アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の弐拾八 ○忠治 関係者の処分

2013年09月17日 | 近世の歴史の裏側

忠治 関係者の処分

 此の頃世良田村に幸助、木崎宿に左三郎、馬太郎、太田宿に苫吉という

道案内がいたが、忠治が病倒して逃げ隠れ出来ない。

そのため八州様の「御手配御見遣可貰含を以て」

忠治方から国定村の次郎右衛門と八寸村の七兵衛から、

木崎宿の左三郎世良田村の幸助に九両と、世話料一両が渡された。

幸助は左三郎、馬太郎、苫吉へそれぞれ三両ずつ遺ったわけである。

しかし八州方への内頼みが出来ないうちに、忠治は召捕られてしまった。

つまり、賄賂を渡そうとしたが、間に合わず贈賄未遂で捕まったのである

しかしその代償は大きかった、処罰の結果は、まちと徳は「押込み」、

忠治が病気になった時に、賄賂を贈り見逃がしてくれるように

運勤した時に勤いた国定村の次郎右衛門と八寸村の七兵衛は

 「所追放」、同じくその賄賂を受取り、木崎宿の道案内左三

郎に渡した世良田村の幸助は「過料三言文」、それを受取った道案内の

木崎宿の左三郎と馬太郎は左三郎「軽追放」、馬太郎は「江戸十里四方追放」、

忠治の妾まちを、忠治の弟友蔵の籍に入れ、また忠治が中気になった時

これを面倒見てかばった国定村の村役人であった又兵衛、助兵衛、勇右衛門、

和吉は、又兵衛「過料五貫文」に、助兵衛外三人は「過料三貫文」、

まちの兄庄八は、妹を忠治の妾としたということで

 「過料三貫文」、田部井村名主西野目宇右衛門は「死罪」、

その妻ゆうと子の宇三郎は「急度お叱り」、田部井村役人の

長右衛門、平八、伝右衛門は、宇右衛門の家へ忠治を隠した

ことを知らなかったということで「急度お叱り」。

国定村の清五郎は忠治一味の博徒であり、発病した忠治を隠したこと

捕方買収などの罪で重い「遠島」(島流し)、喜代松は死後であったので、

「中追放」の執行なしとなった。

 苫吉をのぞいた三人は、忠治お仕置きのあと、江戸池田播磨守から、

この年十二月二十六日に判決があって、幸助は過料銭五貫文、

左三郎は百姓の身分で軽追放田畑欠所、馬太郎は店借だったので

江戸拾里四方追放の処分になった。



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