたが、まず物価がほぼ日本と変わらない(タクシーだけ安い)と感じたことと、インフラがちょうどバンコクと日本の中間のような印象を覚えました。バンコクの中心部は完全に銀座や新宿に近いのですが、ちょっと離れるとそうでもありません。台湾の場合は沖縄に近いようなノスタルジックな感覚です。
さて、何をしに行ったのかというと、
Choosing Wisely Japan-Taiwan meeting に参加するためだったのですが、いろいろな訳があって
師の代理として当日慣れない領域をパネルディスカッションするという事になってしまい、結果オーライで楽し過ごしました。
台湾大学の先生方には、朝から夜まで毎日連夜連夜歓迎会などを開いていただき、今までの海外で受けたおもてなしと比較にならないレベルで・・・
感激しました。
僕らは逆にここまで外国の先生達をおもてなしできていますでしょうか?
言語の問題やシャイな面もあり、中々十分に応対できていなかったことに反省しております。
さて、NTUは1895年に日本政府が統治した後から、台湾独自の中国医療の医師などの医療行為や無免許での医療行為を禁じてその後医学部を2年以内に設立しました。その後からずっと日本式の医学部教育が行われてきたという歴史があります。
もちろんそのことに賛否両論あると思うのですが、先生たちは我々日本人にとてもリスペクトを持って接してくださりました。NTUの先生と話していると戦後からの変遷も知ることができて、かなり新しい学びと発見があります。
学内にある博物館はとても興味深く、自分の夜に寄生虫や蛇咬傷なども興味を持っている人間には感動レベルで、特に横川吸虫の横川先生が研究していた時のままカバンや資料が残っていました。
教育は日本式であったのですが、アクティブラーニングを行い医学生をより良く成長させるために、縦割りの授業から、一つの臓器や疾患に対して基礎や臨床をバラバラに混ぜて授業を開始しておりました。これは本当に驚きです。最初は、各講座や各科の派閥やプライドなどのことから難しかったそうですが、アジアを代表する医学教育をしなければという医学部全体の使命を偉い先生たちが認識することで全体で変わっていったそうです。
よく、欧米の教育を取り入れるということが話題になりますが、僕が思うに直接輸入し大きく変革するのは文化がそもそも異なるためにとても難しく、feasibilityが高い方法は台湾のような日本式の教育から独自に変化を遂げて行ったアジアの大学から学ぶことなのではないかと考えるようになりました。
今後、島根と台湾でいろいろと提携ができると思うと嬉しいです。まずは日本病院総合診療医学会 in 沖縄の準備を。
ありえない、ホスピタリティー病院長から偉い先生がみんな人格者であって、正直お国の差を感じました。