アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾八年 其の十六

2016年10月13日 | 近世の歴史の裏側

怪僧 田村仙岳

 細野は最後に五万石騒動の総括とも言うべき「終後の結末」の中で二人の仲介者の果たした。

役割の大きさを指摘している 

 十六歳の若き日 百姓の一人として動員を駆けられ 騒動の中にいた細野は、

 還暦に手か届こうかという年齢に達して初めて 五万石騒動の裏面まで見通すことか可能と考える

 一人は田村仙岳 いま一人は南大類村(現高崎市南大類町)観音別当小園江丹宮である。

二人とも高崎藩と城付五万石村々にかかわりを持つ宗教者である。

細野の評価は小園江に高い 小園江は宿大類村の筆子羽島権平及び久保田房次郎から

訴願について相談されて支持する立場にいた 

両人とも藩主の信任厚く 藩政の諮問にあずかることが多かつたと言われ

五万石騒動においても農民の訴願の扱いをめぐって 小園江は徴税方式の改定を 

仙岳は延納を建議したという。

細野は「小園江か四公六民の農民寄なれば田村は六公四民の藩寄り」と評した。

藩議は一ケ年のみの延納と決して従わない者は捕縛して厳罰に処す方針に固ったのある 

藩の内情に通じた二人は 一揆勢の性急な暴発は犠牲者を生み出すことを危惧し

村々の知己友人の関係者に慎重な対応を求めたのである。

 

                                      つづく



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